ケルト巡り⑤‐レイライン

ドルイドや魔女に関心を持つ人たちには、イギリス・アイルランドに特別な場所があるという。それを「レイライン(Lay Line)」という。簡単にいうと地上のあるポイントに何らかのエネルギー場が存在し、それらを結んでいくと地図上に直線が浮かび上がるのだという。そして古代ケルトの遺跡や聖地の多くはこのレイライン上にある。

それは東洋でいう所の地脈や龍脈といった、土地に流れるエネルギーの概念に似たものかもしれない。現代風にパワースポットと言った方がよりしっくりいくだろうか。

本書を読んで私がもっとも感銘を受けて紹介したいと思ったのは、実を言えばこのレイラインについてであった。

著者の河合はこのレイラインで面白い実験をすることになる。それは一般にダウジングの名で知られているもので、2本のL字型の銅線(ロッド)の短い方を両手に1本ずつ持ち、強く握りこまずに長い方を水平、平行になるように持ったまま探査する場所を歩く。すると特定のポイントに差し掛かったところで平行にしてあった銅線が引かれ合うようにカチッと交差する。そこがレイラインの上だという。

何故そうなるのか、既存の科学では説明がつかないようである。そのためともすれば、全くのデタラメと断じる向きもあるようだ。もし磁気でもあれば鉄は吸い寄せられるが、銅線ではこの理屈も通らない。今のところは「物理的に人間が認知していないエネルギー場と引力・斥力が存在するのかもしれない」という推論に留まる。

先に述べたとおり河合はこれに挑戦することになる。その部分を少し長くなるが引用してみよう。

まず、NHKのスタッフのひとりがやってみると、ふわふわとしていた銅線が、ある地点に行くとパチッときれいに交差した。私は「僕はあきまへんで」と言ってやったところ、同線は重ならなかった。他の人はうまく重なったが、私のほかにもうひとり重ならなかった人がいた。それはNHKの音声係の人、つまり理科系の人で、私はその人に「あんたもあかんだろう」と言ったら、やはりその人もダメだった。

さらにそのあと私が「今度はいきまっせ」と言って同じことをすると、銅線はサッと交差した。フラフラ風に揺れていたのが、きれいに重なったのである。

これは私にとってとても興味深い体験だった。(『ケルト巡り』p.176)

一回目と二回目で異なる結果が生じた理由について、河合は自身の意識の在り方にあると述べている。河合は日本を代表する心理学者であり心理療法家であるが、もとは数学を専門とする理系の学者であった。物理学を科学の王様とするなら、数学は女王様と呼ばれるくらい、それらは強固な論理と客観性を具えている。そのような合理的な意識を強く働かせて「こんなバカなことはない」とか「科学的に見ても重なるはずがない」というようなことを強く思っていると、銅線は動かないのだという。

ところがユング派の心理療法家としてクライエントに会う時の様に、無意識な態度に自分を切り替えてもう一度試したら今度は銅線が見事に重なったという。

これはうっかりすると聞き流してしまいそうだが、よく考えてみれば国立大学の教授がかなり大胆な体験を語っている。科学の専門家が人間の心の持ちようによって物質現象が変わる(かもしれない)、と言っているのだ。

こういう話はともすれなおかしな方向に発展していきやすい。つまり人間の思ったことが現実になるのだから、念じたり拝んだりするだけで物事が上手くいく、と主張をする人などがでていくる。

しかし当然だがほとんどの場合がそうはならない。人がどんなに幸福を願っても不幸や厄災は避けられない。人類史上繰り返し疫病や自然災害が起こって苦しんできたがためにヨーロッパの人たちによって近代科学が創造され、これほどまで発達してきたのだ。

しかしこちらの記事でも繰り返し述べてきたように、近代科学では扱えないものがたくさんある。例えば人間の心や精神活動は視覚化できないため、心の病などは本来は近代科学の領分ではない。

心を客観的に科学で扱うことは不可能なのだが、それをどうにかしようとして、人間の「行動」を心の反映として間接的に心を扱う行動療法などが考案されてきた。

あるいは心の活動は脳内で分泌されるホルモンの分量や割合に依存する随伴現象であるとみなし、心の苦しみを訴える人に向精神薬などが処方されることもある。

しかし「心」という概念はあくまで「私」だけの主観的体験である。これは形而上的な個人的活動であり、客観的な物質現象とは別にして考えなければ社会生活がおぼつかなくなってしまう。

いっぽうで人間の想念と現実が全く分離しているかというと、全くそうだとも言い切れないような現象が我々の身の回りではよく起こる。

例えば今朝夢に出てきた人から久しぶりに手紙が届く、電話がかかってくる、といった現象などがそれである。あるいは「ケーキが食べたい」などと思っていると、家族や友達の誰かが持ってきてくれたりする。いずれも「そんなものはただの偶然だ」と一蹴することもできるが、古くから「虫の知らせ」といった言い回しが存在するように、確率論的に考えるとこうした偶然の生じる頻度は高いようにも感じられる。

果たして我々の心的活動は物質界に影響を及ぼす、あるいは物質界の現象が個人の心に入り込み同調して動くことがあるのか、ないのか。つまり主観と客観に連絡性があるか否かの判断は、非常に曖昧として判別しがたい。「レイライン」はその一つの具体例だとも言えないだろうか。

これについては河合は本書の中で次のように述べている。

レイラインは人間の主観と客観の交差する微妙なところにある、と考えるのが妥当ではないかと思われる。頭ごなしに否定してしまうのは面白みがないし、かといって「事実」として客観的な存在と同定するのは危険だろう。(前掲書 p.170)

実は整体法(野口整体)もこの「主観と客観の交差する微妙なところ」に存在している。どこだったかは失念したが野口晴哉が昔の講義録の中で「整体操法は対人関係の技術である」と述べていたことを記憶している。つまり同じ技術でも「誰が」「誰に」施すかで、結果が異なるのである。

また整体指導者が人に触れるための訓練として合掌行気(がっしょうぎょうき)という瞑想的修練を行う。これは正座合掌という形もさることながら、触れる人の精神状態を重んじる態度であり、先ほどのレイラインの話にも似ていると思えないだろうか。

さらに整体法には「処(ところ)」という、東洋医学でいうツボとか経絡のような概念がある。これもレイラインの話と同次元のものだと私は思うのだ。

つまり解剖学(物理)的には処や経絡には何も存在しないのである。例えば手の三里(整体でいう上肢第四調律点)という処は消化器とつながるツボとされる。ところが、なぜここを刺激すると胃や腸に感応するのかは客観的に実証できる材料は存在しない。つまり物質的な線、目に見えるコードのようなつながりはどこにも存在しないのである。

さらにツボとか処という場所はここがそれだ、という意識で触れないとわからない。またある程度訓練して意識や手の感覚がそのように育っていないと捉えることができないのも特徴である。つまり「こんなものがあるわけない」と思って暮らしている人には一生見つからないものである。

つまり「ある」という人にはあるし、「ない」と思っている人にはなくなってしまう。主観と客観が微妙に交ざり合ったところに存在するのが「処」であり「ツボ」なのだ。

こうしたことからも人間を観る時にはその人の精神状態を含めた「主観」が大きな意味を持つことがお分かりいただけるだろうか。

近年では健康診断で客観的に「問題ない」と言われた人が急に衰弱したり、死んだりすることがある。物理的に「見える」世界ではどこも損傷していなくても、物質現象以前の何かはもう壊れる方向へ動いていた、と考えることもできる。

このような見えざるものを観ようとすればやはり主観を磨くより他ないのである。しかし主観だけに頼れば、悪くすると独断や偏見にも流れやすく、これも危険である。

近代文明は客観的事実を重んじることによって急激な発展を遂げてきた訳だが、現代に至ってまた主観の価値を見直す必要に迫られているのだ。

中世以降、自然と人間を分離して対象化しコントロールすることだけを考えてきた人間が、近代に入りその切り離した自然との不調和に苦しめられるようになって来た。

このとき特に問題になるのは、この分断した「自然」というカテゴリーの中に自分自身の身体や無意識も含まれていることである。

現代医学は人体の研究には余念がないが、ある特定の個人のからだ、生きた心を持って絶えず変化する身体の複雑な動きの前では、科学的医療はしばしばその力を失う。

レントゲンや血液検査などによる「分析」を行えば行うほど、目の前の患者は客観的データの集積に変換され、生きた人間を見失うことになる。こうして医学は人間不在の物理的な実験の場へと変わっていったのである。

また「人間には無意識がある」という見方も、科学的には仮説の域を出ない。心の中で意識化できない領域を無意識とする以上は、そのようなものがあると仮定して理論を構築しているのが精神分析の世界なのである。

無論このような方法には客観性が犠牲になる。心理療法の「誰が、誰に行うか」によって異なる結果が生じるという属人性の高さは、レイラインの実験にも通じるものがある。実験者の精神状態によって結果が変わる、などということは科学を尊重する人たちからすると現実認識を歪める偏見や先入観に過ぎない。

しかし事実は事実として受けとめることが、本来の科学的態度というべきであろう。我々の意識状態によってこの世界が異なる解答を示す、ということが可能性として考えられる以上、心や精神といったものに対してもっと開かれた態度で検討する必要があるはずだ。

人間が自然や無意識と切れた状態で生き続けることが難しくなってきたとき、これらとの「関係性の中で生きている私」というものを考えることが大切なのである。

科学的には人間の存在価値や自分が生きる意味なども存在しなくなる。人間はそのような無価値観の中ではどっしりと、力強く生きていくことができない。物質的には豊かになったのに自殺者が増え続けている現実は、そのことを裏付けている。

自分の身体を拡大、延長したものとしての世界、そして自分の心を包み込む宇宙としての無意識、こうした自分を超える大きなものとの見えざるつながりを感受することが心の安定につながってくる。これらとのつながりを保ちながら、客観性を駆使して目の前の現実に対処していく能力が現代に求められているように思うのである。

ケルト巡り④‐ドルイドと魔女

ドルイドとはかつてケルト人が信仰していた自然崇拝を実践する宗教の司祭のことである。アイルランドではこのドルイドを復興しようという運動が起きているという。

また今のアイルランドには魔女もいるのだという。といっても古い童話やSF映画に出てくるようなおどろおどろしい「魔女」ではなく、現代にマッチする形で「witch(ウィッチ)」という看板を出し、相談料金まで掲げて開業しているというから面白い。というよりも魔女に対するおどろおどろしいイメージ、あるいは悪や負の印象が付与されたのはキリスト教伝播の影響ではないかと著者は推察している。

魔女だとちょっとピンと来ないかもしれないが、日本でいえば明治維新前までは同じ呪術を扱うものとして修験道を行じる山伏がいた。彼らは加持祈祷によって療病や厄除けを行っていた点において、ヨーロッパの魔女にも少し似ているのではなかろうか。かなり大雑把にいえば、現代でいうところの町医者と占い師と宗教家の役割を山伏が担って、近隣に住む人々の悩みを請け負っていたのである。

中にはいかがわしいものが混在していたかもしれないが、近代化以前の日本人はこうした民間信仰の力によってある程度心身の安寧を得ていたとも考えられる。

しかし幕末から明治にかけて西洋列強の勢力に抵抗するために、彼らと同質のパワーを早期に身に着けなければならなくなった。そのため欧米の文化を猿まね式に模倣していったのである。

為政者が欧米式の唯物主義、合理主義を国内に浸透させようとするときに、客観性が乏しく効果を視覚化しづらい呪術行為が市井に跋扈しているのは好ましくない。よって日本の新政府は法令によって修験道を禁止したのだ。つまり山伏たちの行う民間医療や加持祈祷が違法になったのである。この法令により当時17万人とも18万人とも言われた山伏たちが離職を余儀なくされた。これはキリスト教が広まっていく中で魔女が異端視され、排他されていった過程にも重なる。

修験に関してこれ以上の詳しい説明は省略するが、ここで伝えたかったのはキリスト教文明の持つ論理性と排他性の強さである。中世の魔女狩りがその象徴だが、〔神-人-自然〕という形で世界を峻別するキリスト教のドグマは、やがて自我を中心に他を分析的に理解していく自然科学を生み出した。科学を主要パラダイムとする民族は外界に漂う曖昧な闇を次々と知の光で切り拓いていく。そして自我の欲望を充足するために自然界の中に割り入って突き進んでいくのである。

しかしこのような態度は自然を過度に浸蝕・破壊したり、人間関係においても衝突を激化たりすることが、世界中のあちこちで引き起こされる問題によってわかってきたのである。

このような経緯を踏んで、ヨーロッパの中から上記のような問題を察知してキリスト教以前の文化であるドルイドや魔女の行いに学ぼうとする人たちが現れたことは、キリスト教を中心に描かれてきた西洋史上において大きな出来事なのである。

このドルイドと魔女を結ぶ共通項は、自然科学の及ばない分野を補完する立場にあることなのだ。

そもそも「人間が生きていく」ことに不安はつきものである。この世界はさまざまな活動が複雑に絡み合い、人間が自我を確立して生きて行こうとすると多くの障害にぶつかる。

このような時に自然科学を持たない文明であれば「自分を超える大きな存在」に頭(こうべ)を垂れて、我を慎み、多少は自分の欲求を叶えることを考えても最終的には目に見えない大いなる流れに委ねて生きようと考える。

しかしキリスト教から生じた近代科学文明は神の権威を内部から崩壊せしめ、神に代わって人間が思い通りにこの世界を操作しようとし始めた。この世界の不可解な現象について、分析を駆使して因果性を明らかにし人間の思い通りにコントロールしてきたのである。

これはある面で成功を収めているわけだが、一方で大規模な自然災害や特定の病気、そして老いと死といった事象にはその力が及ばないことも分かってきたのである。

現代はこのような諸所の問題に直面しており、我々は自然科学とは別のパラダイムで思考することが要求されている。

例えば大昔はカミナリは神の仕業だと考えられていたものが近代になると電気であることが判明した。そして我々はその電気を駆使して高度な文明生活を築き上げている。しかしその電気を生み出す原子力発電所が津波で破壊され我々の生存を脅かすとき、現代人の生活が自然からあまりにも逸脱していることに疑問を持つこともあるだろう。

あるいは、少しでも死を遠ざけようとして進歩してきた医療処置が積み重なり、最終的に体中チューブだらけになって「延命させられている」患者を前にしたとき、我々は「医学の進歩」に疑念を抱かずにはいられないはずである。

つまり自然とは何か、人間が生きるとは、幸福とは何か、といった人が生きる上での根源的な問いに対して自然科学は思索する術を持たないのである。これらは自然を人間の下位に置き人間が統制すべし、というキリスト教の世界観の延長に生じた自然科学の視座から死角になり続けてきた事象なのだ。

ドルイドの復興活動に勤しむ人や魔女に相談を依頼する人は、人間と自然界との間に生じる軋轢や、人生上に次々と起こる不条理な問題に対して科学とは別の系から導き出される「答え」を求めているといってよいだろう。

こうした態度は日本で野口整体を求める人の中にも見ることができる。ただし日本の場合は自然と人間の対立構造が欧米のそれと比べるとそれほど堅固でないために、整体の在り方にも始めから親近感を覚えやすい。

これは一見するといいようだが弊害もある。例えば「何となくいいから」という感じで整体法に近づき、その論理性や合理的なパラダイムを深く理解することのないまま実践している人が少なくないことが挙げられる。

自然と親しみ、共生するという在り方は東洋文化において古来より行われてきた態度であり、その点で日本は欧米よりも先駆的立場にある。しかし我々日本人がヨーロッパやアメリカの人たちに対して強い説得力をもってその有益性を示せるかと言えば、そのようなことは決してないのである。

我々は明治以降、自国の文化の特徴を論理的に理解することのないままに、欧米文化の上澄みに生じた自然科学だけを流用してきたにすぎない。その恩恵については多くの人の知るところだが一方で自国の利点を見失い、また新たに取り入れた西洋近代文明の精髄である科学を駆使するうえでもそれにふさわしい精神的支柱を持ち合わせていないのである。そのため一民族としては大変不安定な状態にあることを認識すべきだろう。

本書の中で河合は「日本人は両方やらなければならない」と述べている。つまり西洋人のような論理的な近代自我を強化しつも、日本人なりの無意識とのつながりを保持するように努力すべきだと強調しているのだ(p.192)。私はそれに加えて、かつての日本人が具えていた身体性も復興させるべきだと付け加えたい。

ヨーロッパやアメリカの人たちが自国の文明の限界を察知してキリスト教以前の文化から学ぼうとしているときに、我々日本人は現状の豊かさや利便性に甘んじてあまりにも安閑としているように思われるのである。

日本人が整体法を深く理解するためには我々が現在浸っている自然科学のパラダイムを今一度突き放して客観的に理解するプロセスが不可欠なのだ。もしそうでなければ、少し前に流行った「スピリチュアル」のように軽薄な観念の遊戯に堕ちてしまいかねないのである。スピリチュアルを否定はしないのだが、西洋人のような強固な自我や合理性を持たない日本人は目の前の現実から観念が遊離しやすいため、そのようなものに取り組む時にはよほどの注意が必要なのである。

本書の終盤には「広い世界観」の項の中には「近代西洋が生み出した自然科学だけでは、もはやダメなのである。それを超える世界観、人生観を持っていないと、人は幸せにならない。(p.211)」と記されている。

ここで大切なことは筆者は何も自然科学がダメだとは言っていないことである。先にも述べたが両方必要であり、相乗的に活かす道を開拓するのが今後の課題とも言えそうである。

科学がダメだから未科学の分野に回帰する、というのはやはり人類史としては退行である。科学を超えたものの見方、というものを我々は開拓する必要があるのだ。

野口整体もともすれば退行と混同されやすい。が、こちらも科学を否定はしていない。目の前の生きた人間を見極めようとすると、どうしても科学の及ばない超科学的領域が自然界にはあることを無視できないし、また科学的視座によってかえって目がふさがれてしまうことがあることを示唆しているのである。

野口整体に上のような誤解を持たれる方は、『ケルト巡り』を読まれると正しい理解を助けになるのではないかと思う。(つづく)

ケルト巡り③‐安易な平和論

河合隼雄がアイルランドを訪ねる旅の前に、偶然別の案件で首都ダブリンに行く用向きができたという。

それはあるアメリカの大学が主催した国際的な会議であった。当時(2001年)は世界のあちこちで「ダイアログ・アマング・シビライゼーションズ(文化間の対話)」という概念が注目され始めていたさ中である。

それまでの世界は(現在でもそうだが)アメリカに代表されるキリスト教文化圏に利権が集中していた。その結果彼らと権益を共有できない対立的立場にある国や異なる宗教観を持つ民族との摩擦や衝突が絶えず、国際情勢は波乱の予兆を匂わせていたのである。

こうした不安定さを解消すべく異なる文化の間で「とにかく話し合うこと」が大切だ、という考えが自然に生じてくるのもうなずける。これについては著者である河合も常日頃考えていたことでもあり、今回折よく招かれスケジュールの都合も良かったために参加の運びとなったのである。

しかし大きな期待を胸に会議に出席してみると、その内容は著者からして到底満足のいくものではなかったという。本書よりその部分を下に引用する。

そこに集まっている人たちの意見は、言ってみれば「人に親切にすることはいいことだ」といった類のことなのだ。考えてみたら孔子さんも言っておられる、キリストさんも言っておられる、コーランにも書いてある、と。(中略)「これだけ共通点があるのだから地球上の人は平和に楽しく暮らせるのだ」という結論に導こうとするのである。

私に言わせれば、そんなのは当たり前のことだ。仏典や経典には「不親切にするのはいいことだ」などとは滅多に記されていない。

私はこの会議にあとから入っていったひとりだし、しかも英語が下手なので言いにくかったのだが、思い切って自説を述べた。「そんなことを言ってもダメだ、話が甘すぎる」、「そんな認識では、いつか変なことが起こりますよ」と。しかし参加者たちは「お前アホちゃうか」という冷たい視線を私に向けるだけである。

結局、どうしても話の流れに乗ることができなかった。「人類はひとつだ」とか「平和だ」と言ったところで、そんな言説はほとんど効力を持たないのである。そういう結論を出すのは勝手だし、「そうだ、人類に平和を」と言うのは結構だが、あまりにも安易な話し合いの内容に幻滅したのだった。平和はもちろん大切だ。しかし余程掘り下げた議論をしないと意味がないのだ。

それから二年を経ずして、アメリカとイラクの戦争が始まった。(『ケルト巡り』pp.90-91)

このような話し合いがアメリカ国内から発案され、実施されたことは意義深いことである。しかし、そもそも平和の概念が抽象的なので内容もいきおい具体性が乏しくなるのはやむを得ない。

また戦争の対義として平和が置かれることもあるが、平和を実現しようとする心にもすでに対立が生じているのだからこれは適当とは言えないだろう。会議上で河合に向けられた「平和論者の冷たい視線」はこの矛盾をよく表している。

一般的に平和という時はだいたい頭の中にある空想の産物を指して言っていることが多い。だから平和について話し合おうと思ったら各々よほど深堀りした考えを持参しないと観念の遊戯で終わってしまう。

体を観ている立場からすると、平和には頭の中に作った観念と体の裡から生じてくる内観現象に分けられる。後者は「平安」などとも言い換えられるが、我々が本来目指すべきはこちらの方ではないかと私は考える。野口晴哉はそのために「深い息をせよ」といったのだ。

平和は自分以外の誰かが作るものではなく、ただ自分がそう「ある」ことだが、ここに身体性ということが大きく関わってくる。いくら口先で「平和を…」といったところで、平和を自認できる脳の活動状態とそれを支える身体性が乏しければ「それ」を実感することは不可能である。

体が整っているとその体で感受できる世界も自ずから静謐なものになる。こうなれば意識は「ただ、ある」という無感覚の起点に鎮座するので、このときはじめて感覚なき感覚として「平和」が体得、体認されるのだ。

ただ一口に体が整うといってもそこに客観的基準を定めることはむずかしい。平和はあくまで主観的事実なのだ。その中で「息が深い」ということは一つの指標になることは確かである。

ただし息が深いことと深呼吸をすることは別である。深い息はラジオ体操の深呼吸のような意識的動作では成し得ない。自然と「そうある」ことが大事なのだが、そこに身心を越えたある種の平衡状態が要求されるのだ。

こういうことを無視して現世利益的に平和について考え、争いや対立をなくしましょうというのはかえって余計な煩労や諍いを増やすことになりかねない。繰り返しになるがこうした話し合いがアメリカの大学から希求されたのは有意義であり、かつ示唆的である。

河合は本書の中で「アメリカはヨーロッパ的なものがもっとも先鋭的になって現出した、とても合理的な国」と称している。また「人間が自然を支配して操作して、自分の欲することを実現してゆく傾向を極限にまで推し進めていった国」とも言っている(『ケルト巡り』p.19)。

この「人間」とか「自分」から出発したものの見方をあえて西洋的として括るなら、世界のどこにも中心を置かずに山川草木とか神羅万象といった大宇宙の中に自分がぽっと生かされている、と考えるのが東洋的感性である。また現代は西洋・東洋という二元構造だけでなく、中東に代表されるイスラム圏の世界観や身体性をも視野に入れて考察する必要も高まっている。

そもそも「話し合う」ということ自体が欧米的手法あり、このような方法のみに頼っているかぎり、その言語活動を支えている身体性の違いや意識以前の世界などは死角になり続ける。

こうしたキリスト教文化圏以外のものの見方を発信するためにもやはり言語は重要である。しかしこうしたことを広く視野に入れつつ、また然るべき訓練によって対立を越えられる身体性を備えた人物によって話し合いがなければさしたる成果は期待できないであろう。

このような問題に対するとき、長きにわたって東洋圏に属しながらいち早く近代化した日本人に期待が寄せられる向きがあるが、多くの日本人が自国の文化や身体性を客観的にどれほど理解してるかというとこれも疑わしい。

グローバリゼーションが提言されて久しい現代において改めて西洋とは何かを問い、近代化以降の日本人の動向がどのようなものであったのかを再考することは、これからの世界を生きる上で大きな意義を持つことを筆者は示唆している。

我々に求められることは先ず知ることであろう。そして指針を見出し、身体を通じて実践することである。野口整体が唯一の方法ではなく、身体というもの、そして意識や精神というものに丁寧に向き合う時間を大事にすることは現代を「豊かに」生きるためには欠かせない営為なのである。

なぜラジオ体操をすすめないか

『ケルト巡り』に関する話の途中だが、少し気になる記事を目にしたので記憶から流れ出て行かないうちに書き留めておこうと思う。

タイトルの「なぜラジオ体操を…」は津村喬による『東洋体育の本』(別冊宝島35 1988年)からの引用である。

いつごろかは定かでないが、ここ数年ラジオ体操がブーム再燃という噂を耳にした。特に最近はコロナ禍の運動不足解消という目的と相まって主に中高年層を中心に実践される方が増えたという。

断っておくがこの記事は「私はラジオ体操をすすめない」という主張が目的ではない。職種や生活習慣にもよるけれども、現代人は概ね運動不足が問題視されて久しい。そのためラジオ体操のような画一的なリズム体操でもやらないよりはやった方がマシ、という人は少なからずいることは確かだろう。

ただ私の目を引いたのは「ラジオ体操をすすめない」といった津村氏の主張がなされたのが1988年という、かなり早い時期であった点である。

88年というと私は小学5年生、毎週月曜日に校庭でラジオ体操して校長先生の話を聞く、という生活をなんの抵抗もなく送っていた。この時に「こういう運動はそもそも…」という批判を聞いても、「変わったことを言う人がいるな」という程度でさして響かなかったのではなかろうか。

ちなみにラジオ体操が今の形に落ち着いたのは1951年まで遡る。以来その効能の是非については大きな批判はもちろん、さしたる点検もなく実施されてきた歴史が伺える。【ラジオ体操】歴史(起源~現在)を解説!最初に広めたのは誰?

津村によるラジオ体操の見解がいかなるものか、少し長くなるが以下に引用する。

日本の近代社会にあって、ラジオ体操の占めた位置は大きなものでした。それは西欧的な体育館にもとづくからだの使いかたを普及しただけでなく、ラジオを聞いてその言うとおりにからだを動かす習慣を定着させました。

ラジオ体操にも博物館に入ってもらっていいころだと思います。筋肉にはずみをつけて動かすことで、弾力性はある程度ついても、進展性、柔軟性、持久性はつきません。NHK文化の中でさえこれへの反省が進み、アメリカから来たストレッチングが大流行です。

しかし、各人のからだの個性に合わせたものを、「からだの言いぶん」にもとづいて作っていく姿勢がないので、まだ笛を吹いて号令をかけてやっています。

体育とは、個体化=個が全体性を回復していくひとつの道なのです。そこを抜きにした画一化のための体操はすべて反動的なものです。(『東洋体育の本』p.126

当時の時代性を考えれば、この津村による指摘は注目に値する。

実はこの視点は野口整体と無関係なものではない。同氏は『気で治る本』(別冊宝島220 1995年)の企画・構成にあたり、野口整体の紹介にかなりのページを割いて詳らかに解説をしている。本書によれは津村は若かりし頃に整体協会にも入会し、活元会にも出席していたことが記されている。(同書 p.116)

そもそも私のような整体法を専一に実践している者からすれば、津村氏は野口整体とは畑違いの出身でありながら整体法の真価を直感的に見抜き、擁護、普及に努めた一人であり、「恩人」的感覚を抱いている。

若くして東洋の医学や身体文化に深い造詣を示し、当時の国際情勢によってスタンダードと考えられていた欧米の文化に対して客観的な評価を下せる稀有な人材の一人だったと言えるだろう。

斯くして「個人を無視してはいけない。治療であれ養生法であれ各人の個性を理解し、個に特化した方法を都度構築しなければ、真の治療も教育(からだそだて)もできない」という主張が半世紀以上前からなされているのである。

しかしながら現代は依然として十把一絡げ式の画一的な方法が横行している。ましてや没個性の具現ともいえるラジオ体操の人気が再燃しているというのだから、この問題はなかなか根が深い。

誤解のないように繰り返しておくが「ラジオ体操が間違い」だとか、「やらない方がいい」という話ではない。それはそれで意義はあるけれども、生きた人間のからだ、個人のからだ、わたしのからだを育むためには、それだけではまかないきれない部分があることを忘れてはならないのである。

スポーツも同様である。体育やレクリエーションとして優れた面を持つ一方で、勝敗や記録に拘る余り怪我や故障といった問題が尽きない。それは客観的評価という外のものさしに合わせて動こうとするあまり、自身の内なる感覚を無視した無理な動作が繰り返し行われることが原因として考えられる。

ラジオ体操のような万人向けに定められた形を忠実に行うときには、身体内で展開する主観的事実にも開かれた心を持つことが肝要なのでる。

例えば自分の脈や呼吸の快・不快といった事実は客観的にとらえることは不可能である。例えば持久走などは「苦しい」という主観的事実に理性で立ち向かい、いかに走破タイムを縮めるかが主眼となる。これを東洋的な身体観に照らせば、生活とは無関係のところでただ速く走るために走るなどという行為は不可解と考えられる。

「苦しい」というのは走るスピードを緩めよという「からだからの言いぶん」なのである。からだの要求に従うことは大自然の秩序に対し頭を垂れることであり、自然を人間と同等かそれ以上にみる東洋においては謙譲の美徳とさえ考えらえる。しかし西洋的な自然観に照らせば、「苦しいから走れない」という事実は自分よりも下位に位置する自然(肉体)に屈服することであり、人間としての意思薄弱を意味する。

身体を自然と同一視した場合、東洋では身体は自然からの賜りものであり畏怖と畏敬の対象であるが、西洋では早くから身体を意識と肉体に分け、この肉体の生理的はたらきや動作を理性でいかに統制するかを考えてきたのである。

日本は明治の開国以来この東洋的身体観と西洋的な心身分離の思想が併存する雑種的文化を形成してきたと言えよう。普段はスポーツを含め科学的な体育や医療が標準と考えらえているが、ひとたびその有効性や論理性が疑わしい場面に出くわすと、東洋的な自然観や身体観が表出してくる傾向がある。

この場合、どちらが正しいとか優れているかということよりも、主観と客観を明確に分けて理解することが肝要である。具体的にいえばラジオ体操を行う時にも「からだの言いぶん」に傾聴するように静かな意識で行なえるとよい。

そもそも人間が意識を使わずに生活するなどということ自体が不可能である。だからこそ人間にも意識以外のはたらきがあることを自覚し、これを主体的に訓練する必要性を野口整体は一貫して主張してきたのである。

安易な発想だがラジオ体操の後で偏り運動を正す意図で活元運動を行うと面白いかもしれない。あれはよいけれども、これはダメ、というのではなく互いに補償し合う関係として相乗的に活かす道を開拓することが大切である。こうした西洋・東洋に関する発想は河合隼雄のものでこれについては『ケルト巡り』よく記されている。

このような視点で観ていくかぎり近代文明上に生じる様々な問題を立体的に捉えることができる。意識以外のはたらき、潜在意識や無意識といかに付き合っていくかということが現代をよく生きるための鍵なのだ。

ケルト巡り②‐物語と意識

ケルト文化のエッセンスの一つとして「自然との共生」が挙げられる。我々日本人からすればすぐに「それは結構なことだ」といった感覚を持てるが、人間と自然の間に強い分離を認めているアメリやかヨーロッパの人たちからすると東洋人とは異なるセンセーションを覚えるようである。

こうした自然と人間との関係性の違いは、キリスト教以降のおはなしとケルトのおはなしにも表れていると述べている。全般にキリスト教伝播以降のヨーロッパの物語はハッピーエンドのものが多い。典型的な「おはなし」とは、「男性の主人公が様々な苦労を重ねながら、最後には女性と結婚する」ものだという。

これに対して日本の場合は「つるの恩返し」や「羽衣伝説」の様に一度結ばれた男女がまた別れてしまうものが存在する。また「浦島太郎」などは竜宮城に行って乙姫に会ったのに結婚もしないで帰ってくる。そして禁を破ったためにおじいさんになってしまう。実はこれらのおはなしに似たものがアイルランドにも残っている(本書 pp.46-48 前者は「オダウド家の子どもたち」、後者は「オシン」と共通点を持つ)。こうしたおはなしをキリスト教以降の物語を基準に解釈しようとしても不可解なことが多い。

河合はスイスのユング研究所で昔話の講義を受けた時に、西洋の英雄譚は心の中における自我の確立に呼応したものであることを学んだという。その解説にあたる部分を下に引用する。

それは「自我」が自分の「無意識」からいかに離れ、自立してゆくかという心理的過程を反映していると見る。自分の「無意識」からの自立は外的には両親からの自立でもあるので、それを象徴的に示すものとしての、心の内界における「父親殺し」「母親殺し」と解釈できるようなことも生じる。それらを達成したが、「自立」して「孤立」にならしめないためには、一度切り棄てた無意識との関係を回復しなくてはならない。あるいは両親を含めた他の人々との関係の回復が必要である。そのことが、女性との結婚という形で象徴的に示されると考える。これが典型的な、西洋近代に生まれた「自我確立」のおはなしである。(本書 p.44)

ところが先に挙げたように日本のおはなしには、上のような筋を持たないものが多数存在することに河合は気づく。このことから西洋近代の自我を中心とした在り方と日本人の心の構造の違いについて考える契機を得たという。そしてアイルランドの物語を読んだときも、日本の物語にも通じるものがあることに気づき、キリスト教の特徴とその強い影響力を知ることとなった。

キリスト教は西洋における近代合理主義精神の父である。「神‐人間‐自然」といった序列でこれらを明確に区別したことで人間は自然を対象物として研究し、後に科学を生み出した。この「科学的な」ものの見方や考え方を確立したことによって、人間はある面でハッピーになったことは否定できない。具体的にはペストや天然痘、ライ病などを克服し、人々を漠とした恐怖や不安、死から救ったことなどが挙げられるだろう。

この事例から人間が知恵と努力を重ねれば、物事は必ず好転する、といった考えが醸成されてきた。そしてこのような考え方が先述したキリスト教以降の物語の雛形となり、現代まで引き継がれている。

しかし人間がいくら努力したところで克服できない問題はこの世にいくらでも存在する。例えば東洋の釈迦は「生老病死」を人間の四苦と表したが、こうしたものの中にも科学で克服できるものと、そうでないものがあるのは自明のことである。

既存の科学で克服できない問題に直面したときでも、今までは科学的な「ものの見方(パラダイム)」の中で頑張ってきた訳だが、20世紀の後半になると、いくら頑張っても解決策が得られないものがあるように感じられてきた。

そこで「これまで完全と思われてきた自然科学のパラダイムにも、欠陥や非合理があるのではないか」という考え方が現代には要求されているのである。20世紀初頭までは欧米の人たちは自分たちのキリスト教の文化を至高に据えていたが、先述した理由からそれ以外の文化について思いをいたすうちに自分たちの足下にあるケルトに関心を寄せるようになったという(本書 p.30)。

日本の場合はこのような明確な図式を意識する人は少なそうだが「西洋医療では納得がいかないから野口整体へ」という考えを持つ人も、上と似た構図ではないだろうか。

ただ日本の場合は欧米人のような強固な合理主義を具えた自我を確立している人が少ないために、常識とは異なる不思議なものにふわっと吸い寄せられているだけの人も少なくない。「なんとなくいいから」といった感覚で整体に取り組んでいる人は、他かにも何かよさそうなものが視界に入ると同じように理性の検疫をすり抜けて流されてしまうように思われる。

日本人のこのような態度に関して、河合は西洋で盛んになりつつあったトランスパーソナル学会を日本で開催することになった際、次のような懸念の言葉を吐露している。

たとえば日本人でこのような話題にすぐに飛びついてくる人には自我の弱い人が多い。また、夢分析の場合でも、根源的なイメージに満ちたような夢を見ても、それと正面からぶつかってゆく個人としての倫理性、あるいは責任性が極めて稀薄なために、せっかくの夢を、生きることの本質と関わるものとして受けとめてゆけない人がいるのも事実である。(『河合隼雄著作集第11巻 宗教と科学』p.26)

この夢に対する態度は野口整体に置き換えても同じことがいえそうである。整体法の不思議に見える外観や目新しさだけで取り組んでいる人の多くは、その深い理念に基づいた種々の技法を、自身が生きることの本質と関わるものとして受けとめられない傾向があるように思われる。

現代において整体法をよく理解するためには、我々日本人も西洋近代の合理主義精神を理解することが大いに役立つのである。これによって両者のコントラストが際立ち、整体法の輪郭もより明確になるはずである。

これは西洋が破綻したから東洋が正しい、などという二元対立の論法ではない。西洋が近代化以降見落としてきたものが、キリスト教以前の文化には埋もれて現存している。それを我々は再認識し、両者の特性を理解して止揚させる道を開拓できれば身心はより高次の平衡状態を築くことができる、という希望的仮説といえよう。(つづく)

ケルト巡り①‐人間における自然とは

前回からの続きとして河合隼雄著『ケルト巡り』について書いていくことにする。

初出版が2004年の1月30日とあるから、およそふた昔前の本ということになる。当時としてはだいぶ前衛的な内容であったと思うが、いま読むことにも大きな意義があるだろう。

令和になって6年目を迎えた現在の日本は依然として西洋近代的なものの見方、そして価値観をベースに生活をしている。

具体的にいえばそれはキリスト教の霊肉二元論を背景に持つ(このように「意識」している日本人は少ないが)物心二元論、そしてそれに付随する機械論的世界観である。

我々日本人もこうした価値観や世界観を「当たり前」として生活しており、その高度な合理性や利便性から生じる恩恵は計り知れない。だからひとたび自然災害などによってこうした近代文明の仕組みが崩壊すると、普段浸っている近代文明の恩恵を自覚すると同時に、その構造的な脆さについても痛感させられるのである。

考えてみればどのような文化、文明においてもその利点と限界、そして問題点があると言えそうだが、近代以降急激に台頭して来た欧米的な価値観と世界観(以後これらをひとまとめにパラダイムと記す)は高度な合理性やパワーを兼ね備えているために一見すると完全無欠のような印象を与える。そのため航海術の進歩によりヨーロッパ諸国が他国に進出すると他所の文明を呑み込むように拡大していったのである。その過程で多少の問題点が顕在化しつつも、現在に至ってなお世界を席巻しているといっていいだろう。

これに関する記述として本書から次の部分を引用してみよう。

物事を研究したり論文を書いたりするときに私たちは、どうしてもヨーロッパ近代の考え方から逃れられず、そのパターンに従ってしまいがちである。言うなれば私たち現代人は、知らず知らずのうちに、キリスト教が生み出してきた文化を軌範として思考しているということである。<中略>

…しかし、現代のわれわれを取り巻く状況を考えた場合、それだけでは世界を一面的にしか捉えていないと言わざるを得ない。これからは「無意識」的なことへの視野も含めて、世界の在りようを考えていかなくてはならないと、私は考えている。河合隼雄著『ケルト巡り』NHK出版 p.8,9

およそこの辺りまでは前回の記事の重複になるが、こうした西洋近代的なものの見方だけでは解決のつかないものとして、人間における幸福や苦悩といった心の問題や死が考えられる。

科学では視覚的に捉えられない事象は死角になり、研究の対象足りえない。人間にとっての心や死などはまさにその典型といえるだろう。西洋近代のパラダイムは唯物的であり、ともすればそれは無機的になりやすいのである。

その結果、我々が幸福について考える時は知らず知らずのうちに物質的な豊かさにのみ傾倒しがちである。換言すればそれはおカネやモノの追求に集約されるが、これらをどれほど所有しても「幸福」になれないばかりか、むしろ多くを所有したことによって「不幸」に陥ったり、あるいは死という厳粛な現象の前ではそれらがあまりに無力であることを思い知らされたりする。

また死にまつわる現象として病気が考えられるが、これら病気に対しても科学は数々の有効な対応策を持っているが、それとて万能ではない。

例えば記憶に新しい新型コロナウィスルによる肺炎が猖獗した折にも、先進諸国はこぞって対策を講じたが、それらがどれほど奏功したかは疑わしい。

もちろん様々な対応策の効果が全くなかったとは言いきれないが、最終的には猖獗の波が去るまで待つより他なかったのではないか、といった結論さえ思い浮かぶ。

こうした問題の根底にあるものとして、西洋的な自我を中心にした考え方、そしてその自我から切り離された「無意識」や「自然」に対する見方や付き合い方が考えられる。

これについて河合はユングによる次の一節を引いている。

ユング(1875-1961)の言で私の好きな言葉に、「ヒューマン・ネイチャーはアゲインスト・ネイチャーである」というものである。ヒューマン・ネイチャーのネイチャーは「性質」を意味し。アゲインスト・ネイチャーのネイチャーは「自然」を意味する。

この言葉が示すように、人間の特徴は、その存在が自然の一部であるにもかかわらず、自然と切れる傾向を持っているところにある。同書 pp.17-18

つまり人間は動物でありながら反自然的な行動を取る、これはどうしたことか、というのである。

ここで改めて「自然とは何か?」ということを考えなければならなくなるが、筆者は別の著書で近代の日本がネイチャーの訳語として「自然」という言葉を当てた点を視野に入れて次のような考察をしている。

キリスト教文化圏におけるネイチャーとは人間以外、もしくは私以外の外界を指す意味として用いられる。そしてここでいう「私」とは、デカルトによって確立された我思うの「我」、つまり自己の中でも意識を中心とした自我を指している。自我と自己について

ところが明治までの日本は東洋的世界観の中で純粋培養されてきたため、西洋流の自我から切り離されたネイチャー(≒自然)といった概念はそもそも存在しなかったのである。

つまり近代以前の日本人からすれば人間も自然の一部であり、「自分」は見えざる大きな流れの中で生かされている、といった感覚を多くの人が持っていたのではなかろうか。この時自我は西洋のように確立して自然と対立したり支配したりするものとはかんがえられない。むしろ東洋において我は慎み忍ぶものであり、無我こそを至高に据える傾向が強かったように思われる。

それが近代化以降欧米のパラダイムを受容していき、僅かにではあるが自我が芽生え自然から遊離し始めたのである。しかしヨーロッパやアメリカの人たちの様に、自我が完全に自然から切り離されて神とのつながりによって安定を求めなければならない程ではなく、自然(ここでは外界や無意識)の中から浮島の様に自我が顔を出したかと思えば、すぐに埋没し、他と溶け込んでしまう性質を持っているのが日本的自我の特徴である。

この他者や外界とふわっとつながっている、あるいはつながれる感じが日本人の特徴だとすると、これと同様のものを筆者はヨーロッパの中でもアイルランドの人たちからは感じるのだという。

しかし筆者はただ欧米人と日本及びアイルランド人をただ対置させるだけではなく、深いところではお互いに共通のものを持っているのだという。その中で自我を重視して生きていくのか、無我を大切にして生きるのか、といった風に強調する面が違うだけで、欧米の人たちにも日本人のような感性を発揮することはできるし、日本人でも欧米人のような合理的な自我を確立することも可能なのである。

例えばヨーロッパの歴史上にもルソーやゲーテのように自然との融和を主張する思想家がいるかと思えば、日本人の中にも欧米の人たちと同じ次元で議論を交わすことができる人たちが増えている。

この場合「どちらがいいか」ということではなく西洋と東洋の性質の違いということを知ったうえで、自分は現在どのような生き方をしているのか、あるいはどのような態度が欠けているのかなどを俯瞰できるようになると、現代を生きていくうえでは非常に有益なのではないかと私には思える。

日本人が欧米の在り方を学び、欧米人がキリスト教以外の文化を知ることで何が得られるのか、具体的には思い浮かばないが、「混迷の時代」などと言われる昨今にあってこうした構図を知らずに生きることは羅針盤のない航海に等しいのではないかとすら思うのである。

「いかに生きるか」ということを考える時、全体の中での個人の在り方、そして私にとっての公というものが明瞭に把握できることが望ましい。このようなことを省察するうえで本書は有用な手引きとなるのではないかと、私には思えるのである。(つづく)

ケルトとナバホ

一ヶ月くらいかけて河合隼雄の『ケルト巡り』と『ナバホへの旅』を読んでいた。こちらは著者がNHKの企画でアイルランドとアメリカ先住民の住むナバホを訪ねた時に書かれた随想録のような本である。

『ケルト巡り』
『ナバホへの旅』

河合隼雄と言えばユング心理学を日本に広く知らしめた心理学者、心理療法家としての認知度が高い。しかし同氏はそれだけにとどまらず、「個人の心理」を飛び越えて広く日本人全体のこと、さらには人類全体にまで視野を拡大して「こころ」や「たましい」について考え続けた学際的な学者の顔も持っていたことでも知られている。

晩年は文化庁の長官も務めながら「日本人全体のカウンセリングをしている」などと言われていたことを知ると、上に書いたことがより理解できるのではないだろうか。

さて上記の二冊は順番として先ずアメリカ先住民の里であるナバホを著者が訪ね、次にアイルランドのケルトにも向かったのである。こちらのブログでは順序が逆になるが(私の読んだ順番がそうだったので…)まず『ケルト巡り』の方から先に感想、というか感ずるところを書いてみようと考えている。

そもそも事情を知らないと「心理学者がなぜそのような地に赴いたのか」という疑問が湧くが、これについての説明も冒頭でなされているので先に触れておくべきだろう。

ごく簡単にいうと、カウンセラーとして深い悩みを抱えるクライエント(現代人)の心に向き合っていくと次第に視野が拡張されていき、やがては個人の悩みを超えた近代文明の問題まで考えざるを得なくなってくる。ここでいう「近代文明」とは、換言すれば欧米を中心としたキリスト教文化圏に興った科学文明のことである。

もともとは神を至高に据える世界観の中で、人間は被創造物として慎みをもって生きるものと考えられていた。しかし科学の進歩によって意識の上で神の存在が否定されると、空席となった神の座には人間が代わって座ることになったのである。

神の存在が理論的に否定されても人間の作り出した法や秩序といった合理的な社会が続いていくのだから、ここだけ見ればさして問題はないようにも思えるが、現実はそう上手くいっていないのだと河合氏は言う。

近代科学のパラダイムでは扱える対象が限られている。それは具体的にいうと視覚化できるモノの現象が中心なのである。たとえばガリレオがピサの斜塔から鉄球と木製の球を落として物体の質量と落下速度の因果関係を確かめようとすれば、それは誰の目にも明らかな結果として映る。しかしこのような物質現象以外の問題となると話は変わってくる。

例えばAという人物が家族を失った悲しみとBという人物が同様の体験から生じた悲しみはどちらの方が深いか、あるいはその悲しみを癒すためにはどうすればよいか、などという問題になると近代科学の手には負えなくなる。(現実には「薬の処方」などがなされるのだが…。)

さらに、A氏はその後でアルコール依存症の患者になった、などといっても「彼は突然妻を失ったためにアルコールに依存するようになった」という因果性を科学的に実証することはできない。現にB氏は同じような境遇にあっても、アルコール依存になることなく外見上は前と変わらない生活を送っている、といったこともあるのだから当然である。

つまり客観性や普遍性、そして再現性を重んじる近代科学の世界において、個人的な心の体験、あるいは自分や自分にとって近しい人物の病苦や死といった問題に共通の因果性を見出したり、同じ治療法を適用したりすることは不可能なのである。

科学万能という言葉は人間を肉体と精神に分ける(霊肉二元論を基とする)西洋近代文明の世界観の中だけで通用する考え方といえる。

しかしこうした問題が明瞭化する前の20世紀までは「科学が進歩すれば、それだけ人間は幸福に近づく」と考えられていた。確かにある所まではそうした考えも受容できるが、21世紀が近づくにつれてだんだんと科学が万能ではなかったことが分かってきたのである。

そして近代科学ではどうにもならない「私の」心や死の問題に対してたまりかねた人たちの中から、アメリカ先住民の生活スタイルや宗教観(彼らはそれを宗教「religion」とは呼ばないそうだが)に学ぶ姿勢を示したり、あるいはアイルランド地方に幽かに残るケルトの文化から近代人が失った「何かを」学ぼうとしているのだという。

翻って日本のことを考えるとどうであろうか。

日本は19世紀という東洋では比較的早い段階から欧米化が推進され、短期的には成功を収めたように考えられていた。これはキリスト教文化圏以外において異例中の異例といえる出来事である。現実に20世紀までは先進国といえば日本以外は全てキリスト教文化圏の国であることを考えれば、何故このようなことが可能であったのか今もはっきりとした理由は判っていない。

ともかく明治維新後は和魂洋才の精神で欧米列強の覇権主義に対抗し何とか自国の権益を確保したまではよかったが、経済は軒並み困窮を続け後に敗戦、戦後は極度の飢餓常態から大変な努力をして高度経済成長期を築き上げるといった大きな浮き沈みを味わってきたのである。

このような「忙しさ」の中で物資の窮乏と物質的な豊かさの天国と地獄を味わい、いつしか心を亡くしてモノやおカネばかりを追求する生き方が強調されるようになったと考えられる。

もちろん現代を生きていくうえでお金が重要な役割を持つことは事実だが、昔に比べて経済的に豊かになったのに対し、人々の幸福「感」はそれほど充足していないというパラドックスが生じてきた。そうした社会情勢の中で精神的に病む人や自殺する人が増え、青少年の間ではいじめや無慈悲な犯罪が目立ち始めている。

それでも日本はキリスト教やイスラム教のような一神教の神の目ではなく、世間の目や人の情緒が社会秩序を担ってきたため、それほど無秩序な世の中にならずに済んでいるけれども、かといってこのまま欧米の文化や価値観を一方的に受容し続けていいものか疑わしくなってくる。

とはいえ欧米の科学文明が齎す利便性とパワーには抗しがたく、「ここらでちょっと考えてみようか…」程度のことでどうにかなるものではない。

これに対し前掲のナバホの人たちは日本とはまったく異なる形で欧米の人々とエンゲージしてきた重厚な歴史を持っている。先住民に対する凄まじい迫害の歴史は今や多く人の知るところだが、第二次大戦後は紆余曲折を経てアメリカのほぼ中心部に一定の土地と自治権を獲得し、現在も独自の生活を保とうと努力している。

一方アイルランドにおいても似たような事情の下で新たな価値観や宗教観の模索が起こっているのだという。アイルランドは地理的な事情も相俟ってヨーロッパの中でも比較的キリスト教の影響が少なく、かつてのケルト文化の名残りを今も見ることができる。

その結果、先に述べたような近代科学文明の欠陥や、キリスト教的世界観では解消できない問題に直面した人たちの中から、このケルトの宗教や文化に新たな道を見出そうとする動きが生じできたのである。

河合氏はこれらの地域に住む人たちと会って話をすることは、今後日本人が直面していくであろう問題に向き合う上でも、また日本社会のゆくえをうらなう上でも意義のあることと考え、NHKの協力のもと現地へ向かうことになったのである。

ここまでが長い導入になるが、では前掲書が整体法(野口整体)とどのような関係があるのかについても簡潔に記しておくことにする。

整体法は日本の近代化の潮流の中で生まれ育った独自の体育理念である。体育といっても、いわゆる子どもの成長期に限定されるそれとはまったく異なるものである。

整体法のいう「体育」とは野口による独自の死生観や宗教観の中で受胎と同時に始まり最後の息を引き取るまで行われるもので、医療、教育、宗教といった垣根を越えた総合的な「からだ育て」を指している。

もともとヨーロッパやアメリカにおける教育や医療はキリスト教的世界観や倫理観に則した目的で用いられてきたのである。それが日本に輸入される際にキリスト教はキリスト教、医療は医療、教育は教育といった形で、時期こそ重なっていたがそれぞれが個々に分断された形で入ってきた。

これら西洋式の医療や教育法は、はじめのうちこそ日本文化の価値観に基づいて実施されてきた。しかし西洋の一神教に基づいた合理主義的な思想は強固な論理性と普遍性を具えているために、異文化の価値観や宗教観を排斥する力がはたらきやすい。

例えば江戸時代に入ってきた西洋医療の種痘の法や開腹手術などは当時の日本における民間医療や漢方医学の観点からは受け入れがたく、その実施を巡っては様々な摩擦や抵抗が生じた。

しかしその高度な合理性や効能が認められると、徐々に漢方医学の権威は消沈し、明治維新後の医制発布をもって西洋医療を正当と認めさせるまでに至ったのである。

そして和魂洋才などといって科学文明の利器を日本的精神や文化に基づいて有効利用していた時代が過ぎ去ると、やがて人間の身体や生き方にまで機械論や合理主義が適用されるようになってきたのである。

昔だったら人が死ぬと極楽に行ったり地獄に行ったり、あるいはご先祖様になったりといったいわゆる「あちらの世界」に行くと思っていたものが、自然科学の世界観が浸透することで死は人体の老朽化や損壊による生命活動の停止を意味するようになった。

その結果、保健衛生と言えば機械論に基づいて、できるだけ体を壊さないように安置保存し、栄養を充分に取って多く眠ることが考えられるようになってきた。これに伴って精神的な豊かさを表す生きがいや幸福感などは、物質的な豊かさの追求へと集約されていったのである。このような考えは高度経済成長期の昭和三十年代にとくに顕著であったと考えられる。

次第に「現代は物は豊かになったがこころは貧しくなった」などと揶揄されるような社会情勢を生み、アメリカやヨーロッパの人たちとはいきさつは違えど、現代の日本においても物質的豊かさの充足とは別に「いかに生き、いかに死ぬか」といった問題について考える必要が生じてきたとも言える。

つまり貧しかった時代には生きる目的は生きることそのものだったが、最低限の生活が保障されるようになると今度は便利で快適な生活を求めるようになった。便利で快適な生活を追い求めることに際限はないが、人間の生には限りがある。人間が生まれた以上、老いて、死ぬ、という事実は変わらないためにモノがいくら豊かに溢れても、死の問題に対する答えはやっぱり個々に創造しなければならないのである。

近年の日本においてヨガのようなボディワークやスピリチュアリズムが流行する背景には、上に記したような構図が微妙に作用しているのではないかと思われる。

そうした風潮の中で野口整体に興味を示す人に会うと、表面的には健康の問題に新たなアプローチ法を求めているように見えても、いろいろと話し合っていうちに「生とは何か」、「いかに死を迎えるべきか」といった問題まで射程に入れた新たな視点の医術を求めているように感じられることがしばしばある。

このようにそれぞれの地域差はあっても、西洋近代文明の利点と限界、問題点を突き付けられた時に処方される「薬」のような存在として、前述のナバホやケルトの文化、そして野口整体は立場を同じくしているように私には考えられるのである。

こうした事情から前掲の二書を読むと自分自身の職業的立場からも学ぶところが多かった。次回からはその中でも特に示唆を受けたと感ずる所を中心に所感を書いて行こうと考えている。

きちんとした纏まりを維持できるかわからないが、読んだときの情感をなるべくそのままお伝えしたいので要約などということを考えず、感じたことを素直に記そうと思う。

あと半分の教育

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観た余韻そのままに、本棚から何気なく井深大の著書『心の教育』を手に取った。本書は1985年に出版された『あと半分の教育』に一部改訂を加えて復刊されたものである。

外観的にはコンパクトにまとまっているが、第一次資料を丁寧に引きながら戦後教育が作られた背景を洗い出し、今後の展望まで示唆する一書である。

本書の冒頭では日本近代史は40年ごとに節目を迎えている、という一つの歴史観を紹介している。

その起こりを1865年とし、同年は日本が諸外国からの圧力と国内から起こってきた改革派による革命運動の混乱から元号を慶応に改めた年であった。結果的にはこれが江戸時代の終焉を飾る最後の元号となる。

40年後の1905年は日露戦争の終結を迎えた年で、さらに下って1945年は敗戦の年にあたる。そして戦後40年は日本国中で大変な努力をして高度経済成長期を生み出し、近代化以降はじめて物質的な豊かさを確立した期間である。その節目を1985年に置いている。

さてここからさらに40年経つと2025年、いよいよ21世紀に突入し出版当時の年代からはイメージすることもむずかしい域になる。

しかし著者は教育という視座から今(1985年に)大転換を行わねば、40年後の日本は決して明るいものにはならないと警鐘を鳴らす。

当時から学歴至上主義の弊害、いじめ、非行といった問題が社会を悩ませてはいたものの、これらについてはすべて「対症療法」が行われただけで、近代化以降、とりわけ戦後教育の抱える根本的な問題点については不問のままであったことを同氏は厳しく指摘(糾弾)する。

行政の失策、怠慢に対して厳しい指摘を重ねた末にたどり着いた解答は、もはや教育を「専門家」に任せておくわけにはいかない、というものであった。

ここでいう専門家とは強いて限定すると義務教育を担う小・中学校ということになるだろうか。では専門家に任せず如何にすべきか、という問いに対し著者は家庭での躾・教育を再興することだと力説する。

躾・教育は家庭でするもの、といえば何の変哲もない一般論に聞こえるが、この国の戦後においてそれは非常に大きな意味を持つ。

誰もが知っているように、戦後焦土と化した国家を再建すべく、物資の確保とこれを支える人材育成に奔走した。しかし人材といってもそれは効率よく「物」を生み出すための人海戦術の一員であり、無個性で代替可能な「労働力」の増産が主要テーマだったのである。

還元すればGDPを高めることに夢中に過ぎて、情緒や感性、倫理観といった人格を育てることをどこかに置き忘れてしまった、ということである。著者が唱える「あと半分の教育」とはこれである。

しかし今から振り返るといろいろな欠陥に満ちた「間違った戦後教育」で括られてしまいがちだが、当時は日本国全体を覆う飢餓の問題から脱する急務があったために当時は当時の最善を尽くした結果と見ることもできよう。

ともかく井深氏は前掲書に遡って1969年には幼児開発協会を設立し、以後『幼稚園では遅すぎる』 『0歳からの母親作戦』など幼児教育、そして胎教の意義、重要さを主張する著作を段階的に出版している。

さて、それでは心の教育とはどうあったらいいのか、というと本文中に「これからの教育に必要なのは、家庭教育の見直し」と題して、著者が試論的にまとめた具体案が記載されている。

多少の主観が交ざるがその要点を纏めるとおよそ次のようになる。

0歳児からの教育を意識し、その際に愛情と信頼に基盤を置いたしつけを行うこと。

胎教の研究を促進し、その成果をもって親の教育に反映すること。

母親の職場進出の増加にあいまって、幼稚園と保育園の役割が重要になる。よって両者の役割の明確化や整合性を図る必要性がある。

読めば確かにその通りだが、出版から40年後にあたる2025年を2年後に控えた現在、これらのことはまったく手つかずのままである。そして不登校や引きこもり、いじめ、自殺と言った児童を取り巻く問題は増え続けているのだから、井深氏の懸念は的中するも、解決案は空念仏に終っていることになる。

ともかく同氏が高度経済成長期のまっただ中に戦後教育の欠陥に気づき、その解決策として0歳からの教育を掲げた直観力と先見性には驚くばかりである。しかもここでいう「ゼロ歳」というのは数え年の感覚を残している。つまり数えでは生まれたら一歳なのだから、ゼロ歳児とは胎児のことで胎教に重きを置く考えである。

こうした考えは野口整体のそれとおおむね軌を一にするけれども、実は井深氏は整体協会で行われていた野口先生の講義にも出席されていたそうである。人間を観る、ということに関しては一企業人と整体指導者とで相通じるものがあったのかも知れない。

胎児からの育児、を考えるなら当然のことながら母親を無視するわけにはゆかない。整体では母胎内からもうすでに育ちつつある我が子を意識した生活を勧める訳だが、そこには母親になるための教育も必要になる。

これこそが育児のための本当の教養「あと半分の教育」なのだが、それは頭でする勉強ではなく意識を鎮めて身体の感覚を優先させるという身体性の世界である。

これにより母親と胎児との見えない心のつながりを意識して、産後もこの「つながり」をできるだけ保つように心掛ける。そのためには母親はもちろん、父親も、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんながこれを支えるべく深い理解と惜しみない協力が必要である。

しかしながら現実は核家族や共働きの増加に伴って、上のような在り方は徐々にむずかしくなっているのだから悩ましい。むしろ子どもはなるべく手がかからないで済むように、できるだけ早く自立させ、「しっかり」するように文字や計算といった知育の時期が繰り上げられている傾向すらある。

現実はけっしてかんばしい方向にはない訳だが、だからこそ先に紹介した解決案の内の「胎教の研究を促進し、その成果をもって親の教育に反映すること」は是非にも推進したい内容である。

胎教に関する研究結果は探せばいくらでも入手することができるので、有志の方は是非にもそうした情報を活用して実践していただきたいと願う。母国、という言葉があるけれども、文字通り母は国をも創造する。

次なる40年を明るく拓かれたものにするために必要なのはこれから生まれ育つ新しい力であり、その誕生を支える母親の心と体ではないだろうか。

バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)

妻が「三人で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』観ようよ。」と言い出した。もうすぐ9歳になる息子も今ならそれなりに内容を共有できるのではないか、とのよし。

まあそれもあるかもしれないね、と思い三人で観始める。自分の中では「最近の映画」だと思っていたのに、いざ観てみたら1985年の話ではないか。10年ひと昔というから、まぁそれなり古い。

随分と久しぶりだったのでスピルバーグ映画のドキドキはらはら感が懐かしかった。「あぁこの、わー!って危機感が迫る感じあったよね」などと家内と懐かしんでいたのだが、やはり80年代のナウさが古かった。

その時はその時の最先端だったものが、半世紀も経たぬ間にいろいろな面で変わったな、と思う。

なかでもここが大きく変わった、と思ったのは1985年の時点ではまだまだ「未来」に期待感があったということだった。

劇中の現代(1985年)は30年前(1955年)に比べて相当に進歩してるのである。だからここからさらに30年、50年と経てば時代はますます良くなるに違いない、という楽観主義が当時の先進諸国を押し包んでいたように思われる。

例えば劇中の現代(1985年)ではタイムトラベルを可能とする次元転移装置を駆動させるためにプルトニウムを必要としていた。それが30年後の2015年にはバナナの皮のような生ごみを再利用して動力を生み出しているのである。

もちろんこれはフィクションで現実の世界ではそうはなっていないけれども、「科学がさらに進歩していったあかつきには、エネルギー問題をはじめとする現今の諸問題は魔法の様に解決する」という一般通念が、当時はどことなく漂っていたことが伺える。

実のところこれに先んじて84年には『ターミネーター』が公開されており、そこでは人間対機械という対立構造が表現されている。だから科学の進歩に対しては当時もプラスのイメージばかりではなかったことも垣間見える。

機械文明に対する漠とした危惧感といえば、1936年のチャップリンの『モダン・タイムス』まで遡ることはできるかもしれない。

こうした科学に対する「うがった見方」を抱えつつも、やはり大勢としては未来に明るい展望や希望を抱いていたように当時を記憶している。

欧米社会における「自然科学」というものに対する信頼が日本にまで伝播して上のような楽観主義を支えていたのだ。しかしながら21世紀の現在になると機械文明もある種の飽和状態になり、これ以上の「進歩」に魅力や期待感を抱く人の割合は年々減少傾向にあるのではなかろうか。

こうした流れの背景には、現実に一人の人間が生きていく場合、自然科学のパラダイムだけでは解決のつかない問題が山ほどあることが広く認知されてきたとも考えられる。

具体的にいえばそれは人間の心とか、生きる・死ぬといった問題の周辺にある事柄になる。映画の中でも過去に行った主人公のマーティが若かりし頃の自分の両親に出会ってしまいそこで三角関係に陥ってしまう、というところが物語の焦点にもなっている。

これにちなんで、かつて臨床心理学者の河合隼雄が、ある不登校の子どもを抱える父親と面談した折に「月にロケットが行くこの時代に、息子を学校に活かせるスイッチは見つかっていないのですか」という発言をしたことに驚き、この時の例を自身の著書の中で何度も引いていることを思い出した。

つまりタイムマシンによって過去に行ったり、未来に行ったりといった物質的なことはある程度意思の支配下に置くことはできても、人間がある人を好きになったり、ならなかったり、といった問題はロミオとジュリエットの以前から現代に至ってもなお容易に解決し得ない問題なのである。

またこれは、現代においてある日突然学校や会社に行けなくなってしまう人がいることと同次元の問題ではないかと私は思う。

客観科学としての心理学を専攻する人たちは上のような問題に対しても、薬や「意識的な行動」によって一定に解消できることを主張する。

感情や思考といったものを不可解な形而上的現象とみなすよりも、脳や神経系の活動やホルモンの増減といった物質現象の随伴として帰結させた方が合理的で対処しやすいうえに、時代精神にも則しているためである。

私としてはこのような態度を否定するつもりはなくその有効性も十分認めている反面、同時にこうした客観科学に基づいた心理学の抱える矛盾についても気を付けるようにしている。

それは「心」というものが個人的「感覚」や「体験」によってのみ自認できるもので、そこには客観的事実として他者と共有できるものでないことに起因する。

つまり「悲しみ」や「苦悩」といった言葉は主観的な感覚を表現したものであるため、これらは視覚をはじめとする五感によって他者と共有することができない。厳密に言えば心の問題のような主観的事実は客観性を必要条件とする科学の俎上に挙げることはできないのである。

現在はこうした人間の「心身」にまつわる諸問題について考えられるようになって久しいため、科学技術の持つ力や恩恵は誰もが認めていながらも、「それのみ」によって人間が不幸から完全に救い出されたり、深い悲しみを消失させたりすることができないことも相当にわかってきているのである。

一体いつ頃から科学に対する認識が切り替わってきたのか、と考えると地域によっても異なるだろうしエポックとしての明確な線引きは難しい。

しかし1985年から2023年という時間的距離感を前にすると、やはり隔世の感を禁じ得ないのである。

この間に近代文明の利便性の影に潜むさまざまな問題が浮き彫りになってきたにもかかわらず、科学文明圏は大きなかじ取りを行わずになんとか現代まで漕ぎ着けたといえる。

一般に時代を創るのはその時代を包んでいる気風や境遇であり、それに対して人間がどう反応したかに拠っている。

その都度再適応を繰り返していった結果が「現代」なのだから、そこに至った過程に対し現在の価値観から正解や不正解という概念を当て嵌めることはナンセンスかもしれない。

しかし科学文明圏を取り巻く矛盾や、ある種の行き詰まりについて考えると、これまでと同様のパラダイムで未来を生きていくことの難しさを思わずにはいられない。

ともかく本作が1985年に過去、未来という対比構造の中で「今」を捉えたところは今から考えると面白い。「昔の映画」といっていいかはわからないが、思わぬところから現在、そして未来を考えるきっかけになったのだった。

七夕

今年は久しぶりに七夕の願いごとを書こうと思っている。

整体では伝統的(?)に七夕をやる。七夕さまに願ったことは必ず叶うというのだから大変なイベントである。

ただし条件があって、「自分が本当に叶えたいもの」「心の底から願っていること」を氣を集めて短冊に書くのである。

そして書いたらそのことを忘れてしまうこと。これは実質的にはむずかしいと思うけれども、日常生活の中で願いごとを忘れている時間を長く持てばいい、というくらいに考えている。

ともすればメルヘンチックな話だが、これには心理学的にある種の合理性が認められるのだ。

ただし心理学という学問自体がいくつかの「学派」に分かれているなど、そもそも心理学自体の科学性や合理性をめぐっては理論的決着がついていない。

この辺りに言及するとこのブログには荷が重いため省くが、主にクーエの催眠療法やユング心理学の理論に寄ったものとして読んでいただくとよいように思う。

クーエによれば人間の心を意識とその他、つまり潜在意識や無意識に分けた場合、その人を実際に動かしていく力は潜在意識の方にあるのだという。

同氏はこれを馬車に例え、意識は手綱、そして潜在意識を馬としている。だとすると体は荷車といったところだろうか。

これを野口晴哉の場合は意識をハンドル、潜在意識をエンジンと言い換えたが意味する内容は同じである。

具体例を示すと、ある人に「なんだか今日は顔色が悪いようだ。疲れてはいないか?」と言えば、意識では「そんなことはない」否定しても潜在意識には一点の不安が投げ込まれる。これを繰り返せば次第に体調が悪くなることが容易に想像できるのではないだろうか。

反対に、例えば拝み屋さんに「あなたの病気は必ず治る」などと意識に繰り返し念押しされても、やはり潜在意識の見えざる抵抗が働き著効はあまり期待できない。

野口によれば人は悪しき暗示はすぐに受け入れるが、良いものは入りにくいのだという。言い方を変えれば病気になる方は簡単だが、一旦弱い方に傾いた心を良きに向かわせるには一定の技術がいるのだという。

プロ(整体指導者)はその技術を取得せねば仕事にならないが、これをプロだけの専売にしていたのでは万人の指導には到底追いつかない。

そこで有効な心の使い方を多くの人に指導する方法として「七夕」を利用していたようである。

とにかく「願いは必ず叶う」という前提で、では本当に自分が叶えたい願いとは何かということを深く掘り下げていく。

ここを真面目に追及していくと、自身の本当の願いを掘り当てることの難しさが多少なりとも実感できると思う。

そして「これ」というものに定まったら、冒頭でも言ったようにそれを氣を集めて書く。そして口でも言う。

これは個人的感覚なのだが「氣を集める」といった場合は普段全身に散らばって、一定のリズムで集散を繰り返している「氣」を一つにまとめ上げるイメージである。

太陽光線を凸レンズで集めて紙を燃すように、集中した氣が筆先からほとばしり出るようにして短冊に写していく。

こういうのは観念の遊戯かも知れないが、どのようなイメージでもいいから澄んだ心で真剣に願うと、時間の長短はあれどその願いはやがて叶う。

私もちゃんと書いたことは2、3回しか思い出せないが、過去の思い出せる限りの願い事は叶ってきたからこの方法には信を置いている。

さて、ここでさらに願いを叶えるべく整体流の大切な言い回しがある。

それは「〇〇しますように、…なりますように」とは書かずに、「〇〇になる」と末尾を確信的に結ぶことである。

「しますように」というのは今はそうでないという現実認識の念押し、そして、どうもそうはならなそうだという空想を育ててしまうのだという。心も体も考えたことより空想の方に引っ張られやすいため、願いの成就は遠ざかる。

そこで文末を「〇〇をする、になる」と結ぶことで、それがそうなって当たり前、当然という向きに潜在意識が動き出す。

ここで先ほどの手綱と馬の関係を思い出して欲しい。潜在意識(馬)が歩き始めたら、そこではじめて意識(手綱)の統制力が発揮されるようになる。

つまり手練れの騎手は先ず馬の行動意欲を導き出して、それから手先でリードする。現代医療や教育現場ではこの「馬を動かす」という重要な最初のプロセスを抜きにして、静止した馬をぐいぐいひっぱって目的地へ連れていこうとしているようなパターンが散見される。

単純に考えれば馬の巨体を人間の細腕で引っ張れるわけがない。こうした意識と無意識、潜在意識の拮抗状態を「努力」という。

これはエンジンが止まってなおかつサイドブレーキまでかかっている車を、ドライバーが汗まみれになってハンドルを握りながら、押したり引いたりしているようなものである。

やっている当人は大きな手ごたえを感じるかもしれないが、流した汗に比して走行距離は貧しい。これは難病と診断された人が闘病などと称して自分の広大なこころにわずかな意識の力だけで挑んでいる構図とも同じである。

そうではなく、潜在意識内の余分な想念や、無用な観念が払しょくすること、あるいはその観念の向きを修正することが肝要なのだ。こころの内の衝突や摩擦が解消されれば、生命の自然な流れに則して物事はさらさらと流れていく。

昨今では論語の意訳として「努力は夢中に勝てない」といったフレーズが流行っているようだが、我が国の旧弊とも言える努力礼賛がここへきてようやく見直されはじめたとも言えそうである。

まあともかく、こころの力をどうすれば動員できるか、という角度から見ていくと昔の人はその使い方をよく心得ていたことがわかり感心する。

さてこのような理屈めいたことを並べ立てても、やはり「願ったことが叶う」などということが信じきれない人もいると思う。

こういう人を「常識の豊かな人」というべきだが、それもまた「自分の願いなど叶わない」という潜在観念が現実化していると考えられないだろうか。

ともあれこころには果たしてそういう力があるのかどうか、それは客観性だけでは図れない。自分でやってみなければわからないのである。

普段は目の前の現実と忙しく向き合い、心も体も手一杯の生活をしてるような方でも、心を静かにすると普段は気づかない自分の知らないこころに触れられると思う。

体は有限だがその体に宿るいのちとこころは悠久の過去から未来へ、無限に連なっている。

意識が閊えたら、意識を閉じて無意識に聞く。そうすれば道は自ずから拓かれるのだと野口は言う。

七夕という形式を通して人間の心の構造を教え諭し、人を良きに導こうとした先人の心に、この機に一度触れてみてはいかがだろうか。