愉気と心理療法

21世紀はこころの時代、90年代にはそんなことを何度か耳にしていたけど蓋を開けてみたら21世紀はからだの時代になっていた。

ヨガやピラティスのようなものが流行っているのは「きれいになりたい」という気持ちもあるけど、やっぱり他の何パーセントかはこころや生き方の指針を求めているんじゃないかな、と思う。

せい氣院に野口整体を求めてくる方も、そういう精神的な面を大切に観て生きたいという人が今は半数以上をしめているのが現状・・かな・・。

野口整体の本を読んで愉気にはすごい力があると思ってお越しになる方もいますが、整体の世界では奇跡的なことはまったく起こらないのです。

からだが冷えていたら「温めてください」といいますし、寝不足だったら「帰ったら少し休んで、寝てくださいね」みたいな、あたりまえのことばっかりです。^^

でも、

「あたりまえ」、これがけっこう難しいんですよね・・^^;

先日、「先生は心の傷とかトラウマもみたらわかるんですか?」と聞かれたのですが、「わかる」というと語弊がありますけど背中を見ると過去から現在の流れ、心身の「今」の状態が感じとれるんです。(最近特に・・。)

そして「今」からさかのぼっていって、これまでの道のりでどこにどういうつまずきがあったかを諦観する。

仮にトラウマがあったからってそこをガサガサいじるようなこともないし、「ああ~、そんなだったんだ・・」っていう、そういう感じです。

愉気をするときは、肉体の面でも心理的な面でも痛いところはじかにベタっとは触れない。

遠くの方からうっすらと照らすような感覚、こんなくらいがいいんだと思う。

本には「愉気は障子越しのあかり」という表現がありますけど、ニュアンス的には「やってあげる」んではなくて「相手に関心を示してすっと触れる」という感じでしょうか・・。

愉気がこころに届くと、皮膚が変わってきます。

顔が活き活きしてくるし、腰も柔らかく動くようになるのでわかります。

整体では人間から「からだ」を引き離してこころを扱うことはできないです。

そしてこころを除いてからだだけを刺激することもない。

いつもいっしょなんですよね。

こころとからだって。

そういう精神と肉体、気で動いている人間が、

死んだらどうなるのかな。

それは最後の愉しみにとっておこう。