河合隼雄著『中年クライシス』を読む:心でも体でも病症が人間を整え丈夫にする

開業当初はあまり年齢層が絞れていなかったが、現在せい氣院に通われている方は30代の前半から40代の半ばくらいの方が圧倒的に多い。

ときおり還暦を控えたような方も来られるけれども、だいたい3~5回(2~3ヶ月)通ったあたりで当初の主訴が解消されると同時に「卒業」されていく。

その主訴というのも腰痛や動悸、息切れ、血糖値の異常といった年齢相応のトラブルに対して、病院の処置に満足がいかずに来院されるというケースである。

整体操法によって「首尾よく治ってしまった」と言えば聞こえはいいけれど、こうした年長の方々に対して「その先」の可能性を感じていただけないのはやはり力不足なのだろう。

これとは対照的に、永続的に指導に通われているのは「自分自身に取り組んで、可能性を掘り起こしたい」という要求を感じさせる壮年期の方々である。

これがいわゆるミッドライフ・クライシスとか中年の危機とよばれる、精神的「ゆれ」に脅かされやすい年齢層の人たちだ。

ただし、この「中年の危機」は中年に限定されるかというと、そうでもないことに最近気がついた。というよりもそもそもが「中年」の定義自体が曖昧と言えそうだ。

ユングに倣って言えば、人生を日の出から日没に例えて40歳を〔正午:中年の真ん中〕とした。

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ミッドライフ・クライシス(中年の危機)

先日引退表明をされた安室さんについていろいろ考えさせられた。いわゆるユング心理学でいう「中年の危機」(中年というとちょっと失礼な感じもするけれど‥)的な動きを思い浮かべる。

しかしいろんな噂が取りざたされているけれども、「仕事を辞めます」と宣言しただけで自分の顔が朝から晩までテレビに映るような人生というのは、それだけでも相当なエネルギーが必要なのではないだろうか。

それにしてもこんなに女性のファンが多いとは知らなかった。

妻の妹がときどきライブにいったりしてたが、聞いてみたら、なんだ妻も好きだというではないか。

自分と妻と安室さんは同学年である(ちょうど40歳)。孔子は数え年の40歳で「不惑(まどわず)」という理想をかかげたが、実際の40歳はといえばたいてい惑う。

いわゆる40歳を「人生の正午」と仮定して、その時期に前後して起こるミッドライフ・クライシス(中年の危機)といわれる現象である。整体指導を受けに来られる人をみていても、だいたい平均して、30代の前半から40代半ばくらいに第一次の人生の見直しが起こることが多い。

どういうものか簡単に説明すると、20代の後半くらいまでこれが「自分、らしさ」だと疑いなく信じて安定していたものが、40歳前後でもろもろの環境の変化にともなってぐらついてくるのである。

つまり人生の最初のうち(20年くらい)は保護者、養育者、社会的価値観などによって目に見えないレールの上を淡々と生きてきたものが、途中から「これって本当に私の人生だろうか?」という疑問が湧いてくる。

この段階で正直に自分と向き合う作業をはじめると、たいていは過去に失われた自分の目標や夢、それから持って生まれた本来の資質などが記憶の底から浮かび上がってくることはよくある。

これはユング心理学で「影(シャドウ)」とか「No.2(ナンバーツー)」とか呼ばれるものにだいたい相当する。

たとえばある一人の人間の中に「カリスマ・ミュージシャン」という表の顔(仮面:ペルソナ)があった場合に、そうではない自分というのが裏の顔(影に隠れてしまった自分)としてしまい込まれていることがある。

若くて日の出の勢いがあるうちは仮面をかぶって演じ続けることもできるのだが、人生の正午を過ぎ、「残りの人生」という見方が出てきたときに表舞台でうまく生きられなかった自分というのが気になりはじめるのだ。

著名人ともなるとその仮面が理想像にかたより過ぎていたり、プライベートの場でもおいそれと仮面を脱げなかったりなど、自身の自然な自我形成に支障をきたすことも多い。

だから時として「早すぎる引退」というようなことが起こったり、人によっては犯罪的行為とか、命の危険をともなう大胆な行動にまで発展してしまうケースまで散見されるのである。

そうした行為は社会一般の価値観に照らすと「悪しきこと」として処理されることも多いのだが、実はこうした行為こそが一人の人間として心の均衡、あるいは全体性を取り戻そうという重要な動きでもある。だからこのミッドライフ・クライシスを上手に経過することができると、人間性が一つ円熟という方向へ発展したことになる。

だから適切な時期に自我の立て直し(再構成)が行われることが人格の成長過程として大切なのだが、芸能人という職業はともすれば人格を無視された「商品」としての性質も備えている。だから本人の自由意志だけで進退を決定できないという実状もあるだろう。それにしたって、おそらく今回のケースでも本人の中に「もう辞めたくなった」という気持ちが少しずつ芽生え、確立していったのではないだろうか。

まあ人間というのは生きている間は要求し成長を続けるものだから、仮に職業面で「表舞台」を去ったとしても人生の舞台は表も裏もなく続いていく。

彼女の内面で何が起こっているのかは本当のところ誰にもわからないのだが、もっと個人の人生を引きで見ようと思えば、むしろこの辺りが自己実現へ向かう分水嶺といえばそんな気がするのだ。

実際のところ影として生きてきた自分を表の自我に統合する作業は大変な苦痛を伴う大仕事なのである。人にもよるが、一過性に人格の退行現象(子供返り)が起こったり、精神面でも物質面でいろいろな喪失体験を味わうこともある。

大抵の人は40歳になる前から人知れずこうしたことを大なり小なりくぐり抜けてくるのだが、有名税というか、職業柄こうしたごくごく内面の心理的な作業であってもいろいろなシガラミを対外的に処理しなければできないのだから、なおさら大変であろうと思う。今さらながら安室さんを応援したい気持ちはつよくなった。

ともかく何のかんのいっても一人の女性なのだ。一般の方となんら変わらず同じように悩むだろうし、変化し成長していく。10年後、20年後、その後の姿を見ることができたらいいなと思うのだが、何となくそれはむずかしそうな気もする。月並みだけど、残りの活動期間を無事に終えられたらいいなと思う。

関連リンク 中年クライシス ユング心理学における影について