野口昭子・著書

泣く子

むかし社会科で「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉を聞かされたが、地頭の方はともかく泣く子にも勝てぬというのは今からするとおかしいように思う。 子どもは大人よりもずっと心が開かれているのだから、丁寧に応対すれば泣く子の気 泣く子

気合と勢い

・気合といふこと、操法の大事也。彼の実を虚ならしめ、我の実を彼に移す。彼の実、病気の塊り也、我の実、健康なる正気也。彼吐く時我吸い、彼の吐き切る時我が指に力を入れる、この呼吸適へば、忽ち彼満つ。 これを気合といふ也。(野 気合と勢い

健康って何?

「…子供は大人よりももっと、心と体が直結しているんだ。だから感情や心を抑えられれば体をこわす。…」 「一人を丁寧に観ていることだ。そして子供の眼がいつもいきいき輝いているように導くことだ。それさえ出来れば、大人は簡単さ。 健康って何?

無窮のちから

赤ちゃんは、電話の音、外を走る車の音、廊下を歩足音にもビクッとする。その点、離れよりも、母屋の方が騒々しい。不安なのか、怖いのか、よく泣くし、眠りが浅い。 すると、おぢぢは音楽室に連れて行って、子守唄?をうたう、低い声で 無窮のちから

一つ

誰しも一度薬で治ったものは、その薬がないと治らないと思い込む。整体で治ってものは、整体を受けなければ駄目だと思ってしまう。それが何もしないで、よくなってしまうことはとても考えられないことで、だから不思議なのだ。 しかし一 一つ

自分を拠り所に

本屋で立ち読みしながら、パラパラとめくった『禅語録』の中から、 自灯明 法灯明 という語句が目にはいった。 お釈迦様が亡くなるとき、弟子のアーナンダが、 「私たちは、これから何を依りどころに生きて行ったらよろしいでしょう 自分を拠り所に

生き物を観る眼

赤ちゃんの観方で一番大切なのは、他から抱きとったときの重さの感じである。異常のおこる前は、その重さの感じがフワッと軽いし、充実してズシリとした感じのするときは調子がいいときである。これは物理できな目方の問題ではない。「留 生き物を観る眼