9月13日活元会後記 体の波について

9月13日活元会を行いました。 事前のふれこみでは坐禅・活元会だったのですが、わたしが前半しゃべりすぎたために坐禅の時間はなくなりました‥。 教材は野口晴哉先生の講義録より「体の波」を選んで音読をして、みさなんに聞いていただきました。 整体法(野口整体)というのは実践哲学です。 なので、実践と並行して知的理解の両輪が必要である、というのが当院なりのスタンスです。 「両輪」ですから‥ 左右の車輪のど …

9月 坐禅・活元指導の会

すっかりブログ告知を忘れていました。 9月の坐禅・活元運動の会を下記の日程で行います。 ■日程 ○9/12(木)10:00-12:30 ○9/22(土)10:00-12:30 ※13:00頃まで茶話会(自由参加) ■内容 坐禅は初心の方や不慣れな方は随時休憩を取りながら行ってください。 慣れている方しっかりと坐りたい方は時間いっぱい坐れます。 リラックスとゆるみが目的ですので、足がつらければ寝っこ …

8月25日活元会後記

毎月第4土曜日は坐禅・活元会です。 ご参加は比較的初心の方2名様でしたので、活元運動の準備動作をとにかく丁寧にやりました。 物事は何でもそうですが、準備、「仕込み」が大切です。 「仕込みが9割」です。 活元運動の場合なら、まずは呼吸。 「邪気の吐出法」という(ちょっと古めかしい名前ですが)、大きく口を開けて「はぁー」と吐き切る呼吸を最初にくり返します。 これで頭のはたらきを切り替えていきます。 と …

8月9日活元会後記

去る8月9日に坐禅・活元会を行いました。 なぜか前回と同じく台風の予報と重なりましたが‥。そして前回同様、予報に反して大したことはなく、みなさん無事にお集まりいただけました。 内容は脊髄行気から始まって、坐禅、野口整体の教材資料を使っての座学、そして活元運動です。 まずは脊髄行気について。 ちなみに「行気(ぎょうき)」というのは自分の身体のどこかに、呼吸を入れていくようなつもりで気を集める訓練法で …

8月 坐禅・活元指導の会

8月の坐禅・活元運動の会を下記の日程で行います。 ■日程 ○8/9(木)10:00-12:30 ○8/25(土)10:00-12:30 ※13:00頃まで茶話会(自由参加) ■内容 坐禅の時間はやや長めにとっています(30分×2)。初心の方や不慣れな方は随時休憩を取りながら行ってください。 慣れている方しっかりと坐りたい方は時間いっぱい坐れます。 リラックスとゆるみが目的ですので、足がつらければ寝 …

7月28日活元会後記

7月28日(土)は坐禅・活元会を行いました。 台風12号が南関東に上陸するとの報道もありましたが、開始と帰宅時刻にはちょうど雨足が弱まり、みなさん無事定刻にお越しになられました。 いつも通り脊髄行気から‥のつもりでしたが、今回は予定を変更し坐禅の時間を一部割いて座学からはじめました(久しぶりです)。 資料は野口先生の講義録「自然な健康とは(昭和49年9月 活元指導の会)」より、下はその一部抜粋。 …

整体の臨床を考える

ここしばらく野口整体とユング心理学の統合を謳っているけれども、改めて何をどうするのか訊かれるとなかなか上手く答えられない。 一つ言えるのは、ユングの提唱した「個性化」ということを整体指導の臨床で実現したいというのは外せない「ねらい」である。 ユングの言う「個性化(individuation)」というのは、俗にいう「個性『的』に生きる」ということとは別物である。その真意は、自分の原初的な〈こころ〉に …

『肚-人間の重心』を読む

しばらくユングを中心に心理学系の本ばかり読んでいたが、久しぶりにカールフリート・デュルクハイムの『肚ー人間の重心』に目を通した。 スピリチュアル・ブームも下火になって久しいが、いつの世も浅薄な精神論に偏ると身体性は堕ちる、というのがもっぱらの自論である。 身体性を度外視した精神論や思考活動「だけ」で心の全体に取り組もうとすることは適当な器を持たず水を得ようとすることに等しい。 個人の思考の方向性と …

7月 坐禅・活元運動の会

7月の坐禅・活元運動の会を下記の日程で行います。 ■日程 ○7/12(木)10:00-12:45 ○7/28(土)10:00-12:45 ※13:00頃まで茶話会(自由参加) ■内容 背骨の呼吸(10分)坐禅(40分×2)活元運動(45分) 坐禅の時間はやや長めにとってあります。坐りたい方は時間いっぱいしっかり坐れます。初心の方や不馴れな方は随時休憩をしながら行います。 深いリラックスをともなった …

空手コンステレーション

ふり返ってみると、自分で自分の人生を歩みはじめた第一歩は高1で空手の道場に入門したときではないかと思う。 あそこから身体・心理・人生に対する態度が大きく変わった。 とはいえその当時はなにが何だかさっぱりわからない状態で生きていたけれども、今にして思えば自分にとって武道は「補償」である。 それまで大分オタクな子供だったので肉体の鍛錬でバランスを取ろうとしたのだ。 そしてフィジカルに偏り過ぎた結果精神 …