天心の愉気

今日は梅雨~って感じがしますね。湿気の時期は減食すると肺の負担が減って疲労感が楽になるといわれてます。

(ホントに今疲れている人は食事を少ーし減らしてみて下さいね。身体が楽になりますよ。)

少し前に気の教室にお越しになって愉気(気の手当て)の練習をした方が、お友達に手当てしたら偏頭痛がすーっとなおって二人でビックリしたそうです。

こんな風に集中して、気を鎮めてそーっとやると愉気は意外な効果を発揮するからお互いに楽しい。一般に集中というと一心不乱、無心を説くけど、整体は昔から「天心」を採用している。(岡倉じゃないよ)

無心というと墨絵のようなモノトーンの世界を思わせるけど、天心というのは極彩色だ。人間は不快情動が度重なると心を鈍らせてしまう傾向があるけど、整体は苦しくても楽しくても感受性を高めて心をしっかり使って生きる道を選ぶ。

気が集中していると現象だけが的確に見えてくるので感情に振り回されることもあまりない。こういう状態にあると心から重さが消えて、愉気も伸びやかに力を発揮するのだ。

生まれたばかりの赤ちゃんを見てると、生まれたときって幸も不幸もないんですよね。でも気がつくとうっかり自分で積み重ねてきた堆積物で心の輝きが見えなくなってたりするから潜在意識の掃除って大切なんだ。

整体指導は丁寧に靴を脱いでそろえて相手の心の世界におじゃまして、一緒に無意識のゴミを片付けていくような作業だ。指導者が自分の心のお片づけができてるのが大前提だけどね。

どんなに部屋が散らかってても、掃除ってやろうとするかしないかの差だけで誰でもできるんですよね。一見めんどくさそうだけどやってみるとさっぱりするし、やっぱりやってよかったって思います。でもやらない人が多いんだけど。(僕もずっとそうでした・・。)

ときどき身体の中も心の底も風に当てたいね。それが心身の健康を保つ第一歩となるはずだ。

生きてるだけでだいたいOK

仕事の苦労や家庭のいざこざなんかで息を詰まらせてせい氣院にお越しになる方があるので、そんなときはやっぱり肩の荷を降ろしてあげたいと思う。

真面目な人ほど「こうあらなければ」という観念にしばられて胸を固くしやすいので、そのことで五感のはたらきがにぶって悪循環におちいってしまいやすいみたいだ。

完璧を執拗に求めるのは子供のときからの学校教育の影響が大きいと思うけど、かけっこでもテストでも人の能力を数値化して、「数字が大きいほうが優れていて強い」という観念が潜在意識の中に入り込んでるんじゃなかろうか。

弱そうな相手を見つけてイジメたりするのも、自分に貼られた劣等感をいつまでも掴んでしまっているからだ。その劣等感をとってあげれば漠としたイライラは消えていくし、そうすればあとは何もしなくてもやがて自分のことも人も愛せるようになってくる。

広く自然界をみわたしてみれば現象を数値化してアレヤコレヤしているのは人間だけで、他のみんなは数値化も予測もできない世界をなんとなくで生きているのだ。

けっして強くて賢いものだけが勝者というような扁平な世界ではなくって、強くても固ければワレやすいし、一見弱そうでも柔軟なものが他の生物をしぶとく圧倒していることがある。どちらかといえばプロの世界なんかでも、ジャンルを問わず長年活躍できる人は心も体も柔軟な人が多い。

僕の経験からいえば、固めて力むのは最初から備わっている反射的な作用で、リラックスは後天的な訓練で獲得する能力だ。つまり人間が柔らかいというのは心が練れている、育っているということを意味している。心が先に育っていれば技はあとからあとから無限に生まれてくる。心・技・体あるいは体・心・技の順に・・・。

体中の筋をいったんゆるめて眠らせる整体の有用性もそこに立脚している。現代は緊張また緊張の世の中なので気に敏感な女の人が一生懸命ヨガなんかに通うのをみると自分なりに身体を守ろうとしているような気がしてどこかほわっとする。

この間、人にあげてしまったので内容はうる覚えだけどマギー司郎さんの『生きてるだけでだいたいOK』という本には脱力の妙味が記されていて勉強になった。僕にとっては整体操法の虎の巻で(でも人にあげちゃったけど・・^^;)仕事にけっこう活かされている。

学歴や体力、技術力の優劣とは無関係なオリジナルの生き様に、人間の気高さとプロの気魄を感じて一人うなった。力んだりムキになりやすい人にはちょっといい一冊かもね。

マギーさんの本、気になったら読んでみてくださいねー、ではねー。

逆子を直すにはまず足湯から

今、日課の黒糖かりんとうを食べてます。おいしいね~

10日位前に逆子のご相談の電話があったのですが(遠方の方なのでせい氣院には来られない)、今日「戻りました!」ってメールが来た。よかった。(※ウチは何にもしてないですヨ)

今って何週で逆子だとすぐ帝王切開の予約とかっていわれるらしいので、セッパ詰まる気持ちってやっぱりわかるんですよね。それで余計に頭とか緊張しちゃんじゃないかとも思うんですけど・・。

お医者さんの性格にもよるけど、現代って「効率化」と「リスク回避」の圧迫で医療からどんどん「心」が排除されてる気がしてならないです。このことで辛い思いをしている妊婦さんとか結構多いんじゃないかなぁ・・。これを何とかしてあげたいんだ・・。

お家でやれることとしては朝晩の足湯はいいと思います。お金もかからないし、無理なくできて安全ですしね。足が温まることで気が下がって重心が安定すれば、赤ちゃんも安心して元に戻る可能性はUPすると思う。

逆子体操で直ったという声も無視できないけど個人的にはあのポーズがお母さん的にも赤ちゃん的にもいいとは思えないんだナ・・。いや、どうなんだろう??

今って情報は過剰だから「毎晩赤ちゃんに話しかけてます。」とか、「足にお灸してます。」とかいろいろあるけど、当のお母さんの心が不安だったりソワソワしていたら効果はあんまり期待できないです。(泣)見ていてそう思います。

とにかく母子は一体なので、お母さんの気が変に子供の方にいってしまうとグラグラしてしまう。自分自身の重心位置に意識がキチッと収まっていれば、そんなにおかしなことにはならないはずです。

赤ちゃんではなく自分自身に、良い意味で集中する。こういう目線があることを知っているだけでも少し違うんじゃないでしょうか。

なんか今日は最後ふわっとしちゃったね。逆子の人は自宅で朝晩の足湯やってみてくださいね。それでは、またー。

あ、逆子が直った方の体験談もご参考までにどうぞ

不妊治療と言わずに

昨日はしばらくぶりにお越しになったお客さんが赤ちゃんのお顔を見せに来てくれました。ぅ~ん、可愛いかった・・子供苦手なんですけどね。。

あらためて、生まれたばかりの身体っていろんなところがよく動くんだな~~って思いました。オムツをしない整体育児で通している気合の入ったママさんだ。

「なかなか赤ちゃんができない」というのが当初のお悩みだったのですが、通院しながら半ば忘れかけた頃に妊娠したのがおよそ1年半前。早いなぁ。

具体的には足を温めてよく眠れるようにした気がしますが、今にして思うと、「気が落ち着いたこと」、「心ががゆるんだこと」が結果に繋がったと思う。

整体を始めてからわかったことですが、今って「結婚してから赤ちゃんがなかなかできない」という方は決して珍しくないのです。というか以外に多いんですよね。

そして、お子さんができない時にみなさんが取られている方法は

主に・・・

・自然に任せて待つ

・病院に相談する

・はり・灸に通う

・・・くらいな気がします。

どうも、「整体」に行ってみようか。という方は少ないみたいですね。

これまで仕事として妊娠出産の経過を見ながら感じたことは、

妊娠・出産は何より「気分の状態」が優先される

ということです。

だから今の悩みや症状を平癒にもっていくためには、気や心を乱しているものを取り除いてあげればいいのです。(基本的に‥)

それは体から無駄な力を抜く、ストレスに抵抗できる呼吸と姿勢を作る。という、これが全てといっても過言ではありません。

私は基本的には、「命は神さまが決める」と思っていますが、その一方で「自分がどういう行動をしたのか?」も同じくらい重視しています。

いつも思うのは、不妊治療のために「膨大にお金がかかること」、「リスクの高い行為」はお勧めしません。

まずは活元運動から始めていただいたらいいなと思うのです。^^

幸せってなんだっけ・・

その昔、ドラゴンボールでナメック星人のデンデが手を当てて孫悟飯の傷を治している姿を観て、「あんなふうに人を癒せるってなんかいいな。」とトキメキまじりに観ていた。気がついたら大体そんな感じになっているではないか。

デンデ

それと同時に、自分は地球人として絶対戦闘タイプではないナ、と直感したものだ。

話は変わるが、今朝おなじみさんのお客さんと話をしていた時に「先生は何を見て(身体の良し悪しを)判断してるんですか?」と聞かれて、なんて答えていいかわからなくてしばし閉口してしまった。

いま思うと一番大事な一点は「その人が幸せかどうか?」、ということか。幸せならなんでもいいんだけど、じゃぁ「幸せってどういうこと?」って考え出すと着地点がわからん。ポン酢醤油のあるウチだろうか・・?

整体指導ってなんだ?といったら、この人にとって幸せな人生ってどんな人生?何がどうなったらいいの?どっちに向かってどんな速度で誰と一緒に歩いていったらいいの?って、こんな事を身体を押さえながら・・・

ずーっと、ずーーーーっと、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと考え続ける作業である。

いわゆる病(やまい)とは病む(止む)こと。生命活動が停滞していることだ。では「何故動きが止まってしまったの?」と言えば、それは精神と肉体の活動がズレてしまったから。具体的な例を言えば、泣きたい時に泣けなかった人はいつまでもこわばったままなのだ。

そこへ病気をすることで治るためのある種の「集中感」が起きる。その集中力でもって精神と肉体のズレは快復という一つの方向へ定まっていくのだ。だから痛ければ痛い、苦しければ苦しい、だけれどもそれが健康の働きということで、それでいいのだ。

そんな風に、乱れた中にも統一へ向かう一つの動きを見つけ出して、それを自分にも相手にも示す。こういうことが野口整体の人間賛歌的な生命観だと思う。

そこで何を見てるのか、と言われれば体表に現れる内面としての「気」、これが澄んでいるかどうかだ。こちらが見て「澄んでいる」とは、正坐をしたときに頭のてっぺんからお尻に向かって静かに気が流れている状態を言う。これが人間が柔らかな安心・安堵の中に包まれている姿と言える。

こんな身体感覚を、子供の頃から周囲の大人と一緒に何度も何度も体験できた人は、少々のことではヘコタレない丈夫な心を始めから持っている。逆にこの感覚が少し足りなかった人は後から愉気で満たしていくのだ。

健康とは自分だけではなく他人の幸せをも願って活発に動ける身体のことだ。そんな人が増えていくと、世の中もますます温かくなるな。デンデのように手を当て合って生きればいい。どうせならみんで幸せになりたいものである。人間だもん。

寝違えはツボより予防が大切

おととい友達から「寝違えちゃったーっ」てメールが来ました。「待ってればそのうち治るよー」と返信したけど結構辛いらしく、遠隔で気を送ったら「少し和らいできたよ」ってメールが。ホントかいね。。

そんなことがあって後、今朝は僕が寝違えてしまって首がカキッとしたまま仕事の時間が来てしまった。仕事が始まってお客さんの身体を観始まったら痛みもコリもスーッと消えたけど、この時期ってときどき明け方に変な風に冷えると寝違えたりするんですよね。

僕の場合は窓際で寝る時に雨戸&カーテンを閉めて寝るだけでけっこう予防できるんだけど。ついつい、うっかり油断してしまう。

久しぶりに感じたけど首が動かないとストレス溜まりますね。逆に首がクルンクルンに動くと気分の落ち込みや頭の疲労も早く回復できます。

首の骨は全部で7コありますけど、ちょうど真ん中の4コ目は左右運動(首を左、右にパタッと倒す)と関係が深いです。あと「耳」とも。

この骨の横の筋肉がコると気分がいつまでたっても変わらない。気分転換ができないという状態になってしまう。気持ちがふさいでいる時ってだいたい首から後頭部にかけて固くなってます。

寝違えるのがクセになっている人はお腹とか腰とか全体を丁寧に見て改善する必要があります。あとは歯の治療が上手くいかないとずっと首に緊張が残る人がいるので、その辺は歯医者さんの領分ともいえるかな。

寝違えをお家で対処するなら、蒸しタオルで後頭部を温めるというのが整体の定番でしょうか。手の甲の人差し指と中指の間に寝違えのツボというのがあるけど、僕の場合はこれで解消したことがないです。

つくづくだけど人間の身体には法則性があるんだかないんだか。とりあえず今夜も風がひんやりしてるから雨戸閉めて寝ようか。でわまた。

2日前、ウチの指導室に野口先生の写真がやってきました。(もちろん写真がいきなりドアからコンチワ~って入ってきたわけじゃなくて、いただいたものです。

開業するときに、「やっぱり野口先生直筆の色紙なんかがあるといいよね、あげましょうか~?」と言ってくれた人もいたけど、なんとなくその方とは縁が希薄になって流れてしまった。自分の力量がそこまで及んでいなかったんだろうな。

それから約2年半が経ち、別の経由で写真を頂いたのは僕としては妙に感慨深い。そんな今日は僕には特別な日でもあるのだ。

今から36年前の今日、野口先生がこの世を去られたらしい。その翌年の昭和52年に僕は生まれたので、どうあっても今生では逢えない人だった。逢ってみたい人だったナ・・。

でもそのおかげで円熟期の今の師匠と出会い、次の世代に志を繋いでいけると思えばそれも又よし。

なんとなくで始まったこの仕事も、様々な悩みを抱える人たちが様々な課題を持って指導室にお越しいただいたことで、仕事によって鍛えられ、今日があったりする。

お客さんと一緒にうれし涙を流す時もあれば、なかなかいい結果が出ずにホゾを噛む思いもありで、毎日精進あるのみだ。整体指導は仕事以前に、自分自身の葛藤を制することが最低条件だし、それが全てだったりもする。

自分が整えば全て解決する。そんなことが学べるのがこの野口整体というありがたい世界。「道」はいつでも近くて遠い。遠くて近い。倦まずたゆまずの精神で、これからも一生かけて自分の速度で歩いていければいいと思う。

今夜はカザルスのチェロをかけながら洗濯物を干して寝る。

身体の軸

昨夜は台風の時間に電車に乗っていて、1時間くらい立ち往生した。車内では「いつになったら動くんだ」といういらいらがたちこめて、自分も意外と気疲れしてたのか今朝はだいぶ寝てしまった。乱れたらしい。未熟だな。

野口整体をやっていくと「乱れる」という事にはいやに敏感になる。何より一度乱れたことによってその乱れていることまで分からなくなると厄介なのだ。

調子が良いときというのは、身体の真ん中に統一した「線」があるようで、触れているだけで相手が整っていく。ところが感情が波立っているとこの「線」がなくなって、自浄(他浄)作用も弱くなる。

いわゆるスランプと言うのはこういう状態だと思うのだが、スポーツ選手でも一流になればなるほどスランプに陥ってから脱するまでのスパンが短いそうだ。それ以前に小さな乱れに気がついて直ちに修正するのがプロの条件だとも思う。

どんな仕事でもそうだろうが、自分を正確に把握しているということ、自分の中心線を堅持しているということが仕事の成否を分ける。

整体指導では心と体を統一させる一本のタテ線を身体の中芯(背骨の少し前側)に形成していく。これがいわゆるブレるとかブレていないとか言われる「軸」のことだ。

この軸が堅固になっていくことで、意識が透明になり悩み事なども消える。自分が整えばその自分を取り巻く環境も鎮まるのだ。

こういうように身体を練り、心を修練する行為をかつては修身・修養と言って教育の中心に敷かれていた。「身体行」を通じて時間をかけて培った力は、人生で苦しいとき、失意のとき、必ず自分を助け起こして新たな一歩を踏み出す原動力となる。

現代の社会には「道義」が希薄になったために、教育における「人間形成」という重大な目的も形骸化してしまった。そういう意味では物が豊かな反面、人は混迷する時代なのかもしれない。

そんな時代だからこそ自分の中に「軸」を創るべきだと言いたい。一度自分の中に培われた身体意識は不滅の資産である。

プリセツカヤ

今朝は顔がムクんで起きました。昨夜お米を食べすぎてしまったのだ。

ムクミをとるために今日は軽いジョギングスタートです。余分な水分も糖分も出てってしまえ~ 😆

運動もカラダのバランスを保つのに有効ですけど、整体指導がおわるとみんな顔が柔らかくなって、ほっぺたがあがってきちっとします。

それともう一つ、みなさんが「おぉ!」と意外に思われるのは、髪の毛がストンっと降りること。(これって女性の方はわかりやすいですね。)

人によっては美容室でお手入れしたみたいにツヤツヤになります。何でかはわからないのですけど、気が乱れると髪の毛がバサバサになるのは確かみたい。

能では般若のお面をかぶるときには両耳の直上の辺りの髪の毛をもりっと盛るらしいのです。そういう風に心と気が逆上すると髪の毛もいっしょに逆立つことを昔の人はよく見てたんですね。

今まで美容だけのために技術を振るったことはありませんが、整体では健康と美は同義だから女の人がきれいになってくれるのはやっぱりうれしい。

きれいを自覚すると自信もわくし、姿勢もぐぃっと自然に伸びてきますし。そうすると考え方も行動も積極的になりますよね。

そういえばずいぶん前に自分の髪の毛が減ったなーって時があったけど今はあんまり気にならなくなった。整体の本で手のひらで首をこするというのを読んでやった時期があったけど、やっぱり心が落ち着くことが一番大事かなって気がします。

だからみどりの黒髪っていうのは髪の状態と一緒に人格もあらわしているんですね、きっと。でも首をこする愉気をお家でできる髪のケアとして紹介したらみんなよろこんでやってくれるかもね。

最近、10数年前にやっていた空手の呼吸法を仕事に入る前にやるようにしました。

結構強力なやり方なので部屋中に(たぶんお2階さんにも・・)呼吸音が響きます。ご近所さんのご迷惑にならないようにやってるつもりですが大丈夫なのかな・・?

現役当時はこの呼吸法を喉を思いっきり絞めて力んでやっていたので、顔を真っ赤にしてやっていました。

後になってわかったのですがこれって脳の血管に圧がかかってすごく危険なやり方だったらしい。∑(゚Д゚ll)オウッ 今は横隔膜を大きく柔軟に使って内臓を適度に刺激するように丁寧にやっています。

整体の道に入って改めて思うのは息って本当に本当に大切だということ。息というのは自分の心と書くし、人生とは心の姿です。呼吸の仕方で人生は変わります。

実際に仕事をする上で何か変わったかというと、身体の軸が自然に保てるようになった。

最近はフィットネス関係の本でも呼吸法が沢山載ってるけど、どれでも一冊買って最初から最後まで読んで丁寧にやればお腹周りの無駄なお肉はなくなるだろうし内科のお世話になる回数もきっと減ると思う。

呼吸法の本で何がいいかと訊かれたら、僕は藤平光一さんの『氣の呼吸法』をおすすめしたいです。

著者は合氣道の名人にして氣の達人の方です。千代の富士の脱臼癖を氣で治した話が書いてあるんですが、僕にとっては本の縦糸となっている「心身統一」という概念が後々の仕事でずいぶんと役にたった。

「呼吸、姿勢、歩き方」この3つは人間の基本です。イコール人格・人間性だといっていい。

だからといって何も特殊なやり方はいらないんです。きちんと正坐をして深呼吸、吐く息を長めにして心を込める。これを正確に何分かやっていると涙がすすーっと出てくるときがありますが、そういう時は頭がゆるんでいなくてよく眠れていないことが多い。

この呼吸を数日やるとだんだん肌の色艶もよくなりますし氣力もしっかりしてくる。眠りの質も変わります。「道」はいつも近くにあるんだけど、こんなことをお伝えしてもやる人って少ないんですよね。僕の感化力の問題もあるけど・・。

人生二度なし。良い人生は良い姿勢と呼吸から。

活元会では少しやってますが、これはお家でできますので氣になった方は読んでやってみてくださいねー。

それではー。