ゆるめるだけではよくならない

最近、指導室へお越しになった方に杉養蜂園というところから販売している『ゆず蜜』というのをお出ししてます。

蜂蜜とゆずの混ざった原液を5倍くらいに稀釈して出すのですが、酸味が少し飛んでしまっているのでレモンをもう一絞りするととっても美味しいです。(^▽^)

夏の味ですねー

以前、骨盤が小さい閉まり傾向(開閉型9種)の女の子がリラックマの絵本を貸してくれたのですが、いいですね~リラックマ^^

最近はなにやら「頑張らない、鍛えない、努力しない」、みたいないわゆる「脱力」の効用が見直されてますね。

普通、女性の身体は月に一回リセットされるようになってますね。身体のお掃除と一緒に感情もいったんささーっとお掃除ができる。(らしい・・僕にはわからないことが多いけど^^;)

ところが、いろいろなところでいわれているように目とか頭を使いすぎると(他にも電磁波とか食事とかいろいろありますが)、骨盤の開きが鈍くなってしまいます。

そうすると生理周期が乱れたり、スゴク痛かったり、無排卵になったりといろんなトラブルが起きてくるみたいです。

あと、骨盤の開き具合が小さくなってしまうと、やたらとキーキーしていまいます。だから「ゆるめる」が今流行ってるんですね。

で、今日はゆるめるだけではよくならない、という話です。

ゆるめるって確かに大切です。でもゆるめるだけでは弊害もあります。

整体とは集中とリラックス時の幅が大きい状態、よく伸び縮みする弾力のある身体です。ゆるむのは心身の休息の状態ですので、これを今度はキュッと集中させる、絞める力、纏める力がいるんです。

だからリラックスリラックスといって瞑想みたいなことなんかをだらだらやっている人はときどき毒にも薬にもならないような精神状態になっていることがあります。(すいません・・でもそうなんです。)

それはそれで楽なんですが、それだと人生に対する意欲というのが出てこない。だから緊張・弛緩のバランスが大切なんです。

そのバランスをとっているのが身体でいうと仙骨というお尻の骨。

仙骨の刺激を通じて骨盤の開閉をスムーズにするとやがては身心共に安定していきます。

たとえば女の人で生理がツライ人は月経の前にこの仙骨を蒸しタオル温めるとラクになることがあります。やかんでお湯を沸かして絞って、乾いた布の上から当てます。一回を5~6分くらいでいいです。

こうしてちょうどいい温度で刺激して、骨盤が開ききることが上手くできると今度は、「閉まる」がきちっといく。

そうすると、肌のツヤも変わってくるし行動も思考もスマートになってきます。

仙骨を鍛えていくと、休めるときは休めるし、やるとなったら仕事も運動も勉強も恋もばりばりできるようにもなってくるんですね。

それはいたって「自然」という状態なんですけど、自然を壊して発展してきた人間にとってはこういうちょっとした訓練がいるんですね。

そういった訓練法は最終的には活元運動に集約されますが、学べる環境が近くにない方は先ほどの仙骨蒸しタオルを寝る前にやってみてくださいね。

生理がツライ人は、1~2週間位続けてみると変わってくるかも。(人によっては変わらないかも・・^^;)あと、熱すぎても効きません。やけどには気をつけてくださいね~。^^

大口活元会と魂とら~めんの話(長い)

人間に魂をいうものがあるか、ありとすれば魂とはどんなものであるか、この問題から取り掛かろう。

商人の認むる魂は宗教家の認むる魂とは違う。武士の見る魂は治療家の見る魂とも違う。

しかし、たましいを見る人間は魂を見ない人間と行動が異なってくる。

あると認むる人は商人なら損、武士なら死にも時に平然と処して慌てないが、魂を見ない人は政治家なら利の為に名を売り、医者なら困っている人に盛るにもその薬の原価計算を忘れない。

魂のある人間の方が魂のない人間よりしっかり生きることができることだけは確かである。それ故、魂のない人があったら魂を持たせなくてはならない。

魂のある人はそう行動すべきだが、魂のない人は自ら持つよう心掛けなくてはいけない。

魂というものは認めればある。認めるまではあってもない。

上の文章は野口先生の『大絃小絃』 の<魂はあるか>という項の書き出しです。

今日は大口活元会でしたが、お越しになった方はお一人(しかも初めての方)でしたので、マンツーマン活元でした。f(^^;)や~マイッタマイッタ。。時間があまったのでご質問に答えるような形であとはずーっとお話をしてたのですが、何故か途中で魂の話なんかになったった。

僕の苦手な分野ではあるけど、「気」と「魂」の話を抜きにして野口整体は語れないのです。気で気を制して、その人の生活に魂がむき出しになっていくようにリードするのがこの仕事の根本理念だ。

そういう意味では整体指導は魂の共鳴、気と気のぶつかり稽古である。ドスコイ!よさこい!

整体指導とはまさに「気合い」だ。気の集中密度が亢(たか)まると身体の奥にある心にも触れることができるし、そうして初めて魂のこもった仕事もできる、と思います。

これを野口整体では「裡(うち)の動きを振作(しんさく)する」という表現をしますが、その人の中心線に向かって真っ直ぐ気を集めていくことで初めて愉気は肉体を超えた力となる。

それを僕はよく魂力とか言ってしまうんですけど・・^^;そうはいっても基本は肉体の観察や操法からはなれないからおかしな方向にはいきにくいし、それが整体の健全さのゆえんだとも思う。

ここで、今度は野口先生の『愉気法1』から・・・

人間は心も体も魂も何もかも一つのものであり、一個のものであります。その一個の人間を研究上の便宜で分けた、その分けたものにとられ過ぎているのです。

<中略>

やはり人間同志が深く理解し合わないと、愉気法が本当の効果を現さないのではないでしょうか。

そういう意味で、一応私達が理解する範囲を、体の面とか心の面とかというように考えないで、生命そのものに愉気していくというつもりになると、もっといろいろな面が拓かれてくると思うのです。

体の面だけのうちは愉気する場所をよりどらなくていけない。ところがどこもここも魂なんです。

<中略>

ただ手を当てるということだけでも、ただ手を当てるつもりの人は、それだけなのです。これは愉気法だと思って手を当てる人は、愉気法になる。

その愉気法でも、体に行うと思っている人は体に効くのです。心に伝えると思っている人は心に伝わるのです。魂を清めると思っていると、魂も清まるのです。

・・・・・・

と、そういう意味では体・心・魂というふうにいろいろわけないで一個の命として一人の人と向き合っていく。そういう姿勢が仕事には直結してあわられるらしい。そして仕事に対する姿勢と言うのはその人の顔つきや生活にも現れるんですね。

公民館でするにはずいぶんディープな話になったけど・・・。いや~密度の濃い時間になったった。^^;

こっからちょっとライトな話。ライトってイチローの話じゃないですよ。軽いほうのライト。^^

そんなディープな活元会のあとで、なんか気のこもったものが食べたくなったので大口商店街の手打ちら~めんチックタックへ。

野口整体 せい氣院の活元運動のすすめ 

ここって、最初入りづらいんだけどお店ん中がいつ入ってもめちゃめちゃキレイ☆

そして、ここの大将はら~めんに魂こめてます。(いや、行けばわかるんです。こもってるんです・・)

チャーシュー?はバラとロースが毎回同じ角度でのっかってきます。(こだわってます)

どんぶりのtic-tacのロゴも毎回同じ角度で出してくれます。(こだわってます:こういうこだわり大好きです^^)

スープはダシが何々で~とかいうのはさっぱりわっかんないけど、まぁ・・とにかく・・・

すっげ~おいしい!

あと仕事柄あっひーが食に求めているのは「気が澄んでいるもの」だ。

都心の一等地なんかで繁盛しているところでも、気の荒れたものを出されてうっかり食べると一気に身体の感覚が悪くなるから要注意なのだ。らーめんに静けさもとめるのほうがまちがってるかもしれないけど・・。

あひ「このお店すっごいこだわってますよね~」

大将「はい、味とかはヤバイです(ニコ)」

あ~わかるわかる~とかいって写真を取らせてもらったのでサイトにアップ!は・・やめとこう^^;

 

ま~とにかく、イカした笑顔に癒されます。

せい氣院に来たら一度は帰りに寄りたいお店 です。

あ~しまった、内容盛りすぎてなにがなんだかわからないブログになったよー。(笑)

来月の活元会は8月20日(月曜日)です。9月は17日(月:祝)の予定です。

参加される方はお電話かHPから予約 してくださいね^^

野口整体 せい氣院の活元運動のすすめ 
行けばわかるんです(笑)

信念はあんまりカタくないほうがいい

明日の活元会用のケーキを焼き終えました。(^▽^)ででん!

野口整体とは自分の力は生きてるうちにきっちり使うための勉強法。そのためにはまず「自分」を主観と客観を交えてよく知ること。

肉体があるから苦しさも楽しさもある。生きてるうちが勝負だ^^

「ゆるむ」ということの大切さが見直されて久しい。考えてみれば高岡さんの「ゆる体操」は戦後から続いてきた力みと努力の神話に一石を投じたコペルニクス的転回の身体論だった。

野口整体でも昔から休息をとるときは一切の筋を緩めることを説いてきた。

身体を観ていても何か一つのことに強く捉われているような人は背骨が1本の棒のようになっています。みているだけでも何か窮屈な世界に自分を押し込めている様でツラい。

過度な執着がもとで人によっては「うつ」といわれるような状態にもなるけど、僕の見立てではそういう病気はこの世に存在しない。

在りもしないものだからうっかりアナタはうつです、といわれて闘病生活なんかを始めるとトコトンこじれる。その気になって「治療」を始めるとエンドレスな投薬の渦に入りこんでやがて知らぬ間に本当の薬病になってしまう。

そこまでいかなくても頑張りすぎる真面目な人なんかは自分がムキになっていることがわからないので、仕事や人間関係でたびたび交通事故を起こしたりもするみたいだ。

予測のできない人生をフリーでチャーミングに生きていくには、背骨の1コ1コがばらばらにはがれて油をタップリさした鎖のようになっているのが望ましい。

時と場合によるが、最近はカタイ信念なんてものも持たないほうがいいとすら思う。信ずるという行為は人間の智的活動を麻痺させるし、念という、いわゆる「今の心」なんていうのもやはり流動的にさらさらと流れているほうが自然であり健全なのだ。

氷と化した心をいかに水にするか?この答えはいつも肉体の中にある。

「心でも体でも、異常を異常と感じたときから治りはじめる」という野口整体の至言があるけど、まずは自分の身体の有り様をしっかり見つめること。これが整体の最初の、最初の、最初の作業だ。

それは「自分」を細やかに見ていくとくことだけど、意外とこの作業を嫌がったり、やろうとしない人は多い。でもここをすっ飛ばして、とってつけたように「野口整体」をやっても野口整体にはならないのです。残念ながら・・・。

千里の道も一歩からで、活元運動でも個人指導でも、「焦らず・走らず・でも止まらず」のこころもちでやっていくと必ず実りの季節はやってくる。

自分の心と体はときどき(できれば毎日)耕していきましょうね。来月の愉気法・活元運動の会は8月20日(月)午後1時30分からです。

いきづまらない(途中・・)

昨日は自然体の条件みたいな事を書いた気がします。たしか・・・

肉体の状態を一切数値化しない整体において何をもってよしとするかはいつも文学的で漠とした世界だ。

そんな整体指導ではずせないポイントの一つは最終的に呼吸が変わること。息が深くなれば万事オッケーなんです。

心理的なショックがあると骨盤が縮まります。すると猫背にもなるし肩もこわばる。呼吸が入らなくなるのでそういう時は息が詰まっているのです。

こいう状態は頭が休まらないし、長期間におよべばうつにもなります。・・・・・・・うっ眠くなってきた。。

この続きはまたいつか・・・・・

自然体

FNS27時間テレビとかあったんですね。^^;テレビを撤去してからすっかりテレビネタによわくなってしまった。

こんばんは、あさひなです

今日は「自然体」のこと書こうかな、と思います。

ご存知の方も多いかもしれませんが野口整体では整体をするという、何か技術的なことを行うのではなくて、「整体である」または「整体になる」ということを目的としています。

整体とは整っている体の状態を指しますけど、言い方をかえると「自然体」という状態ではないかと思います。

ではその自然ってなんですか?っていうとちょっとウィキペディアで調べたら「自然とは、万物が現在あるがままに存在しているものであり、因果によって生じたのではないとする無因論のこと。」って書いてありました。(ちょっとむずかしい?・・・^^;ほぁ?)

これを僕が学んできた整体の言葉を借りて説明すると、心とかエネルギーの交流が人や外界と自由(フリー)に行われている状態が「自然」だと思います。

たとえば今ホットな、エネルギー問題でいうと古来からある水車小屋とか風車っていうのは外界に向けてその器械性が開かれているので「自然」って気がします。で、原発は何層にも壁で囲って外界から隔絶・封じ込めてあるので、あまり自然ではない気がします。(今回はその是非を問う話ではありませんよ^^念のため・・)

人間の身体で言うと、身体的に他者に無理なく触れられたり、心の交流が自在にある状態が「自然」であり「整体」であると思います。

平たく言うとコミュニケーションがしやすい身体、人の話を聴ける状態です。相手の考えや意思を良く聴いて受け取れるような弾力のある身心の在り方が「自然体」です。

これを齋藤孝さんは『身体感覚を取り戻す』の中で「積極的受動性」という言葉で表現されています。整体というのは内面的にも、また外界・他者に向かっても心が開かれているので相手をより積極的に受け入れられるようになっています。

この状態になると「ひきこもり」とかになろうとしてもそう簡単にはなれないですし、不自然な自己完結型の消滅(自殺)とかもできない。

今は自殺者を減らすために国でも人の心のケアなんかがいろいろとこうじられていますけど、これはとてもすばらしいことですよね。そしてこれをもっと心の問題から肉体的な問題として見方を変えて、そういうアプローチ法が増えてくると、より対策も効果的になってくると思っています。

「だからもっと野口整体をやりましょう!」というと我田引水すぎますけど、でも言いたいことはだいだいこれなんですよね(笑)^^;

愉気法も活元運動も集約すると人間の「体を開く、心を拓く」ためのメソードといってもいいと思います。個人指導というのはそれを個人用にオーダーメイドしてぎゅっと濃縮したもの。

そして指導をくり返して整った気を、活元という不特定多数、集団の中で円滑に流していくことでまた外界とか他者とのつながりを増やしていく。

僕の場合は今こういう感覚で野口整体に向き合っています。

人間、孤立した状態というのは自然ではないです。(自立は前提として必要ですけどね・・。^^)自然体は孤立から開放され、仲間を増やします。そんなこんなで個人指導を受けている人はときどき活元会にもきてくださいねー。

今月の活元会は25日13時30分からです。

首のコリ、痛みを取る

明け方は寒くて寝冷えしたった。湯船を焚いてあったまったら上半身がほぐれて目が覚めてきたけど、夏場の雨や早朝の寒暖差で冷やすと3、4日で首や肩、呼吸器なんかに変動が出る場合があるから要注意だ。

この分だと明日も冷えそうなので肩や背中にコワばりがでた人は夏でも浴槽に入って足からあっためるといい。

ある整体操法家の本を読んでいたら、「私は首をいじることはほとんどない」という話があったのだけど僕のところでは首をやらないことはまず絶対にない。

どちらも正解と思うけど、整体では首は急所で、気分転換の要でもある。

とかいいながら首がコっているからといって、いきなり首に触るかというとそういうこともない。

首が固くなるのは大脳や目を酷使しているからで、頭を丁寧に愉気していると目の緊張が解けて首がゆるむ要素が出てくる。

借金で首が回らないという人にはあったことはまだないのですが、感情面で拒絶したいようなことを我慢していると、とたんに首の可動性がわるくなる。

そういう時はヘソを中心にお腹がちいさくなっているのでまずお腹に愉気して、裏側の背中、骨盤部にも愉気をして下半身が闊達に動き出すと首や肩も動き出す。

整体の技術はみんな『北風邪と太陽』で、身体が自ずとそうなりたくなるように外堀から攻めつつ、本丸を誘導するような性質をもっている。

相手の力が働くことで治って、初めて「治癒した」といえるのだ。

首を触るときには概ね腰・腹をみたあとなので、ここまででほぼ技術の成否は決している。そういう意味では腹部操法がきちっときまっていればわざわざ首をやらなくてもいいかもしれない。

そんな感じで、今日みたいに冷えて首や肩が固くなったのを自分でケアする場合は、入浴前におヘソに蒸しタオルをあてがって温めてやるといいです。

あと目も同じように蒸しタオルで温めると経過が早い。身体のつながりを利用するのは整体のお家芸だが、肉体全体の関連性がつかめてくると、いちいち本の知識をあさらなくても解決策が浮かぶようになってくるから面白い。

蒸しタオルはヤカンで沸騰させたお湯を絞るのが一番温度が持ちます。冷えを感じた人はやってみてくださいね。今夜も雨戸、カーテンをしっかり閉めておふとんかぶって寝まーす。

それではー^^

立腰教育

90年代の後半あたりからだと思うが、様々なボディーワークの世界が展開され今は誰もが何でも自由に学ぶことができる。特に30〜40年前はヨガなどはかなりマイナーなめずらしい世界だったろうに、その人口も女性を中心にずいぶん増えたものだと思う。

美容目的で行われている方も結構ありそうだが、当院にお越しになっている方のお話を聞いていくと「身体」に漠然とした可能性を求めている方は存外に多い。

経済的な成長が頭打ちになった現代において、安定した生活を確保しても「幸福感」や「生きがい感」といったものの充足は別次元であることが露呈した。

そういう心と体の「渇き」を埋めるために更なる目に見えないものを求めて、身体の可能性や精神世界に傾倒している人が増えているのだと思う。

成人になってからこういう身体の学びをもとめるのは、子供時代の身体を使った遊びの体験があまりに少ないからではないだろうか。かくいう自分自身もファミコン直撃世代である。

「キレる」という言葉が一般化したのも大体この世代で、足腰を動かさず手の親指だけを過剰に動かして脳に信号を送り続けるとどうもキレやすくなるようだ。

文化というものはその土地土地の風土が生み出す身体性から発展していくもので、身体が萎えれば文化も脆弱になるのは自然の道理となっている。

逆に体を正しい方向に刺激していけば個人が自立し、やがて公、地域や社会、国までが強固になっていくのも事実である。

森信三氏の『立腰教育入門』という本には姿勢が精神に及ばす影響がいくつも書かれているのだが、おそらく今の教育現場では非科学的な空論として軽視されるのがオチではなかろうか。

あるいは下手に「腰を伸ばせ伸ばせ」というと体罰として、忌避されるかもしれない。

立腰教育とは「仙骨を立てる」という体勢こそが教育の要で、腰が伸びることが即人間形成となりうると説く。またそれは万病予防の基本でもあると主張する。そして自分の心と体、そして実生活における中心線を物理的に堅持する要とするのである。

せい氣院を訪ねてくる女性には月経不順や不妊、自律神経系のトラブルやホルモンバランスの欠如(バセドー)のような悩みが多く、このような方の大半は対症療法に追われて改善の決め手がないまま漫然とやり過ごしている。

そういう生理的な不調も、姿勢の指導を3ヶ月、半年単位で行うと大方改善されるので姿勢は侮れないのだ。いわゆる野口整体の整体指導と森氏の立腰教育というのは日本特有の腰肚文化を基盤とした養生法という点で通底している。

ただ、姿勢を「正そう、正そう」と言ってもそうなるものではなく、身体上の無自覚な緊張に気付きてこれを抜くことが必要である。

立腰を実現するうえでは野口整体の活元運動は大変有効である。はじめのうちは効果も意義も見出しにくいが、淡々と続けることで知らぬ間に身体の自然を理解して無為の健康を獲得できる。

頭の理解で意識的に伸ばした腰と、潜在意識がクリアになることで結果的に伸びた腰では弾力が違うのである。人間教育の要として姿勢に着目した森氏の慧眼によって活元運動の価値を再認識する次第である。

大局観

代替療法のような仕事をする人(治療家さん)はみんなよく本を読みます。僕もごたぶんにもれず、仕事をはじめたときは整体操法を生業としている諸先輩方の本を読みまくった。

でもそれはたいして役に立たなかったです。(僕の場合は・・ですよ^^;書いた人がいけないんじゃなくて)

当然ですけどいろいろな技術を読み漁っても自分のレベルは変わらない。野球で言えば基礎体力や最低限の筋骨もないのに誰々のフォームは・・といってバットの素振りを真似しているようなイタイタシイ状態・・(ToT)あるよね~

これでは本当に魂のこもった仕事はできないですよね・・。

どんな分野でも指導っていうのは信念や気魄がものをいう世界だ。今は人マネはぼつぼつ脱してコツコツと仕事の現場から学びを得ています。時間はかかるけどこれが成長を約束する一番確実な道だ。

そうはいいながら、読書はすべて無駄かというとそんなこともなくって、僕が仕事をするうえで役にたったのはお相撲さんの書いた本、そしてプロ棋士といわれる将棋指しの方々が書いた本です。今でも技術に迷い生じたときにはを教えを乞う気持ちで読むようにしています。

負ければ引退という峻烈な勝負の世界で、十何年、人によっては何十年と生き残った人たちの言葉は、僕が行き詰ったり困ったときに打開するためのヒントになるような言葉が沢山詰まっているのです。

一対一、一期一会の真剣勝負の世界という点では整体操法の場に共通している部分もあると思う。

今をトキメク(…というか昔からときめいてるけど^^;)名人・竜王 羽生善治さんの『大局観』というのもそうした教本の一冊。

大局観とは文字通り大局(全体)を観るための心の目のこと。意味合いとしては「木を見て森を見ず」の反対で、ぱっと見た瞬間に大まかな「アタリ」(全体)を観て、流れに準じた最善の一手を指すための能力だ。

整体というのも細密な身体の知識と正確な技術、そして一定量の経験を積んでいくことで部分ではなく全体の流れとしてここが「妙だ」というところがさっと見つけられるのだと思います。

現代医学のように皮膚に出たから皮膚科、肺の病気だから呼吸器科という風に分割しない、全体性の調和とかバランスを、「順」に持っていくために整体の技術はあります。

私が「一定の経験」なんて口にするのもいかがなものかとは思いますけど・・。(はじめた当初よりはということでね・・・)プロの水ってやっぱりそう甘くはないし、でも時には泥水をすすりながらも実戦から得た経験はやがて「地力」という形になって次に生きてくる。

生き様の問題もあるので必ずしも「年齢=経験値」ではないけれど、良い仕事をするにはある程度の「年月」は必要条件ではなかろうか。若くても、周りに持ち上げられて羽振りのいいのが「成功」みたいな今の風潮に僕は危うさを覚える。

アンチ・エイジングなんていって、世の中が「老い」を否定的にしか見れなくなってきたのはそれだけ文化がインスタントで稚拙になってきたからだと思う。しっかりと真面目に年を重ねて生きている人は、日常の所作にも、表情の皺の一つ一つにも本当は美しさがあるのだ。

野口先生は「歳を負うごとに増してくる力がある。」とおっしゃったそうですが、それは「気」であったり、その他諸々あってしかるべきだと思います。

大局観っていうのもそういう能力の一つなんじゃないでしょうか。本当のプロを目指すあなたも!羽生さんの本 、読んでみてくださいね。^^

愉気の話

軒下の朝顔が咲き始めました。たぶん小学校の理科以来の朝顔の栽培です。^^

朝顔

あの、ちーこい種が土の中に入ると「おっここ土ん中じゃん!発芽しよっと」って芽を出して根を伸ばして花を付けてまた実を結ぶ。

そのことを知ってるってことがすごい。自然の摂理ってすごい。生きてるってなんだろう?って考えさせられます・・・

最近せい氣院のお客さんがお家で愉気をはじめたり、手当てやヒーリング関係の仕事をしている人が指導を受けに来ているので、今日は久しぶりに愉気の話にします。

僕が育った野口整体は愉気(整体の気)というのが、技術の元になっています。

野口整体の世界の中心には気がありますから、野口先生の気に関する言葉は沢山残されています。

以前に太極拳を習ったときに、型や技術はピストルでいうと「弾」、そして気というのは「火薬」なんだよ、と先生に教わりました。

これって気に関してすごくわかりやすい喩えで、いろいろな仕事やスポーツなんかの技術にも共通して言えることだと思います。

野口整体にも「操法」という型がありますけど、同じ型をやっても効果が上がるときと上がりにくいときがあります。

大事なことは技術以前の気の集中密度、だと思います。上手・下手というよりも、自分を瞬間的にキュッ!とまとめられる人が質の良い愉気ができる人だと思います。(そのとき心が穏やかなのは前提条件です^^;)

野口整体では、愉気をするときは全身全霊を傾けて、というようにいいますけど、いわゆる「真剣」、あるいは「集中」すると手の感覚が変わって、初めてやるような人でもびっくりするような効果があがります。

でも、気の集中が行われなければ何十分何時間やってもいっこうに相手の呼吸が変わってこない、ということもあります。(かえって乱してしまうというか・・)

そのためにいろいろな訓練法も伝えられていますけど、とにかく一切合財を忘れて「命は何よりも大切なもの」という心構えで、「今、この瞬間に集中する」ことを勤めて行うと自ずと顔の表情も体の構えも変わってきます。

ちょっと難しそうな話になってきましたけど、磁石に付いた鉄が磁気を帯びるように、愉気を受けてるとだんだんとそして知らないうちに、みんな愉気ができるようになってたりするからうれしいです。^^

「気」なんていうとちょっと日常から逸脱した世界のようにも聞こえますけど、何度か愉気をくり返して、受ける人の変化を目の当たりにしていくと、人間が弱ったり、元気になったりするのは目に見えないエネルギーが基になってるのかもって自然に思えてきます。^^・・・・・

愉気の話の種はいっぱいありますので、またー

肩こりを自分で解消しようの巻き

ここ何日か奥歯が痛い、というか痛かった。昔歯医者さんに「あ、この歯はたぶん生えないね~。」と言われた下の親知らずが何を思ったか急に方向転換して出てきたのだ。

ちょっと前に首がおかしかったので自分で調整したのだけど、たぶんこの影響だったんだね・・。

痛くてご飯もおいしくないのでやむなく減食、一日一食、うどんとかサンドイッチで過ごしたら化膿もおさまって身体も軽くて調子が良いyo!。

怪我の功名というか、現代は栄養をいろいろ沢山取るよりも、減食やプチ断食で抑制するほうが元気になることは多いよね。基本、食べすぎ・病気大国ニッポンだから。

ほんの少し前、大正・昭和の始めは栄養失調の病気が多かった。結核なんかも予防接種(BCG)の普及率増加と、罹病・感染率の減少はあまりリンクしていなかったというデータがあるのだ。

結核がなくなった一番の要因は経済成長に伴う、衛生環境と滋養の改善だという見方が本命らしい。食養生というのは古来から不朽の健康法の王道だ。マスターすれば身体の無駄な澱みはなくなる。

序盤から食い物の話になっちゃったけど、今日はタイトル通り肩こりの話しないとね^^;

かつて野口整体を生業にして生きて行ぐべー!と思って仕事をはじめたときは肩こりにはあまり興味がなかった。

でも最近仕事と関係ないところで立て続けに、「肩こりがねー・・」という話を聞いて、潜在的なニーズというか、困っている人はやっぱり結構いることに今更ながら気が付いたのだ。

肩こりと言ってもね、コリや痛みが出てるのが肩なだけで、眼精疲労の肩こりもあるし、感情抑制のもの、指先の使いすぎ、栄養の取りすぎ、原因はいろいろあってそれを見極めるのが整体の観察だ。

今日は話の流れ的に食べすぎに焦点を当てます。

そう、

食べ過ぎの肩こりを治すには・・・

それは・・・

ずばり・・・・・・

食べなくすればいいんです。

「っそんなことわかってるよー!」ってつっこまれてそう。^^;でも冒頭でも書きましたけど、食べないでいるって肝臓と腎臓が休息状態に入れるので、夕飯一食抜くくらいでも、一晩寝ると肌がつやつやしたり白目がパーッと白くなったり結構な恩恵にあずかれます。(適度にですよ・・何ごとも中庸が肝心ですよー^^;)

お釈迦様も過剰な断食行も息止めも最終的には身体に良くないという結論に達したけど、一説には週一回、一日の断食は続けられたというのを何かで読んだ気がします。

だまされたと思って1週間~1ヶ月単位で、(特に梅雨時から今ぐらいが狙い目です^^)少ーしでいいので減食してみるとある種の肩こりの人は楽になってくると思いますよ。

「そんなことするくらいなら肩こってたほうがましじゃ!」という人にはやっぱり野口整体の食べ過ぎ体操かナ。

正坐をしてそのまま後ろにぱたん!とするアレです。(ちくま文庫の『整体入門』に書いてあります。)

栄養過剰になってくると腰とふとももの前側がぶねっと固くなってくるので、そこをぎゅぎゅいーーんと伸ばすと時間差で肩に効いてきます。

二人一組で正坐した人のももの上にパートナーが乗っかるというアグレッシブなやり方もあるけど、東洋医学では肩こりの人に、ももを刺激するというのはわりと定番みたい。

体操で身体が整うと食欲は安定するから、それで食欲が正常になれば身体ももっと良くなる!という元気っ子スパイラルに入れればいい。全ては最初の小さな行動から。

食べ過ぎの肩こりさんなあなたは、まずは体操をおためしください。

食べ過ぎ体操

これでやり方が解る人はすごい^^;体の固い人は一人でやならいでくださいね。でわー