活元運動のコツ「天心について」:ポカンとできない、ポカンってどういうこと?2

きのうの活元会の話のつづきになるけれど、野口整体の本には「ポカンとする」という表現がしょっちゅう出てくる。 それで最近気がついたことがあって、その「ポカン」という言葉の印象がつよいらしく、何か本当に頭が空っぽになってまったく念が浮かんでこないことを期待するひとがけっこういるのだ。 俗にいう「無心」とか「無念無想」とかいう言葉のイメージが先行して、自分がきちんと目が覚めて活動しているときでも「頭のな …

活元会 2017.10.5:ポカンとできない、ポカンってどういうこと?

今日は10月最初の活元会でした。 長編の教材を用意していたのに今回は使わずじまい。あら‥。 いや、話の流れで「ポカンとするってどういうこと?」というテーマでしゃべった気がします。あんまり覚えてないんだけど‥。 それで教材は使わないで、日本に曹洞宗の禅を根づかせた道元禅師による『普勧坐禅儀』(みんなにおすすめできる坐禅の仕方)から下の一節、 心意識の運転を停め、 (しんいしきのうんてんをやめ、) 念 …

不易流行:これからの野口整体

夕方関内の歯医者に行く途中こんなノボリを見つけて感慨深い思いをした。 極真カラテと加圧トレーニングか。時代のうつりかわりを感じる。 昔はこんなんだったのに‥。 しばらく見ない間にフィットネス嗜好に寄ってきていて新鮮だったが、ビジネスとして生き残るためを思えばものすごく納得。どんな仕事でも二代目は大変なものだと思われる。 それにしても身体論というのはその時代を反映するものだ。 というよりは一人ひとり …

子どもが眠らない:そんなときは寝かしつけよりも起こしつけ

近ごろ太郎丸(3歳)が保育園から帰ってきてもガンガン元気である。 お世話になっているのが0~2歳児用の保育施設(来年卒園)なものだから、たぶん運動量が足りなくなってきたのだろう。 それにしても保育士さんは見事なものだと思っている。あんな小さな子たちを10人もあずかって、ケガをして帰ってきたことはほとんどない。 それだけ、慎重に遊ばせているのだと思うが、そろそろ太郎丸的にはモア・アグレッシブ、アンド …

動悸息切れにも必ず原因と治し方はある

だいたい年に2、3回だろうか。原因不明の動悸息切れのご相談をいただく。 「求心」を愛用する人もいぜん多いみたいだが、飲みつづけることに疑問を感じていろいろな治し方を探すうちに、ごくまれに「野口整体」に辿りつくらしいのだ。 そもそもがドキドキしているのだから、言わずもがなというか「不安」とか「心配事」がこころの底に潜伏している。そういう例が8割以上だと実感している。 ところが当の本人はというと「特に …

活元運動を深めていく:継続はちから

昨夜は子どもの寝かしつけが終わろうかというときに、久しぶりに自然の活元運動が出た。 からだの偏りが一定に達して、さらにからだの緊張・疲労度合と精神のゆるみバランスがちょうど釣り合ったときに、たまにではあるけど自然に活元運動が出ることがある。 まっ暗にしめ切った部屋でじーっと子どもに愉気をしていたので、それがたまたま呼び水になったのかもしれない。経験的に自分はあまり明るい部屋でない方が活元運動は出や …

健康に向かえば整体に背く

人格は全身の緊張弛緩のバランスでいくらでも変わる。 腹筋が硬直していれば、何かと気忙しくなりこころの余裕はなくなるし、 首の前側がちぢめば思考は同じところをどうどうめぐりする。 からだを上手にゆるめることさえできれば、こころの内外にあるあらゆる問題が解決する。 だからそのゆるめる手立てを正確に覚えることが大切なのだ。 ただ単にリラックスするだけではゆるまない。 エネルギーが余っていれば、まず充分に …

なぜ健康なのかわからない:荘子を読む

知は其の知らざる所に止まれば、至れり。『荘子 内篇 第二』 何も知らないとき、すべてがわかってる。 何もしなくても体温は保たれる。 疲れれば眠くなる。 欠乏すれば食べたくなる。 余ればこわす。 なぜ健康なのかわからなくても、みんな健康だ。 「なぜか」がわかってしまうと、健康は失われる。 健康になろうとする行為がむしろ健康を乱していないか。 ときどき、考えてみよう。

ユング心理学における「影」について2:影は心ののびしろ

…このような影があってこそ、われわれ人間に、生きた人間としての味が生じるのであって、ユングも「生きた形態は、塑像として見えるために深い影を必要とする。影がなくては、それは平板な原型にすぎない」と述べている。影のないひとは、いかに輝いて見えても、われわれはその人間味のなさにたじろぐことだろう。 シャミッソーの有名な「ペーター・シュレミール」のお話は、影を失った男の悲哀を、うまく描き出している。この素 …

ユング心理学における「影」について:整体指導と心理療法のアプローチ法の比較

昨日ミッドライフ・クライシスについて書いた記事でユング心理学の「影」という概念に少しだけ触れたが、実際には今まで否定的にみていた自分自身の資質を認め、受け入れていく作業というのは整体指導や心理療法の治療モデルの根幹をなすものである。 いわゆる自己受容と呼ばれるそれである。 最近は「あるがままの自分を受け入れて‥」という言葉をよく耳にするが、耳ざわりがいい反面、自己受容という作業はなかなかに困難なも …