南泉斬猫にみる「いのちの真相」

南泉斬猫(なんせんざんみょう)
猫でなければ、公平に等分であろうに、猫だったため、猫を失った。死体だけ分けたことになる。
猫だと何故、二つにすると猫が居なくなるのか、分けられないのか。
生命とは何ぞや。
何が猫なるか。
(野口晴哉著 『碧巖ところどころ』 全生社 p.111 )

前項で書いた「分けてしまったら判らないもの」という話は、野口整体の思想の根底を貫く生命線である。この「判らないもの」は漠としているが、〔今〕という次元には必ず在る、〈いのち〉とか「宇宙」とか呼ばれるものがそれにあたる。

上に挙げた引用文は禅の有名な公案からきている。「公案」というのは仏道修行者に対して指導者が与える、答えのない無理難題のことである。理詰めていったら絶対に解答のない「問い」を投げかけ、行住坐臥の修行中にひたすら工夫(考え)させて古今無二の独自の答えを持って来させようとする。これによって修行者の段階や力量を図るのである。

先の引用だけでは内容不充分なので、さらにもう少し本筋を下に引いてみることにする。

南泉和尚は、たまたま東西の禅堂に起居している門人たちが、一匹の猫をめぐってトラブルを起こしているところに出くわされた。彼は直ちにその猫をつまみ上げると、「さあお前たち、何とか言ってみよ。うまく言えたらこの猫を救うことが出来るのだが、それが出来なければ、この猫を斬り捨ててくれようぞ」と言われた。皆は何も言うことが出来なかった。南泉は仕方なく猫を斬り捨ててしまった。晩になって、高弟の趙州が外から道場へ帰ってきたので、南泉はこの出来事を趙州に話された。話を聞くと趙州は、履いていた草履を脱いで自分の頭に載せて部屋を出ていってしまった。南泉は、「お前があの場にいてくれたら、文句なしにあの猫を救うことができたものを」と言われた。(西村恵信訳注 『無門関』 岩波文庫 pp.71-72 ‐十四 南泉斬猫)

これが一通りの内容である。余談だがこの公案を海外(欧米)でそのまま話すと場が凍るのだという。もちろん動物愛護とかそういう観点から見たらこれは大変な話な訳で、それ以前に「仏教の不殺生戒は何処へ行ったか!」と言われそうである。

こんな時「殺すとは何か?」ということまで徹見している和尚でなければ、東洋宗教に目の肥えた外人を相手にお茶を濁して逃げ帰るしかあるまい。もちろんこれは「公案」として、象徴的に読むべきである。

原典には猫トラブルの理由までは書かれていないから詳しい事は判らない。おそらく東西どちらの飼い猫なのかとか、エサやり、糞尿の始末の事とか、いろいろ考えられるがここでは「理由」にさほどの意味はない。それ以前に真理に目覚めて涅槃寂静の生活を営むはずの僧たちが、子猫を間に挟んで寺を二分し争っているのだからこれは問題である。その晩に趙州が草履(サンダル)を頭の上に乗せたのは、本末転倒を暗に指摘し痛罵したとも取れる。

南泉和尚はその争っている渦中にツカツカ出ていって、いきなり「何か(法にかなった一句を)言って見よ」という。当然こちらは「間違いのないモノ」をはっきり掴んでいる。片一方は迷っている。迷っている者はいつでも「自分の」言葉を発せられないように出来ているのだ。そこで南泉は一閃、刀を振るって迷いの元である「猫」を斬ってしまった。その瞬間「猫」と一緒に、イザコザも消えてしまった。折角の公案に蛇足を継ぎ足せば、概ねこういう注釈になるだろうか。

簡単な話だが、もしここに一人出でて、「猫を斬らないでください!」と言えばどうなったか。言葉というものは使いようである。使い方を知らずに発し、知らずに受け取るものは、いつも言葉に迷うから頭の休まる暇がない。追わない、探らない、そのことがその通りに発し、聞こえればいつも自由なのだ。

さて、ここで話を最初の引用の方に戻すと、野口先生は二つに分けたら「猫」が消えたという。物体以前の無形の力としての「生命」を追い続けた師ならではの切り口である。それほど多くは知らないが、この南泉斬猫の公案をこういう読み方をした人はあまりいないのではないだろうか。

それまでは活き活きとピチピチとそこに活動しているそれそのものは確かに「猫」であった。二つになった途端、肉だけが残って活動体としての「猫」は消え失せたのである。それでは猫を「猫」にしていたモノはいったい「何」だったのか。

それが「分けてしまったら判らないもの」の正体である。猫という存在は、生きている「猫」の方にあったのか、それともこちら側の「認識」の方にあったのか。そもそも我を中心に展開するこの名もなきこの一大活動体は、果たして主体と客体、「あちら」と「こちら」に分けることなどできるのか。

分けて知ろうとするのは要素還元主義という科学の芸当だが、そういう我他彼此(ガタピシ)根性を禅は徹底的に嫌う。まさしく、単(ひとつ)を示す、と書いて禅である。我々はいつだって分ける前の〔今〕に用があるのだ。

斯く如くいのちの真相はぶっ通しの〔今〕だけに在る。〔今〕は「今」として認識すると途端に消えてしまう。〔今〕は捕まえてはならない。捕まえればたちまち悟りに迷う。

だから〈いのち〉は確かにここに在って、同時に何処にも無いのである。盤珪禅師はそれを「不生」と言い斬った。〈いのち〉は最初から生きてなどいなかったのである。だからこれから取り立てて死ぬこともない。

〈いのち〉は追うものに非ず、また、眺めるものにも非ず。自分が生きていることを自覚したら、そこに安住することなく直ちに動くことだ。そうすればいつでも我は失われることなく「ここ」にいる。降雪片片、別所に落ちずだ。

公案では、自分で動けなかった者が南泉に「そこ」を斬られた。そして「迷い」と一緒に「猫」を失った。そして失ったと同時に得たものが「いのちの真相」である。

こういうように、一つの事実にはいつも二つの見方が用意されている。「認識」か「実体」か、「知る」ことか「在る」ことか。確かなのはいつも事実の方なのだが、自分が望めば世界を好きなように飾り、色々な世の中を生きることができるのもまた人間の能力の一つであろう。

この能力に縛られるものは生きていても死んでいる。使いこなせば随所に主となることもできる。いつでも〔今〕この瞬間の〈いのち〉に目覚め、この自在性を自分の力としたいものである。