みんなが愉気ができるようになったら・・・(3)

近頃また湿度が増してきたせいか、おふとんが重いです。今モワモワ乾燥機中です。(お部屋あついぉう^^;)

でもおふとんが乾いてると寝るときヤッタ!って気がするんだもん☆気持ちいいよね♪

今日は有志の方からオファーをいただいたので午後からいつもの場所で活元会をしました。

はじめはいつもおなじみの愉気法のお話。

現代の感覚では愉気は「不思議なもの」の部類に入るのかもしれません。

「病気も怪我も薬や手術で治すもの」という考え方に浸りきってきた人にとっては、触れているだけで身体が動いて、変わっていく、というのはやっぱりはじめは(?)って違和感があるみたいです。

でも愉気を受けて、活元をやって、整体の考え方が生活の中に浸透していくと、「??どうやら病気は薬では治らない、ら・し・い・」という感覚が体感的に体に入ってきます。

そうして、少し症状の重い風邪でも薬を飲まないで2・3回経過すると身体の治癒力というのが把握できてきます。

野口先生が亡くなられて30余年たった今、投薬を中心とした現代医療のあり方に疑問を投げかける声が少しずつ増えています。

抗がん剤をはじめ、ステロイドや消炎鎮痛剤の副作用が改めて見直され始め、またインターネットの普及で今までは「寄らしむべし知らしべからず」のごとく、全くの受身であった「患者」のみなさんが自分で活路を求めて代替医療に望みを託し、その一つに「野口整体」が求められているという現実があるみたいです。

そんな中で「愉気法」というのが何かの「技術」のように捉えられて、すごい力があるように思われることもあります。

野口整体というのは超能力ではなく、思想と実践が一枚になった生命の「行」である、と僕は学んできました。

段階を踏んで少しずつ、でも着実に野口整体の考え方にシフトしていくことで愉気の響き方も変わってきます。

もう一つはこの世界には「道理」というのがあって、「道理」通りにしか物事は運ばないという法則があります。

自分でこれは「真理」だというものがじつは間違っていると、「奇跡」とか「不思議」なことが起こるんだ、と思うんですね。

愉気をすればどうなるか?というのもやってみて起きたことが真実です。やってみればわかります。

この考え方に賛同される方が会に集まって、野口先生の遺してくれた愉気と活元を取得して人生に役立てていっていただけたら、僕としては嬉しいです。

今月は8月20日(月)にもう一回やります。ご参加いただく方はメールかお電話でお知らせ下さいね。

みんなが愉気ができるようになったら・・・(2)

久しぶりにらーめん一風堂に行ったった。零(ゼロ)という期間限定のプロトタイプらーめんがあったのでそれとめんたいご飯でもぐもぐ・・。((;~;))ムグムグ…

替え玉3回でやめたけど今日はエンドレスで食べられそうだった。いくらでも寝られるし食べられる、身体が休みたがってるんだ。

たらたら書いてたら同じタイトルで3日めになってしまいました。

みんなが愉気ができるようになったら・・・きっといい世の中になる。

そんな気がする、2012夏。

愉気をすると硬直した筋肉が弛んで、眠たくなります。

マッサージとかリラクゼーションサロンでも、揉まれながら半分くらいは眠ってしまった・・という経験のある方はいらっしゃると思います。(僕もあります・・^^;)

せい氣院でも操法を受けてお家に帰ったらコトっと小一時間くらい眠ってしまったという人がいますけど、この眠るっていうのが最終的に整体の技術の仕上げになっています。眠ることで操法が完結するのだ、ぐらいのいきおいです。

なぜなら人間の治癒力というのはちゃんと眠れた時に爆発するからです。

逆に比較的軽い病気から難病にいたるまで、きちっと眠れていないことに端を発するものは少なくありません。

いわゆる自律神経系のバランス欠如が、眠りの質を悪くして免疫力を下げてしまっています。だから風邪をひいて、食欲がなくなって、発熱して、ダルくなって、眠くなる、というのは免疫力を上げるための自然の整体法だ、ということがいえるんですよね。^^

この自立神経系のバランスをつかさどるのが筋骨の部位でいうと「骨盤」です。仙骨や、呼吸活点という骨盤の急所に愉氣することで深い眠りを誘導することができる。

整体っていうのは体をきったりはったりしないので、見る人によっては現代医療や代替療法の中でも「消極的」に見えるかもしれません。

でも例えば、開腹手術っていうのは体を切り裂いているんですよね。麻酔をして滅菌した器具で安全に行ってはいますが、大怪我をしているってことの認識が全体においてぼやけている。このことが僕からするとコワい。

整体というのは身体、生命を徹頭徹尾、これ以上ないくらい大事にします。それは「絶対安静」なんていうイジケた養生観ではなくて、動くべくして動き、休むべくして休む、いかなるときも生命の健全さを疑わずに淡々と息をし続けるということなんですけど。

それを具体的にあらわすといつも、「待つ」という言葉に集約される。その「待つ」は全身の氣を集中させて鎮めて亢める、派手なアクションはないけれど「静中動在り」の、積極的で主体的な「待機」の姿勢だ。

呼吸を深く深く練っていった人の愉氣は、相手の呼吸をシンクロさせて深くします。つまり他動的に安心して待てる身体にしてしまう。

これは愉気法の一つの側面ですけど、こういうことがもっともっと世の中に認知されるようにしていくのも僕の仕事の一つだと、そういうことにしちょる。^^

みんなが愉気ができるようになったら・・・(1)

野口整体は愉気という気の集中・運用法が全ての技術の基になっています。なので愉き法を理解することが整体をやる上で最初の最初にあると思います。

野口先生の本には愉気の説明がいろいろな角度から何度も何度も出てくるので、知識として理解を進めるには先生の著作を読むのが一番確実です。

中でも『健康の自然法』というのは最初の著述に愉気について集約された部分があるのでちょっと書き出してみます。(この本は現在のところ絶版なのです。以下引用)

愉気って何だという質問だが、人間の氣力を対象に集中する方法だ、と考えたら良かろう。人間の精神集中は、その密度が濃くなると、いろいろと、意識では妙だと思われることが実現する。

穏やかな太陽の光でも、集中すると物を焼く。光はレンズで捉えるのだが、気は精神集中によってちからとなる。

それ故、愉気するには高度な精神集中の行えること、恨みや嫉妬で思いつめるような心でない、雲のない空のような天心が必要である。

(以上)

自分の経験でも愉気がピタッと決まるのは頭に余計な考えが浮かばないで瞬間的に没頭できるときです。集中力の密度というのが力の有無を分けるのは間違いないです。

集中力というのだから訓練によって愉気は高めていくことができるのですが、命の尊さをわきまえていれば自ずと気の密度は増してくる。

こういう角度から、気と生命の理解が進むことが本当の人類の進歩じゃなかろうかと思っています。

バストアップしてはいけない時

夕方、突然下痢をしたので、???と思ったけど、よーく思い出してみると昼間ちょっと焦ったことがあった。

リラックスしているとうんちもどっしりしているけど、神経をすり減らすと「ぽしょっ」と水っぽくなる。

昨年地震が起きたあと3~4週間してから下痢をした人をみましたけど、下痢した人はみんなそれまで身体に残っていた妙な緊張が抜けていました。

食物の消化と感情の消化はリンクしているみたい。

僕は野口整体に出会ってから7年くらい。歯医者で麻酔を打つとき以外は薬を飲まない生活になっています。けど、「神様が創ったカラダは絶対に間違えない」ってことがようやく骨身に染みてきた感じです^^

昨日のかぼちゃワインからのつながりで(?)今日は胸の話^^

せい氣院では操法の最後にきちっと正坐をしてかかとを上手に使って(←ここがミソ)仙骨っていうおしりの真ん中の骨をつぃーーーっ↑と前方、上に向かって上げますね。

そうするとこれはもうオートマチック式に胸が一緒にぐぐぐっ!!ぐーっ!↑と上がりますね。

どうやら仙骨と胸骨が対応しているみたいです。

もう少し細かく説明すると仙骨が上がると胸骨(っていうのは胸の真ん中の板状の骨です)とあばら骨の間に「ゆとり」ができて胸郭が左右に開きます。(息が一杯入る)

そうすると僕が背中側からその人を観ていても、胸が開くと同時にパァーっとその人の目が開くのがわかるんですね。

こうなると心の中に意欲が沸いてしゃきっとしてくるからさらに仙骨があがっておしりの形もぴりっ!としてくる。

そしてあばら骨の前側(つまり胸)が自然に上がってきます。

でもこれはいつでもやればいいというわけではなくて、生理が終わった翌日か翌々日くらいに少し意識してやると身体の自然の波に乗っかってよい効果が現れます。

整体のコツはどんな技術であっても「時を待つ、波に乗る」、の2つにつきます。

どんなに魅力的なエクササイズでも生理前におしりアゲアゲ体操↑とかバストアップ↑とかはやらないほうがいいみたいです。

生理の前はなるべく頭を使わないで(現代人的には無理か・・^^;)ごろごろしてる方が身体の波とマッチしてラクだと思います。^^

僕のところには30歳くらいから40歳くらいの女子のみなさんが仕事や育児の疲れを癒しにお越しになられてます。

いわゆる「受験勉強」直撃世代のみなさんは思春期に子宮に行くエネルギーの何十パーセントかが頭に昇華させられてしまった。そんな訳で人によっては胸とかおしりがきちっと発育してなかったりするみたい。

女性のみなさんが野口整体をはじめて愉気と活元運動で気のめぐりがよくなると顔がふわっとやさしくなったり、身体の線が丸くなったりするのはそういう流れから来るのだと思います。

野口整体は「野蛮」と歓迎する、ちょっとマイノリティーな世界。

僕的には「野に咲く花のように」的な感覚で「自然美」とか「健全美」という風に表現したい。

まあシンプルに「美」でもいいんだけど、

その自然の美が人体上に現れているものに健康を感ずる、と野口先生は言われた。らしいです・・。

自然には波があります。その自然の一部である人間にも波がある。一度波に乗るコツを掴むとそれは一生損なわれない心と体の財産になります。

個人指導と活元運動は人間の身体に自然の波を取り戻すための両輪となるシンプルメソッドです。

コツコツつづけると必ず体が変わり、心が変わり、やがて人生が変わります。

ウチに来ている人には野口整体で今よりも、まるまるモリモリ幸せになって欲しいです。つづけてみてくださいね^^

感応道交

今日は整体のお仕事の後、大口商店街のらーめん屋さんチックタックに行って、なごみCAFEでお茶して、盆踊って帰宅。

今更ですけど盆踊りって日本人の音だ。舞踊って、哲学が人間の肉体上に現れたものかも。民族の知恵の結晶って気がする。

せい氣院の整体では身体が痛みを訴えた原因を突き止めたいのですが、指導室で身体を見ながら、心の話をしようとしてもさっぱりチンプンカンプン???になることも多い。

一般的には整体師っていうのは「体」の知識があって、悪いところを治す人だと思われています。ボキボキのイメージはだいぶ無くなってきたけど・・。^^

だいたい「整体」の定義と言うものもあいまいだろうし、もちろんいろんな整体があってどれも「正しい」ですよね。

僕が学んで愛してきた野口整体は、送り手の気を静かに統一させて受け手の心に響かせる技術だ。

この「響かせる」というのは響かせるものと響くものの間の「繋がり」が前提になってます。

音叉という道具がありますけど、同じ振動数のものを2つ並べて一方を鳴らすともう一つの方も共鳴して音が鳴り出す。

周波数が同じと言うのは整体でいうと僕が気を集中して触れたときに相手の人にも同じレベルの集中した気持ちがあるということ。そうすると心が振動しはじめて体が内側から動き出します。

そのままじっと愉気していると活元運動になることもあるし、抑えていた心が発動して泣いたり怒ったり笑ったりして過去に消化不良になっていた感情が処理されていくこともあります。

こういう状態を整体では仏教の言葉を借りて感応道交とか言ったりもするんですね。

それで、せい氣院に初めてお越しいただくときには「求める気持ち」というのをよく伺うようにしているんです。

弘法さんの言葉に「片方の手では拍手にならない」というのがありますけど、拍手というのは右手が左手が勢いよくあたって(感応して)パンッ!という音になります。

当たり前のことですけど、片手だけではどんなに気を凝らしても音は聞こえないのです。^^;

お互いのなかに同じレベルで求める気持ちがあると、こうやって感応が起こるんですね。

こんなことを気持ちの中に入れておくと、愉気を受けるときも人にやってあげるときも効果が変わってくるかもかもしれません。^^

整体操法とは本気と本気がぶつかることで織り成す魂のハーモニーなのです。^^

どんな音になるのか気になりませんか?

願う心

東洋的な考え方で、病気を退けて「健康」を主体的に維持していく姿勢を養生(ようじょう)といいますね。

野口整体は病気になろうが失意のどん底まで落っこちようが、生きてる限りは死ぬまでがっちり生きるんだよ、といって、これを「人生をまっとうする」という意味を込めて全生(ぜんせい)といっています。

だから整体指導で対象とするのは腰痛などではなくて、腰痛になったり、そういう状態であり続けようとしている心の使い方を正すということになります。

逆にいうと腰がよくなったら何がしたいのか?という志(心指し)が始めにかちっと定まらないと、目的地の決まっていない運転手さんにナビするみたいでどんな操法も徒労に終わってしまいます。

仏教ではこういう志のことを、ねがうこころ、とかいて「願心」(がんしん)とか、いうらしいですね。

最初にこういう使命感というものが立つと、ひとりでにスッと気が一つに纏まってきます。

ところがこうやって気が纏まらないであちらへ散ったり、こちらえフラフラ戻ってみたり、ということをやっていると身体の乱れを通じて生活全体に芯が無くなって乱れてくる。

一般に気が去れば「腐る」、気が散れば「朽ちる」といって、生き物にとって気の集中がなくなるというのはそれだけ死が近づいているということだといえます。

ちゃんとした「時期」がくればそれでもいいのだけど、今は死魚の目といって、教育が悪くなったせいで生きているうちから死んでいるような目をした人(子供も!)が増えています。

そこを何とかしたいので、せい氣院の野口整体では最初から身体の統一(腰を入れること)を通じて、気の集中感というのを養い、統一体を体感していただくことが目的になっています。

ずっとこういう角度から技術を行ってきたので、野口整体はむかしから施術といわずに整体指導という言葉を使ってきたんですね。

せい氣院にお越しになる人でも、この感覚がピンと来ない方は次が続かないのです・・。

だからといって無理やり使命とか志を持っていただくこともできませんが、こういうことを孟子は<浩然の気>という項で上手く説明していますね。

野口先生は「整体は真面目に生きる人のためのもの」といっておられたそうですが、「肉体を正して気を一つにする」、ということが指導の根本に無いと根無し草のような腑抜けの操法になってしまいます。

受ける人のこうありたいという願う心と、整体指導者の気の集中が合わさってはじめて質の高い操法はつくっていくことができるんですね。

何にせよ、生きているうちは、夢、持った方がいいですよね。

人間だもん^^

愉気について

ここ数日ラーメンがおいしくてあっちこっちの店に行っっている。普段は玄米と味噌汁を食べないと食事を摂った気がしないような質なのに、最近は汗をよくかいているので無意識に食べてるんだと思う。

家系もジロ系も鶏がら醤油も魚介系もいろいろ食べてるけどやっぱり麺類はおいしいね。僕は子供のときはそーとー偏食で夏はスイカとラーメンばっかり食べていた気がする。

あとビールが好きだったらしいその反動か今は食事にも気を使っているし酒もめったに飲まない。

さて、気の教室では愉気についていろいろな質問を受けますけど、個人整体の時はあれやこれや聞かれることはあまりないナ。

整体は集中して手を当ててますから、終わってからさらにあえて言葉にする必要はないみたい。受けた感覚がそのまま答え、ということなのかも。

しばらく指導に通われている方は、何かきっかけがあるとお友達や家族に手を当てをしたりして私でも愉気をしてあげたらよくなりました、とか話してくれます。

磁石に付いた鉄が磁気を帯びるように、愉気という世界に出入りをしだすと、人間を癒したり守っている気の感覚が太くなってきます。

受けている人は知らない間にそういう感覚が育って愉気ができるようになってくる。

手当て、手かざし、というのは古来からの手法で時代性はあるけど、定期的にテイストを変えてリバイバル版が出てくるのだ。

いわゆる「能力」なので習得するにはお金がかかると思っている人もいるけど、それは水や太陽に値段を付けるようなもので僕は違和感を覚える。

天から授かった命に値段が付かないのと一緒でこれはプライスレスの力、大自然の恵みの力だ。

確かに能力と言えば能力なのだけど、しいていえばそれを集中力というとしっくりくるかな。

愉気の質、というか効果は、瞬間的に、そこに自分の全部を集められるかどうか、という一点で決まる気がする。

だから長くやったからできると言うものでもないし、今日はじめてやった人でもぴたっときまればそういう効果を示す。

人間の可能性という点では面白い世界だし、これからの人類には「気」という感覚をもっと生活に盛り込んでいくことで物事の価値観も、もう少し普遍性のあるところにきちっと収まっていくんじゃなかろうか。

気の教室 はせい気院の野口整体に賛同される方が、そういう価値観を学べるような場にしたいな。あせらず、たやさず、続けていくことがなによりだ。

そういう訳で8月の気の教室は20日(月)13:30~です。

整体以前の問題

近所で盆踊りやってるんですけど「アラレちゃん音頭」が聞こえる^^めちゃんこ♪めちゃんこ♪って30年前のアニメなんですけど。。もしかしたら知らない間に千兵衛さんの年齢をこしているんだろうか。

整体に来られている方からよく「何か(普段の生活で)気をつけることはありますか?」と聞かれるのですが、いつもあんまりうまくお答えできません。

健康を保つとは「普通にしている」ことなんですけど、普通ってなんだろうとか考え出すと難しいね。

松下幸之助さんが遺した経営の要諦の言葉に「雨が降ったら傘をさす」というのがあった気がするけど 、当たり前のことを的確に、きちっきちっとやっていくことを積み重ねるとその先に健全な経営がある、ということらしいです。(これが以外に難しいんでしょうね・・。)

人間の健康生活もこれと一緒ですよね。

お酒を飲みすぎていたらやめればいいし、無駄な夜更かしで疲れているなら早く寝ればいい。

人を恨んだり、しょっちゅう怒っていればそういう心は血を濁すから、もう少し笑顔で人にお礼をいえるような生活にしていった方がいい。

過去のつらい経験から自由になれずに苦しんでいたら、過去のマイナスの感情をプラスに変えられるくらいに強くなればいい。

病院や整体に行くのはこういう風に今の自分をしっかり見直してからでも遅くはないですよね。^^

それができなくて困ってるんです~っていう人をみていくことは私の大事な仕事ですけど^^;

野口整体を続けて身体が整うと生理的な欲求も正常化されますから、おのずと生活も正されます。

こんな風に当たり前のことが自然にできる身体が「整体」ですね。

身体の声を聞くこと、自分の見えない要求を知ることで、生きてるうちは今よりも良くなる可能性があります。

無理やり治したものはくり返します。でも自然に治ったものはくり返さない。

自然とは当たり前の積み重ね、これって整体以前の問題のような気もしますが、人間は平凡に生きるにもちょっとした訓練が要るんですね。

骨盤はゆがんでます

ウチの玄関には小ーこいお地蔵さんのおもちゃがおいてあるんだけど、あんまり視界に入らないらしく3~4回来てから「あれっ」ってよく気づくかれます。^^

お地蔵さんて自分から地獄に降りていって責め苦にあっている子供たちを助けに行くやさしい菩薩さんなんですよね。自分の仕事的にちょっとあやかりたい気持ちもあるのだ。

ま、いいや。今日も変わらずのあっひーですよ。ビーナスの憂鬱^^

今日は骨盤の話です。^^

ようやっと、過剰な骨盤ブームはひと段落した?けど、骨盤のゆがみを気にしている人はいぜんとして多いです。

骨盤は変動があるときでも、本来の位置に戻るのでも大抵は右から動いてきます。ドキッとしたり緊張したりしたことがずっと抜けないでいると右側が高くなっています。

これを「ゆがんでいるのだ」とは思わない。

ときどき左の方が高くなってると「おっ?」とは思いますけど、

でも骨盤っていうのは左右違うものです。

開いたり閉じたり、上がったり下がったり、こうやって動いているのが普通の状態。

ただ、上がったっきり下がらないとか、閉まりっぱなし、開きっぱなしはあんまり良くないみたいです。

そういう時でも活元運動の誘導をしてひと晩ふた晩も経つとやがては動いてきます。

人間は心も体も「矯正」はできないです。

でも「誘導」することはできます。

自然とそうなるように、自然とそうしたくなるように誘導する。

そうすると左右のプロポーションのバランスもとれてくるし、心も穏やかになってくる。

夏場だからといって足首を冷やすようなカッコばっかりしていると、腰が変にカタくなっていることがあるので気をつけましょうね。

女の人は生理前に足湯をすると腰は柔らかくなってきます。「ゆがみ」が気になるあなたはちょっとやってみてくださいね~^^

治さない

フー暑いですね。^^;あっひーは暑いのは全然平気なので夏はいつでも元気っ子です。

僕のところに来て野口整体を好きになってくれる方はけっこういらっしゃいます。^^うれしいです。

本を読むとわかるのですが野口整体は治さない。ただその人に合った条件さえ整えばあとはなにもしなくても治りはじめる。その治癒力のリミッターとなっているものを見つけ出してはずしてしまうのが、いわば「技術」です。フンガー!

だから整体の技術はみんな治療に対するアンチです。体を育てるという本当の意味での体育です。

こういってすぐにピンと来るのは女性のみなさんです。女の人は育むという発想や癒しに敏感ですが、男性の方はやっぱり「治す」の意識から脱せない人が多い。

電話で「そちらは野口整体ですよね?治療(施術)をお願いしたいのですが・・。」といってくるのはほぼ100%男性の方です。

指導を受けて自分の体力で身体が変わっても、「こないだの操法が効きました!」と・・。

なんですと・・・。。

 

ちがーう!お前が治ったんじゃ!p(`Д´)ノドルァ!!

 

何かによって治ったと思っているうちは人間は丈夫にはなりません。

何にもよらないで治った!と思ったときに心も体も丈夫になります。

それが自立。

苦しいときにその苦しいほうと反対側に目をやると、何かが育っています。

それはなんといったらいいのか・・・、、、「生きている」という、侵しがたい健全な光ですね。

そこを拡大して目の前にどん!と出して見せると元気になってくる。

痛いところは放っておいて元気なところにスポットを当てる。

近代医療とはまるで逆転の発想だけど、手術も投薬も対象に何かをやってあげる「足し算的」な発想。

野口整体は余分に庇ったり守ったりするものをできるだけ取り外していく「引き算的」な態度。

だから僕は治そうとしない。^^

これを示すのに感覚的に一番近いのは「クララが立ったー!」だと思います。(ハイジのね^^)平成生まれの人はぽかーんだと思いますが・・・^^;

どうやったら自分の足で立てるのか?これだけを考えていくと、整体の取り組み方全部が変わってきます。

愉気も変わってきます。良くしてあげるつもりでやってると自立ではなく「依存」が育ちます。でも治さないつもりでみていると相手はみな丈夫になってくる。

弱き人 強くあるべし

治療をお探しの人は治療院へ、自立を求める人はせい氣院へ^^