教育

自分の子どもが大きくなってきたこともあって教育について考えることが増えた。

人類発生以来、つまりヒトが人間の体(てい)をなして社会生活を構成し始めて以来、子どもを如何に教育すべきかという問いは常に考えられてきたテーマだろう。

ことに日本は近代以降子どもの教育を考える状況が特殊であったように思う。

明治という時代はそれまで東洋一辺倒だった日本史上に西洋文明という異物が混入され、非キリスト教文明圏として世界史上類を見ない早さで近代国家が形成されていく渦中にあった。

その大変革期の中で子どもの教育に関して「学制」が発布され、ここに初めて中央集権国家による一律の教育方法が敷かれたのである。その内容は東洋的な宗教観や道徳観念を土壌に、西洋文明という新たな肥料を撒くことで開花した和魂洋才という異質な文化の香りを帯びていた。

異質という点でもう一つ付け加えると、当時から現在に至るまでいわゆる先進国が国家主動の学校を持つケースが極めて少ない点にも留意しておきたい。

例えばイギリスのケンブリッジ大学やオックスフォード大学は国からも資金は出ているものの基本的には独立している。またアメリカにおいても州立大学か私立大学しか存在しない。

そもそもアメリカの場合は日本の文科省に相当するような国全体の教育を一元管理する部署が確立されるまでに、国家建設から200年以上も経過しているのである。日本が明治5年に学制を発布したことに比べればその違いは歴然である。

またドイツをはじめとする連邦国家にも国営の大学は存在しない。国土の広さもあってか、ヨーロッパで教育に中央集権的なシステムを採用している国はフランスだけだという。こうしてみると維新直後に日本が行った教育システムがかなり特殊なものであったことが分かる。

ただしこれにも相応の理由があってのことである。当時の教育は帝国主義の風が吹き荒ぶ国際社会の中に、難産の末たった今産声を上げたばかりの小国が生存をかけて作り上げたもので、一人一人のことよりも国体を護持するための「国民」を作り上げることに特化したものだったのである。

結果的には維新の動乱を引きずる国内を治めながらも、直面する西欧列強の外圧をはねのけ、国際社会の荒波の中で日本国ここにありという存在感を示すまでに成功したため、一見すると維新後の教育を高く評価することもできそうである。

しかしながな往時の度重なる国難を次々と解決していった人材には江戸の教育を受けた人物が屋台骨になっていたことを見逃すことはできない。この点を考慮すれば明治・大正の情勢をもって維新後の教育の評価を一元的に下すことは難しい。

とにもかくにもこの時期に日本の近代教育の方向性が大きく定まったのである。そして敗戦後は焦土と化した国家の復興に適した人材が大量に必要となったために、戦後民主主義の名のもとに代替可能な工業製品の一部品の如き「労働力」を生み出すものへと内容が差し替えられたのである。

ほどなくして昭和30年代には高度経済成長期にさしかかり、働けば働くほど所得が増し、消費も増えるという上昇のスパイラルに突入する。その結果驚くべきスピードで戦後復興が進められ衣食住の問題が改善されると、いつしか教育の目的はさらなる「幸福」をもとめて拡大生産と拡大消費へと移行されていった。これもまた国家の見えざる総意として、教育を施す側も受ける側も無自覚のうちにシフトしていったのである。

その要因は欧米発祥の合理主義と科学文明を流入しその威力に目が眩んだ人々が、それらがもたらす物質的な豊かさの延長線上に無上の幸福も理想の人間像も顕現すると錯覚したためであった。

しかしその期待は裏切られることになる。人間の生活を支えるためには衣食住をはじめとする物質面の恩恵が不可欠であることは確かだが、これ「のみ」によって人間の生きる意義や生きている充足感までが満たされたり精神的に豊かになったりするわけではないことが、時間の経過とともに徐々に明らかになってきたのである。

またいかに豊かに「生きる」ことを強調したところでやはり人間が死ぬという事実からは免れ得ないために、人間が自身の死ついて深く考えることは貧困からの脱却や物質的な豊かさの追求などとはまた別の次元の問題として存在することが改めて認識されたと言える。

むしろこうした生きる死ぬといった問題に関しては戦時中のほうが身近であったためこれに対する考え方や価値観については社会一般の通念として強固に構築されていたし、さらに個々人の責任においても相当に考え抜かざるを得なかったのである。

しかし戦後はいかに幸福に「生きるか」ということのみが強調された結果、人間が本来死を背負いその中でいかに自身が納得のいく死生観を創造して死んでいくかという、人間にとって最も重要な「宗教観」がいつの間にか見失われていたのである。

このような特色を持つ昭和の教育に対し、野口晴哉が「教育の荒廃は理想を失ったからだ」と早期に問題の焦点を看破していたことは注目に値する。

そのためこうした漠とした心の虚を埋める方法を求めてさらなる物質の充足に奔る者もいるかと思えば、軽薄なスピリチュアリズムに耽溺したり、巷に勃興する即席の「宗教的な」活動に身を寄せたりする者まで現れて来たのである。

一節には地下鉄サリン事件の実行犯の中に国内最高レベルの高等教育を修了した者がいたことから行政がようやく近代教育の欠陥を認識し始め、この時に戦後教育の最初の見直しが始まったと言われている。この事件は我が国の公的教育から「人間を育てる」という要素が欠落していることを示す証左として十分なものであった。

ここまで極端な例を持ち出さずとも、戦後の教育には生徒の非行・不良化からいじめや不登校に至るまで諸々の問題が表面化しているのだが、これらに対して場当たり的なマイナーチェンジがなされるばかりで抜本的な原理原則の見直しが行われた痕跡は見当たらない。

私が30年ぶりに現代の義務教育に触れた際に感じた欠陥は「個人を見失っている」ということと、そして「〔人間〕を捉えていない」というこの二つだった。

何より「この子にいま何が必要か」という教育者の主観が現場から排斥されている状態は大きな問題だと考えている。

これが江戸時代の寺子屋のようなシステムの場合、入所の時期もカリキュラムのすすめ方も個人の成育段階と資質、能力の特性などに委ねられていたという。このような個から出発する学びの環境下では何をどのように教えるか、また何を学ぶか、学ばせるかということは生徒と指導者との関係性によって自在な変化を可能とする。

またこのように個人が中心に在る教育の場合、現代教育で重視する「平均」という概念がないことも重要である。元来個体差を持つ生き物を育もうというときに、「平均」を割り出しこれに沿わせようとする行為自体に意義があるか否か、疑問なきを得ない。

しかしながら個を育てるのではなく社会を構成するパーツを生産するかのように「国民」や「人員」を育てようとする場合、その出来、不出来を客観的に算出し他に示さなければならなくなる。

そもそも生徒の成績を甲乙丙丁…のような形で定量化する査定方法はイギリスかアメリカの兵隊を教育するシステムからの流用であったという。

つまり教育には公のための価値と個のための価値があり、その大半が教育を施す側、すなわち公、体制側の価値基準に沿って実施される傾向が強い。

このような体制側の視点に立って教育を行おうとする時、被教育者の持つ個体差は豊かな創造性を保有する「個性」ではなく、修正の対象となる「悪癖」として見做される。それ故そこに基準値なるものを設けてそれを上回る者、下回る者、逸脱する者…といった風に評価し、全てを基準の中に収める努力が善であることが疑いもなく遂行される。

さらにこうした「値」によって人を評価しようとする場合、試験の得点では測れない能力などは見落とされやすい。つまり生き物はデジタル化された瞬間にその実態は我々の視界から消え失せ、値だけを対象とした無機物的な評価が強調されることになる。

こうしてみると現代教育はよほど恐ろしいことをやっているように思えるが、結果がそれほど惨憺たるものにならずに済んでいるのは子どもの持つ弾力や創造性、人間の融通性などといった生命に内在する秩序(ホメオスタシス)に支えられていると考えられる。

しかしシステムが要求する成果が客観的な数値で示せる平均化である以上、被教育者の個性は「正常な成長」を滞らせる摩擦の元凶でしかないのである。

だからこそ現代の日本で人間を全き姿に育てようと思えば、義務教育の評価からこぼれ落ちる創造的な要素を掬い上げる有機的な目が要求される。

有機体としての人間を丸ごと捉えることができるのはやはり生きた人間の目以外にない。当然そこには客観を正しく活かすことのできる優れた主観が必要である。

ところが先にも述べたように現行の義務教育の在り方では如何に聡明で意欲に満ちた先生でも主観を働かせる余地はほとんどないといっていい。このような状況だからこそ家庭での子どもの育て方が一層重要になってくる。

子どもを十全に育てる、躾けるなどと思えばやはりそこには相応の時間も労力も必要となるが、社会情勢や経済的な事情によって核家族の共働きが増え実質的に親が子どもに関わる時間は昔より少なくなっている。

加えて現代は歪んだ自由主義の風潮に流されて道義の観念が曖昧になっているため、そこから生じる不品行までも「多様性」という名のもとに許容され、家庭の内でも外でも子どもの躾の急所を見逃してしまいがちである。

整体の場合はどうかというと、体の裡に働く秩序を基準に人を育もうとまず考える。そういう意味ではどのような子どもを見るにしてもある種の一貫性と普遍性が保てるのである。それはまさしく個人を主にした教育の在り方であり、これが正しく履行されれば全き整体人が次々と育つはずである。

ところが現実が相談順ではない。体の生理に従って育児をしようなどと考えると、社会一般との価値観の相違からあらゆる場面で摩擦が生じるからこれもなかなか大変である。

そもそも体の裡なる秩序に従って生活する、あるいは他者の体にもその秩序を顕現せしめるように援助するには、指導する者にも相当な訓練が必要となる。

整体流の子育ては子どもが自ら育つ力を中心に据えたもので、教える方が主体となっている現今の義務教育とは対極の視座に立っている。つまり指導者は自分の都合を押し付けるような態度は極力抑え、相手の成長の要求やタイミングが訪れるのをひたすら「待つ」ことも求められるのである。

このような差異は教育という言葉に含まれる「教える」と「育つ」という主体の二面性をよく現す事例である。つまり教育の主役は教える側なのか、育つ側なのか、というその両極の間に揺れ動く間主観に置かれている。

力関係において優位にある指導者は特にこうした自他を共に活かす教育を追求することを怠ってはいけない。教育の場でときどき聞かされる「あなたのためを思って…」という常套句にはよくよく気を付けなければならないだろう。自分が相手のためと思って疑わない態度の中にも、知らないうちに己の利がつよく反映され相手の幸福やあるべき成長の機会を奪っていることはないだろうか。

以上のようなこともよく考えながら、子どもの健やかな成長を本気で守ろうと思ったら手間も時間も掛かるし、教養も忍耐力もいる。しかし目の前の一人の子どもを十全に育てることがなされなければ社会の改革も体制の変革も虚しいシュプレヒコールで終わってしまうのだから保護者や養育者はそこに全力を注ぐ価値も理由も十分にある。

私自身整体をはじめて17年ほど経つけれども、整体の教育について考える時それは近代以降に抽象化された人間像から再び個人を蘇らせるために必要な視点であると思うようになっている。