子どもが眠らない:そんなときは寝かしつけよりも起こしつけ

近ごろ太郎丸(3歳)が保育園から帰ってきてもガンガン元気である。

お世話になっているのが0~2歳児用の保育施設(来年卒園)なものだから、たぶん運動量が足りなくなってきたのだろう。

それにしても保育士さんは見事なものだと思っている。あんな小さな子たちを10人もあずかって、ケガをして帰ってきたことはほとんどない。

それだけ、慎重に遊ばせているのだと思うが、そろそろ太郎丸的にはモア・アグレッシブ、アンド・デンジャラスに遊びたいのではないかと推察する。

とうぜん夜も寝つきはイマイチなのだ。

そういうわけで、夕飯後は小走り散歩に出かけているのだが。

子どもの寝かしつけに関してはいろいろな情報サイトがあるし、そういう絵本も音楽CDもたくさんある。

そして「こうやったら寝ますよ」というハウツーは何十種類あるかわからない。

しかし、肝腎なところが見落とされている気もする。

つまり人間は疲れれば眠りたくなるようにできている、ということだ。

疲れなければ眠れないのは当然である。

だったら上手に寝かせる前に、上手に運動させることを考えるのが必定だろう。

そもそもが「寝かしつけ」という言葉にもうムリがある。

日が落ちたらパタッとなるような、充実した一日一日を心がけるのがスジだ。

そうはいってもどこもかしこも車が通る都心にあって、子どもが活発に遊べる環境を見つけること自体むずかしいのだが‥。

それにしても子どもにかぎらず現代人はもうほんっとうに運動が足りていない。

いや肉体労働をされている方は別として、人類史上ここまで動かない生活ははじめてではないだろうか。

それでいてまだ「栄養のあるもの」を探してせっせと食べているのだから‥。

収入と支出のバランスは完全に崩壊しているに、からだのほうがなかなかこわれないのは、それだけ調整作用が働いているからだといっていい。

「眠れない」というのもそうした調整作用の産物である。

それでもむりやり眠れば夢を見る。それがつづけばエネルギーが余ってイライラしだすし、八つ当たりも増える。そういう鬱散も行えないような「お行儀の良い」ひとたちなら病気で消耗するのがいちばん手っ取り早い。ケガもまた同じことだ。

病人、患者が増えるのはあたりまえである。

どれくらい前だったか、70代のおばあさんが来られてしきりに「眠れない」と訴えていたことがあった。「眠り」が重要な上下型体癖のひとだったので、これは大きな悩みの種である。

上下型の場合なら大脳のはたらき(考えごと)として昇華するので、そこまでにぎやかにはならないけれど。だいたいは頭の中で運動会をやっているだけで大事には至らずに済む。

ともかく眠れないというのは子供のそれと全く同じ理屈なのだから、それなら起きて便所掃除でもしたらいいのである。

よく考えれば人間なにが一番ツラいかといったら、眠れないことよりも、もう起きられなくなることではないか。

起きている間はもっと自在に、無目的に、躍動することを考えるべきである。

子どもの寝かしつけから話がそれたが、これらは文化人類学的な根の深い問題といえばそうなのだ。

それなら活元運動でどうだ、と思わないでもないがそれもやっぱり子どもにはムリがある。

世のお父さんお母さんともにお疲れだとは思うが子どもが小さな今だけである。もう一つ奮起してからだを動かしてやって欲しい。

その前に大人が体力の出し惜しみていては話にならないか。

そうするとやっぱり活元運動はいいね。

ともかく眠れないとなげくまえに、眠たくならない生活を正すべきなのだ。