『ケルト巡り』に関する話の途中だが、少し気になる記事を目にしたので記憶から流れ出て行かないうちに書き留めておこうと思う。
タイトルの「なぜラジオ体操を…」は津村喬による『東洋体育の本』(別冊宝島35 1988年)からの引用である。
いつごろかは定かでないが、ここ数年ラジオ体操がブーム再燃という噂を耳にした。特に最近はコロナ禍の運動不足解消という目的と相まって主に中高年層を中心に実践される方が増えたという。
断っておくがこの記事は「私はラジオ体操をすすめない」という主張が目的ではない。職種や生活習慣にもよるけれども、現代人は概ね運動不足が問題視されて久しい。そのためラジオ体操のような画一的なリズム体操でもやらないよりはやった方がマシ、という人は少なからずいることは確かだろう。
ただ私の目を引いたのは「ラジオ体操をすすめない」といった津村氏の主張がなされたのが1988年という、かなり早い時期であった点である。
88年というと私は小学5年生、毎週月曜日に校庭でラジオ体操して校長先生の話を聞く、という生活をなんの抵抗もなく送っていた。この時に「こういう運動はそもそも…」という批判を聞いても、「変わったことを言う人がいるな」という程度でさして響かなかったのではなかろうか。
ちなみにラジオ体操が今の形に落ち着いたのは1951年まで遡る。以来その効能の是非については大きな批判はもちろん、さしたる点検もなく実施されてきた歴史が伺える。【ラジオ体操】歴史(起源~現在)を解説!最初に広めたのは誰?
津村によるラジオ体操の見解がいかなるものか、少し長くなるが以下に引用する。
日本の近代社会にあって、ラジオ体操の占めた位置は大きなものでした。それは西欧的な体育館にもとづくからだの使いかたを普及しただけでなく、ラジオを聞いてその言うとおりにからだを動かす習慣を定着させました。
ラジオ体操にも博物館に入ってもらっていいころだと思います。筋肉にはずみをつけて動かすことで、弾力性はある程度ついても、進展性、柔軟性、持久性はつきません。NHK文化の中でさえこれへの反省が進み、アメリカから来たストレッチングが大流行です。
しかし、各人のからだの個性に合わせたものを、「からだの言いぶん」にもとづいて作っていく姿勢がないので、まだ笛を吹いて号令をかけてやっています。
体育とは、個体化=個が全体性を回復していくひとつの道なのです。そこを抜きにした画一化のための体操はすべて反動的なものです。(『東洋体育の本』p.126)
当時の時代性を考えれば、この津村による指摘は注目に値する。
実はこの視点は野口整体と無関係なものではない。同氏は『気で治る本』(別冊宝島220 1995年)の企画・構成にあたり、野口整体の紹介にかなりのページを割いて詳らかに解説をしている。本書によれは津村は若かりし頃に整体協会にも入会し、活元会にも出席していたことが記されている。(同書 p.116)
そもそも私のような整体法を専一に実践している者からすれば、津村氏は野口整体とは畑違いの出身でありながら整体法の真価を直感的に見抜き、擁護、普及に努めた一人であり、「恩人」的感覚を抱いている。
若くして東洋の医学や身体文化に深い造詣を示し、当時の国際情勢によってスタンダードと考えられていた欧米の文化に対して客観的な評価を下せる稀有な人材の一人だったと言えるだろう。
斯くして「個人を無視してはいけない。治療であれ養生法であれ各人の個性を理解し、個に特化した方法を都度構築しなければ、真の治療も教育(からだそだて)もできない」という主張が半世紀以上前からなされているのである。
しかしながら現代は依然として十把一絡げ式の画一的な方法が横行している。ましてや没個性の具現ともいえるラジオ体操の人気が再燃しているというのだから、この問題はなかなか根が深い。
誤解のないように繰り返しておくが「ラジオ体操が間違い」だとか、「やらない方がいい」という話ではない。それはそれで意義はあるけれども、生きた人間のからだ、個人のからだ、わたしのからだを育むためには、それだけではまかないきれない部分があることを忘れてはならないのである。
スポーツも同様である。体育やレクリエーションとして優れた面を持つ一方で、勝敗や記録に拘る余り怪我や故障といった問題が尽きない。それは客観的評価という外のものさしに合わせて動こうとするあまり、自身の内なる感覚を無視した無理な動作が繰り返し行われることが原因として考えられる。
ラジオ体操のような万人向けに定められた形を忠実に行うときには、身体内で展開する主観的事実にも開かれた心を持つことが肝要なのでる。
例えば自分の脈や呼吸の快・不快といった事実は客観的にとらえることは不可能である。例えば持久走などは「苦しい」という主観的事実に理性で立ち向かい、いかに走破タイムを縮めるかが主眼となる。これを東洋的な身体観に照らせば、生活とは無関係のところでただ速く走るために走るなどという行為は不可解と考えられる。
「苦しい」というのは走るスピードを緩めよという「からだからの言いぶん」なのである。からだの要求に従うことは大自然の秩序に対し頭を垂れることであり、自然を人間と同等かそれ以上にみる東洋においては謙譲の美徳とさえ考えらえる。しかし西洋的な自然観に照らせば、「苦しいから走れない」という事実は自分よりも下位に位置する自然(肉体)に屈服することであり、人間としての意思薄弱を意味する。
身体を自然と同一視した場合、東洋では身体は自然からの賜りものであり畏怖と畏敬の対象であるが、西洋では早くから身体を意識と肉体に分け、この肉体の生理的はたらきや動作を理性でいかに統制するかを考えてきたのである。
日本は明治の開国以来この東洋的身体観と西洋的な心身分離の思想が併存する雑種的文化を形成してきたと言えよう。普段はスポーツを含め科学的な体育や医療が標準と考えらえているが、ひとたびその有効性や論理性が疑わしい場面に出くわすと、東洋的な自然観や身体観が表出してくる傾向がある。
この場合、どちらが正しいとか優れているかということよりも、主観と客観を明確に分けて理解することが肝要である。具体的にいえばラジオ体操を行う時にも「からだの言いぶん」に傾聴するように静かな意識で行なえるとよい。
そもそも人間が意識を使わずに生活するなどということ自体が不可能である。だからこそ人間にも意識以外のはたらきがあることを自覚し、これを主体的に訓練する必要性を野口整体は一貫して主張してきたのである。
安易な発想だがラジオ体操の後で偏り運動を正す意図で活元運動を行うと面白いかもしれない。あれはよいけれども、これはダメ、というのではなく互いに補償し合う関係として相乗的に活かす道を開拓することが大切である。こうした西洋・東洋に関する発想は河合隼雄のものでこれについては『ケルト巡り』よく記されている。
このような視点で観ていくかぎり近代文明上に生じる様々な問題を立体的に捉えることができる。意識以外のはたらき、潜在意識や無意識といかに付き合っていくかということが現代をよく生きるための鍵なのだ。