頭の穴追い

あついあついって季節もおわって、ようやく秋ですね。

早い人は8月の下旬くらいには骨格が締まってきていました。からだは知ってるんですね~・・。

こんにちは。あさひなです。(^ー^)

この間お客さんに聞かれたので、今日は「頭の穴追い」について書きます。

「頭の穴ってなんですか?」というお話だったのですが、穴といっていうと違和感があるかも。正確には「くぼみ」です。

頭、頭蓋骨をそーっと手でなでていくと「くぼみ」がぽこぽこあります。

人の頭ってヘルメットみたいに固く感じますけど、実際は何枚かのプレートが縫合部でつながりあってできていますね。

多くはその骨のつなぎ目の線上に「穴」があります。

この穴に指を当て込んで、じーーーっと愉気して待ってると「穴」が「溝」に変わって指が走り出します。

むかし野村トーイというメーカーから「チクタクバンバン」というおもちゃが発売されていたのですが僕はアレを思い出します。(古っ!!)

コレ^^↓
チクタクバンバン

この溝の流れに法則性があるのかな?とか、いわゆる「経絡」とかと関係あるのかな?とか思って調べたこともあるけど、どーやら共通性はあんまりないみたい。

感覚的にはエネルギー(気?)のつっかえたところをつかみ出してカラダの外まできゅーーーっとつまみ出していく感じかな・・。

これが終わるとたいていの人は視界がはっきりします。さらに目がパチッとなります。まあ、さっぱりするんですね。

それともう一つ、穴追いをやってあげると整体に必要な「勘」が育つ(と思う)。

この人のカラダの、どこに愉気したらいいのか?ということが直感でわかるようになってきます。

これができるようになればお家で、例えばこどもが具合悪いときなんかにも愉気ができるし、自分のカラダのつっかえているところもすっと勘でわかるようになる。

整体を学ぶときは「技術」と「勘」は両輪。

技術×勘=操法の完成度

です。うん。

どちらかが欠けても効果が上がらないのでどっちもバランスよく訓練が必要です。

あとは「百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず」、です。やってみると意外とカンタン(?)だと思います。気の合う人同士ならけっこううまくいく。^^

穴追いはいっぱんに秋口、骨が動く時期に調整の一環としてやる習慣があります。

せい氣院の教室では9月・10月は活元会でやります。^^

なんか興味あるーって言う人ははやめにメールでご参加希望を出してくださいね。(いまのところ女性の方だけです)

9月は10日・17日・26日です。^^

それでは。

活元会 ―頭の穴追い―

昨日からの雨で気温がずいぶんさがりました。

今って身体はまだ「夏」モードなので寝冷えには弱い。長袖のパジャマをきたりして、窓からの風ななどにも気をつけてくださいね。

今日は午前中お仕事した後、午後から自分の先生の活元会に参加してきました。自分の身体もときどき外から見ないとね^^

気が付けばこの何ヶ月かは仕事をしながら「活元運動ってなんなの?」というのをずっと考えていました。

一つは純粋に肉体の疲労の解消、というのがありますけど「野口整体」でありながら、その技術が肉体のレベルで終わってしまう、というのはやはりちょっともったいないと思います。

今ってやっぱり野口整体に限らず、「心」を求めていらっしゃる方が多いのだと思っています。

スピリチュアルに象徴されるように、モノから精神へと価値観がシフトしてきてます。

日本にとっても世界にとっても昨年の地震のショックは大きかったですよね。

ああいうことからをみても大きなプラスと言うのはマイナスに転じたときの対処まで考えていないと怖い面があるのでしょう。

40年間、日本に電気を送ってくれて原子力の発電所、ずっとずっとみんなの生活を助けてくれていました。そのことまで含めて一切合財を「悪るかった」とみるのはよく「考えて」いないから。

やっぱり、先の敗戦からの復興、経済成長という時代の一連の流れの中に、「闇」の部分や「問題点」があった、と認めるところから再出発しないといけないのかなって気がします。

僕が思う「整体」っていうのは「人間が夢を追いかけられる身体」、「志を持って生きる身体」だと思っています。

どんなに大きな失敗をしても、すんごい失恋をしても、ものすっごいがっかりしても、失意のどん底に落っこっても、いったんその強い痛みがひいたら、「よし、じゃ、もっかいやろうか」っていえる身体です。

人間って生きてる限りは、良くなる、すっと光の方を見つけてまた伸びていく。そういう生き物だと思います。

それにはやっぱりいつまでもマイナスをしょっていることなんか不可能だし、ときには成功体験みたいなプラスの記憶も荷物になります。

そういう意味では人間が一番力を出せるのは「ゼロ」、「無」の状態って気がする。

「整体」の目的はプラスにプラスを重ねて丈夫にしていくのではなくって、過去の堆積物をさっとすてて身軽になっていくような感覚といった感じでしょうか。

余分な力を抜いて捨て切っていく。

活元というのはそういう「捨てる手間」すらないくらい「何にもない」作業。「自分」をいったん作り上げた「考え方」から下ろす。なんにも無い「命」だけになってひらいてく。

そういう「心」の状態になって初めて宇宙と一つの整体の呼吸になるし、ほんとうの「愉気」もできる。

ほんとうにシンプルで簡単な、易しくて優しい道ですけど、やりこんでいくとこの道の深さには際限が無いこともみえてきます。

活元運動も続けていった人にしか見えてこないものがあるんじゃないかな、と思います。

今日本に必要なのはお金でも仕事でもなく「志」を持った人、心からそう思います。

活元にはそういう「人」を作っていく力がある、というのは過信かな?賛同者が集い普及していってくれるとうれしいなとは思います。

次回のせい氣院の活元会は10日(月)です。次回は夏から秋へとまた骨が動いていく季節なので頭の穴追いをやろうと思っています。クーラーで冷えた身体から発汗をうながして、引き締めていきます。

頭の穴(調律点というくぼみ)から愉気をはじめて、ずーっと穴を追って身体の外に澱んだ気を抜いていく技術です。^^言葉で説明するとわかりにくいですね。とっても簡単ですよ☆

ご参加される方はお早めに教えてくださいね。^^

愉気と心理療法

21世紀はこころの時代、90年代にはそんなことを何度か耳にしていたけど蓋を開けてみたら21世紀はからだの時代になっていた。

ヨガやピラティスのようなものが流行っているのは「きれいになりたい」という気持ちもあるけど、やっぱり他の何パーセントかはこころや生き方の指針を求めているんじゃないかな、と思う。

せい氣院に野口整体を求めてくる方も、そういう精神的な面を大切に観て生きたいという人が今は半数以上をしめているのが現状・・かな・・。

野口整体の本を読んで愉気にはすごい力があると思ってお越しになる方もいますが、整体の世界では奇跡的なことはまったく起こらないのです。

からだが冷えていたら「温めてください」といいますし、寝不足だったら「帰ったら少し休んで、寝てくださいね」みたいな、あたりまえのことばっかりです。^^

でも、

「あたりまえ」、これがけっこう難しいんですよね・・^^;

先日、「先生は心の傷とかトラウマもみたらわかるんですか?」と聞かれたのですが、「わかる」というと語弊がありますけど背中を見ると過去から現在の流れ、心身の「今」の状態が感じとれるんです。(最近特に・・。)

そして「今」からさかのぼっていって、これまでの道のりでどこにどういうつまずきがあったかを諦観する。

仮にトラウマがあったからってそこをガサガサいじるようなこともないし、「ああ~、そんなだったんだ・・」っていう、そういう感じです。

愉気をするときは、肉体の面でも心理的な面でも痛いところはじかにベタっとは触れない。

遠くの方からうっすらと照らすような感覚、こんなくらいがいいんだと思う。

本には「愉気は障子越しのあかり」という表現がありますけど、ニュアンス的には「やってあげる」んではなくて「相手に関心を示してすっと触れる」という感じでしょうか・・。

愉気がこころに届くと、皮膚が変わってきます。

顔が活き活きしてくるし、腰も柔らかく動くようになるのでわかります。

整体では人間から「からだ」を引き離してこころを扱うことはできないです。

そしてこころを除いてからだだけを刺激することもない。

いつもいっしょなんですよね。

こころとからだって。

そういう精神と肉体、気で動いている人間が、

死んだらどうなるのかな。

それは最後の愉しみにとっておこう。

活元運動

活元運動が出にくい、出ないという方はそれだけ、つらい局面を「がんばって」乗り越えてきたということ。

こころとからだを固く使って耐えて生きてきたということだと思ってます。

力むということは自然とできるけど、ここぞというときにリラックスして能力を発揮できるようになるには後天的な訓練がいるんです(たぶん)。

活元運動をくり返すとそういう訓練法にもなってくるんだけど、真面目な人ほど存外力が抜けないので活元運動の取得にもときどき時間がかかる。

「頭が絶えず活発に動いている」ということと、「鳩尾が固い」ということ。このいずれかの状態があると、からだが全くゆるまないので運動が発現しない。

はじめに「どれくらい通えば出ますか?」とお聞きになる方もいらっしゃいますが、それは「あなたにしかわからない。」というのが応えになります。

せい氣院で個人指導を受けている方はピンポイントで問題に取り組んでいくので、早い段階で出るようになっていくし、運動もどんどん発展していきやすい。

活元運動を何のためにやるのかというと、こころとからだを自由にするためにやっています。

昨日に束縛されず、明日に支配されない、今日を生きるために。

人間っていうのはからだにしこりさえ残さなければ自由なこころを守って生きられるんだけどね。

からだあるから人生の修行もできる。

からだがなくなれば苦しさもなくなるけど、魂の訓練も成長もできない。

肉体を与えられている今だけ、生きているうちが勝負なのだ。

活元運動で命を耕し、出し切ってから魂のふるさとへ帰ろうよ。

今日はネタ切れ、がんばってがんばって書いたら散文調になってしもた。ごめんにー。

捻れ型・7種

先日のブログで『僕の地球を守って』を語ったら直撃世代のお客さんからなつかしくて、うれしかったといわれる。

「少女マンガが好きなんですか?」と問われるも漫画そのものよりも女の人の感性にノスタルジーを感じる性質(たち)なのだ。男の体に乙女の魂なのでこの現象は、「逆リボンの騎士」である。

僕はホントに甘い人間だし、基本的には理想主義なんだと思う。「人間とはこうあるべき」、「国とは、社会とはこうあらねばならない」という漠としたビジョンがいつも心の中心にあってそれが侵害されるたびに深く傷ついている。

たぶん大事なことをみんな漫画から学んだからじゃないかと思うのだけど。

そんなことを考えながらアイロンがけをしていたらふいに『バナナフィッシュ』のことを思い出した。

ニューヨークのストリートキッズのボス、通称アッシュ・リンクス(灰色の山猫)という少年が主人公の話だが、人間の暴力とか悪が横行する作品なのに情緒の扱いはきわめて繊細だ。

愛情って何?人間の幸せってどういうこと?を考えさせられる秀作。4種・6種・9種の人におすすめ。5種には勧めない。^^

アスラン・ジェイド・カーレンリース(通称:アッシュ)
アスラン・ジェイド・カーレンリース(通称:アッシュ)

IQ180(推定)の知能とSWAT並の身体能力と射撃のテクニックを持つストリートキッズのボス。

リバー・フェニックスにすごい似てる。

呼吸法

たまにお客さんに、「少し(筋肉を)鍛えた方がいいですか?」って聞かれるのですが、鍛え方によってはかえって痛くなったり悪くなったりするのでなんともいえない。

昔の「うさぎ跳び」がどれほどひざと腰に悪かったかを思うと、なんでも鍛えればいい、とはいいづらいのです。

鍛えると聞いて私がすすめるのは「腰割り」というスクワットのやり方と呼吸法だけです。

自分では2年くらい前から呼吸法を熱心にやっていますけど、からだの内側から、横隔膜をよく動かすと姿勢は比較的かんたんに整えられます。

普通の生活で腰痛をなくす程度なら「腹筋」とか「背筋」はやらなくていい、というのが自論。

筋トレの多くは建築でいえば外壁を固くする方法。

呼吸法は柱や骨組みの位置を正す方法。

なので呼吸の訓練の方が年をとったときも有効に作用します。

近い将来、妊娠・出産にも役立つ呼吸法の教室をやっていこうと思ってます。

今は活元運動の会で少しやってますけど、自分で自分のからだを整えたい人、いっつも肩こりしてます、という人は予定が合ったら一度参加してみてください。

少ない人数で懇切丁寧にご指導しています。

ほっぺたをあげる

この間プライベートで仲良しの女の人と(←誤解を生む表現か)

僕「最近あっひーはほっぺた(のお肉)を上げられるようになった。」

女子「えっちょぅなの私もやって欲しい。」

僕「えっなんで?(そんなこたぁどうでもいいじゃん・・)」

って話をしたんだけど、きょうも別の女の子と話してたら、

僕「女の人の顔をちょっと上げてあげると、けっこー喜ばれるんだけど・・」

女子「それは喜ぶよ~、(エステみたいに)オプション料金もらえるよ~。」

僕「えっなんで?(そんなこたぁどうでもいいじゃん・・)」

ってなって・・わしって女子のハートが理解できとらんなーって思った。

エステとかって空間とかサービスの「体験」を買うものだろうから、民家の畳の部屋で「フェイシャルです」って料金を頂くだくのはポテンシャル的に無理がありすぎる。

でもまぁ、女の人がキレイに気を使うのは健全さの現れんだろうね。

「私ってちょっとイイかも」って思うだけで姿勢も良くなるし、元気になってくるから美容は侮れない。(女子の場合)

整体で求めていくのは自然の心と素直な体、それを一語に集約すると「美」ということに尽きるかもね。

生活の中に、気の集中がある人はだんだん顔が美しくなってくる。それは造形ではなく表情としての美よね。情が肉体の表面に現れるのが「表情」で、心をしっかり使って生きないで、「情」が幼稚なまんまでは「美」も育ってこないのだ。

だから顔をつねったり、ひっぱったり、触れないエネルギーだろうが気だろうが、顔だけいじくってもしゃーないよ、とオレは思っている。

本気で生きれば腰に中心線が入って顔が変わってくる。こっちが根本で最重要項目だ。基本的には自分の仕事は魂を磨くものだと思ってるのだ。

でもたのまれれば美容もやるけどね。あくまで裏メニューとして。この辺のユルさが自分の売りでもあるのだ。それではまたー。

睡眠薬と生理痛

僕が野口整体に浸りきりになって7~8年くらい経ちましたが、ほんとに西洋医学の薬にはお世話にならずにこれてます。

整体の仕事をしていて、長期にわたって投薬を受けている人はお身体が変わっていきにくいということもわかってきました。

少し前に安保徹さんの『薬をやめると病気は治る』という本を読んだのですが、やっぱり痛み止めなんかは身体を強く冷やしてしまうので、痛みも消えるけどいっしょに治癒力も失せてしまう、らしい。

以前ペインクリニックに通っている女性が来たときに、どこもかしこも冷えていて、触れているだけでもぞくぞくしたのを思い出した。

また睡眠薬を常用している方というのもいくつか共通の疲労が現れます。

おでこに触れると中が動いていない感じがします。何か前頭葉がぼわん!としてる。

こんな風に、にぶり現象が起きたら自然の力で治るのはむずかしい。

そういえば春ごろに夜何時になっても眠れないので睡眠薬を常用しています、という女性がお越しになった。

病院でお薬を処方されてから、生理痛が辛くなって困ってますと言うことだったのですが初回のときに愉気をしたら間もなくコトっと寝てしまった。

それからご自身でお薬をやめたら普通に眠れるようになって、生理も普通に戻ったという話で、この場合身体がつらかった原因はなんだったのか考えさせられる。

全ての薬には程度の差はあれ依存性があるので、長期間投薬をうけた人はやめようと思ってもなかなかやめられないのが実情らしい。

でもやっぱり何もしなくても元気な人を増やすが仕事なので、お薬に対するスタンスは堅持しないとね。

それを自分の生き様で示すのがお仕事なのですけど。

人にやさしく、自分に甘く

今日は朝から超元気っ子だったので坂道ダッシュしました。帰りに横浜屋でカットスイカを買って、もっしゃもっしゃ食べて夏の終わりを満喫☆(*^▽^*)

時代性もあるかもしれないけど、かつて「スイカをすごいスピードで食べる」、ということをギャグにしていた志村けんさんは偉大だと思う。

「すいかを食べる」は普通だけど

「すいかを食べる+すごいスピードで」、で笑いになる・・ある意味人間心理のミステリー・・。ん、何を言ってんだ俺は?^^;

横浜で活元運動と愉気が学べる野口整体の指導室 せい氣院の

今日は、ご予約なしのはずが(ウチは原則当日予約なしです)、1時に電話が鳴っておひとり急にお越しになることに。

いつも特にどこも悪くないのに通っていらっしゃるAさん。

今日は話す時間がいっぱいあったので、「Aさんはこれといった問題も無いのにどうして通われてるんですか?」って聞いたら、

「ここに来たあとは、人にやさしくなれるから・・*^^*」

確かに身体がゆるんで楽になると、人は何もなくても自然に笑顔がこぼれます。

月をみて泣く人がいたら、それは身体のどこかに泣きたい心があったから。

整体では、いらいらする原因って外にはなく、身体の中にあるんだ~って観ます。

お腹の左側、胃の前くらいに感情抑圧点という急所があります。ここが固くなると気がこり固まってゆるまない。(人によってはおいしいご飯を食べると少しゆるみます^^;胃のそばだからね)

凝固したエネルギーは上手に愉気すると体温で解けて消えてしまいます。

自分の身体が楽じゃないと、人にやさしくするのってむずかしいよね・・。

彼氏とか旦那さんにいらいらしだしたら、爆発する前にせい氣院に来るといいかもね☆

でも僕には爆発しないでね♪

精神力

領土問題が取りざたされてますね。靖国参拝問題もそうだけど、急にこんなこと言い出すにはナニか「訳」があるんでしょうね。

日本人は元来精神力の民族だったのだ。

「自立もしていない人間が、自由だ独立だと言うのはおかしい」

これは野口先生の言葉です。

戦争に負けてからこれまでずーっと日本は「自立」することを抑止されてきた。

「自分の国は自分で守ります」たった一言、これが言えないのが歯がゆい。

ゼロ戦を創った当時、日本人の精神と肉体には「筋がね」が通っていた。

今はどうでしょうか・?

経済力、軍事力、政治力、その元は全て精神力。

精神力=身体力から生まれる。

500年後の日本の為に野口整体を選んだけど、焼け石に水になるかどうか。

それは、これからのがんばり次第ですね。

やるぞ。