抑うつというものがあまりにありふれているので、それを「まったくの正常」な反応だとする精神科医も現れてきている。もちろん、その場合、「日常の仕事や職務を妨げない程度のもの」という条件がついているが。しかし、大多数の人々の感じ方や、行動の仕方が、統計上では「正常」をそのように定義するなら、精神的な疎外感や距離感をもつ分裂傾向もまた、それが多くの人に見られ、入院を要するほど深刻なものでなければ、「正常」 …
「感情がわからない」-失感情症(アレキシサイミア)のはじまり
失感情症という病気(心身症の一種)について少し書いてみようと思います。その前に、そもそも「失感情」という言葉自体やや専門的で耳慣れない方も多いのではないかと思います。 簡単に説明すると、その名のごとく個人の意識において感情を失っている状態を指します。「失っている」というと誤認があるかもしれませんが、本来は「感情が身体の中ではたらいていない人」はいないのです。但し当人がどれだけ自身の感情を明瞭に味わ …
息をしていない身体
仕事として身体を見ていると、息が止まってしまっている人は大勢います。もちろん生理学的には息をしていますが、少し文学的に表現すると呼吸が停止している身体には毎日のように出会います。 一般には「息が詰まる」とか「息を飲む」という言葉が使われますが、正確に言えば「深くてゆったりとした息」が出来ていないことを言っているのでしょう。息は「自分の心」と書くことからもわかるとおり、その時のその人の心境を如実に現 …
やさしい気持ちで
今日は坐禅と活元運動の日でした。参加者がお一人だったので、マンツーマン指導です。 坐禅会は全国いたるところにありますが、せい氣院は整体院ですから坐相(坐る時の姿勢)をその方に合わせて無理なく作れるように心掛けています。坐禅は苦行ではありませんから、リラックスがとても大切なのです。 なぜかはわかりませんが、坐禅につづいて活元運動を行うとやさしい気持ちになります 。坐る前と坐った後、外の世界は何も変わ …
身体は、世界を映しだす鏡
もし、体が躍動感を欠いているならば、その人の感動と反応は少なくなってしまう。体が生き生きとしているならそれだけ人は、現実を生き生き感じとり、活動的に反応する。調子よいと感じたり、生き生きとした気持ちを感じる時、世界をよりはっきりと感じとることができるという事実を、私たちはよく経験する。一方、うつ状態にある時には、世界は色あせたものとして映るだろう。(A・ローエン著 『引き裂かれた心と体』 創元社 …
自己の現在地
一昨日の夜は禅会に行ってきた。整体指導を行う立場から言うと、禅という行法の特殊性から学んだことは多い。例えば一般的な習いごとやお稽古ごとなら1年も通えば自ずとやることも変わって来るし、それに付随して目に見えるいろいろな外的変化がある筈だ。ところがご承知の通り坐禅にはそういった変化はない。 しかしながら、変わり映えはないのだけれども、それだけに根気よくというか淡々と続ける方は一定数いる。長い方はそれ …
『引き裂かれた心と体』 A・ローエン
健康な人の自我は、身体と同一視されており、病的な人の自我は、体との確固たる同一視を持っていない。アレキサンダー・ローウェン著 『引き裂かれた心と体』 創元社 上記は少し堅めの学術的な文章の引用だが、いわゆる「うつ」や「がん」のような現代的な病の原因を、肉体から引き離された自我(理性)にあることを看破している。 ここでの「肉体」とは「感情を有する生きた身体」のことで、この肉体から意識が離れることは生 …
来談者中心療法を考える
去年の今頃はカール・ロジャーズを読んでいた。彼の「来談者中心療法」という手法に感心をもって、整体に反映できないものかと模索したのだった。現在に至ってどの程度仕事に活かされているかはちょっとわからないけど。 技術的なものは何でも勉強したてのホヤホヤでしっくり馴染んでいないもの、またそれが「技」として目に見えている間は使えていないことが多い。学んで、飲み込んで、消化して、すっかり忘れてしまった頃になっ …
呼吸が鍵
最近は「どうすれば もっとやわらかい 呼吸ができるのか」を念頭において身体をみていた。息をしていない人はいないけれども、その質においては個人個人で相当な差がある。 世の中に呼吸法の数は相当あるが、実生活でいったい何に役立つかと言えばそれはコミュニケーション能力だろう。 緊張で息が詰まっているとなぜか対人関係も打ち解けにくい。また間違った荒い呼吸法などをやり続ければ身心を頑迷にする。この「自分の認識 …
坐禅と活元運動の会
今日は午前中は個人指導、午後は坐禅と活元運動の会をやりました。 坐禅が静止して行う「静」の禅なら、活元運動は動きながら行う「動」の禅です。両方が相乗的に身体をゆるませて身心の静寂を確立することを期待しています。 心を静めるだけなら坐禅で充分、と言えなくもありませんが・・・、「禅病」という言葉もあるくらいですから身体が固い人が無理やり坐りつづけると時として健康を害することがあるのですね。 禅病には身 …