1年ほど前だろうか。たまたまバスで乗り合わせた女性と世間話に花が咲いた。
脳溢血で若くして亡くなった恋人の借金を5年にわたって返し続けているという、なかなか数奇な人生を聞かせていただいた
現象だけをみれば決して笑えるような話ではないのだが、その方があまりに充実した笑みをたたえながら自分の境遇を話されるのでつよく印象に残ったのである。
お話をずっと聞いていると、その男性とは長く付き合ったが結婚したわけではないので、法律的には借金の肩代わりをする必要はないそうなのだ。
その方が言われるには「気持ちがわるいから」返している、との由。
少し考えてみれば想像がつくけれども、その借金は恋人との「つながり」としてその人の人生に大きな意味を持っている。
その借金が無くなってしまうということは、この世界の中でその女性はぽつんと一人生きているような心境になってしまうのかもしれない。
「借金を返す」ということが一つの生きがいとしてそこにある、という風に考えてみると、人間というのは大なり小なり何らかの不足を埋めようとすることでどうにか生きているようにも思えてくる。
不平とか不満、欠乏は生活に活力を与える燃料なのかもしれない。全てが満たされた生活というのは、やはりどこかたるんでくる。
幸福とか不幸という二分法で人生を考え出すといくらでもむずかしく考えることはできるが、今日を元気よく生きることだけが人間の本分であることにまちがいはない。
逞しさも強さもあるに越したことはないが、どれも「元気がある」ということには及ばない。
元気があれば、悲しみも欠乏も生きがいに変えることができる‥のかもしれない。
元気を出そう。今日あるかぎり。