身体の軸

昨夜は台風の時間に電車に乗っていて、1時間くらい立ち往生した。車内では「いつになったら動くんだ」といういらいらがたちこめて、自分も意外と気疲れしてたのか今朝はだいぶ寝てしまった。乱れたらしい。未熟だな。

野口整体をやっていくと「乱れる」という事にはいやに敏感になる。何より一度乱れたことによってその乱れていることまで分からなくなると厄介なのだ。

調子が良いときというのは、身体の真ん中に統一した「線」があるようで、触れているだけで相手が整っていく。ところが感情が波立っているとこの「線」がなくなって、自浄(他浄)作用も弱くなる。

いわゆるスランプと言うのはこういう状態だと思うのだが、スポーツ選手でも一流になればなるほどスランプに陥ってから脱するまでのスパンが短いそうだ。それ以前に小さな乱れに気がついて直ちに修正するのがプロの条件だとも思う。

どんな仕事でもそうだろうが、自分を正確に把握しているということ、自分の中心線を堅持しているということが仕事の成否を分ける。

整体指導では心と体を統一させる一本のタテ線を身体の中芯(背骨の少し前側)に形成していく。これがいわゆるブレるとかブレていないとか言われる「軸」のことだ。

この軸が堅固になっていくことで、意識が透明になり悩み事なども消える。自分が整えばその自分を取り巻く環境も鎮まるのだ。

こういうように身体を練り、心を修練する行為をかつては修身・修養と言って教育の中心に敷かれていた。「身体行」を通じて時間をかけて培った力は、人生で苦しいとき、失意のとき、必ず自分を助け起こして新たな一歩を踏み出す原動力となる。

現代の社会には「道義」が希薄になったために、教育における「人間形成」という重大な目的も形骸化してしまった。そういう意味では物が豊かな反面、人は混迷する時代なのかもしれない。

そんな時代だからこそ自分の中に「軸」を創るべきだと言いたい。一度自分の中に培われた身体意識は不滅の資産である。

プリセツカヤ