平温以下の時が経過の急所 風邪というのはたいてい自然に治るもので、風邪自体すでに治っていくはたらきですから、あまりいろいろなことをしないでいいのです。ただ大切なのは熱が出て発汗した場合で、風邪で発熱する場合にはかなり上がることがあります。三十八度の人もあれば、三十九度の人もあれば四十度を越すこともある。しかし熱が出たから慌てて冷やすなどということは滑稽である。むしろ後頭部を四十分感、温めるのがいい …
11月 禅会・活元指導の会
昨日は坐禅会だった。10時から13時、つまり3時間で4炷(1炷は線香一本40分)坐る予定で始めた所、ご参加のみなさんが2炷目でだいぶお疲れの様子だったので途中から立禅、活元運動へと差し替えることにした。 こういうものは必要以上に身心を苦しめることはないので、無理は禁物だ。大切なことは「意識の鎮静化」と、これに伴い「本来の自己を見極める」ということであって、俗にいう忍耐力などとは無縁の世界である。 …
『風邪の効用』までだいたい3年くらい
息子が風邪をひいた。だいたい一ヵ月ぶりくらいだろうか。「野口整体」といえば『風邪の効用』だが、今から11年前に自分が整体生活をはじめた頃は風邪を引くたびにこの『風邪の効用』を読んでいた。そうやっては逐一症状の経過を楽しんでいたのを思い出す。 一言でいえば「風邪は身体の自然良能」ということで、風邪をひいて熱がでると、その体温の変化によって身心がゆるむ。それによって、自身の潜在体力が煥発され自然に元気 …
柔軟心
道元禅師が真の仏法を求めて宋に渡った後、日本へ何を持ち帰りましたか?と問われた時に一言、「柔軟心(にゅうなんしん)」と応えられたそうである。禅師の示された柔軟心が「何」を指すかは言明できないが、一応のそれらしいイメージは沸くものだ。 性質は違えど整体でもやはりこの「柔軟心」を大切にしたい。 言い替えると「こだわりがない」ということでもあるし、「執らわれない」と言ってもいいだろう。できればもう一つ、 …
気、不増不減
今日は仕事をしながら何処からともなく気の充実感を覚えた。いつもそうかというと、そうでない日もあるのだから不思議なものである。 相手のコンディションが良し悪しとは無関係に、感応道交がぴたっと行われれば気は共振して増幅する(そもそも善・悪は人間の価値基準である)。 代替療法の世界には俗に「悪い気をもらう」という概念があるが、これは観る側の腰が抜けていると冒されやすい。何ごとも力のある方が場を制し、イニ …
整体は自分がやるもの
「(整体になるには)どうすればいいのか」と問われれば、 それは深い呼吸(深呼吸ではなく)、重心の沈下、全身のゆるみ、言葉にすればだいたいこういった類になる。ところがそのどれもが整うための条件ではなくて整った結果訪れる精神身体現象である。 こちらは最初から余すところなく伝えているつもりでも、お互いの機が熟さなければ伝わらない。受け取り方がわるいのだと居直るのはもちろんよくない話で、「その時」を見極め …
西洋と東洋の間
先日来の医学批判のような話をいつまでもうろうろしたくないのだが、整体を実践するとどうしても周囲との医療的価値観のギャップに悩むことになる。 それもまあよく考えてみれば現代医療があるからこそ整体の死生観も存在意義があると言えるのだから、お互いに因果な間柄とも言えるだろう。 時代性・地域性ともに広い視野に立って世界を見渡せば、原始的な生活をしている部族や社会集団はいくらでもある。そういう地域では「文明 …
愉気について
この数日、愉気についてまた改めて考えていた。実際は「考えさせられた」という体なのだが。最終的に「ピタッとする」という、これに尽きる。これ以外の何ものでもない。それは「静止」ということでもあり、それと同時に「適合」ということも意味する。 ここで「同調する」などというと、なにやら解ったような気にさせられるから自分としては肯えない。そういうテクニカルな気配が残っていてはだめだ。 「無心にやる」などとい言 …
病症が身心を治している
今日は2才の息子が保育園から早退してきた。昼食、お昼寝のあとで蕁麻疹が出たと連絡があったのだ。保育士さんからは「お昼に食べた物(が原因)ですかね?」と聞かれたけど、どうもそういう感じでもない。念のため脈をみる・・、とやっぱり中庸、というか普通だ。 もしかしたら一昨日、散歩でかなり歩いたからその疲れが出たのかもしれないし、原因は今のところちょっと判らない。ただ一息四脈ならそれでいいではないか。こうい …
ままならぬ人の心 -潜在する心へのアプローチ法さまざま
ままならぬ人の心 人間というものは思いがけない失敗をしでかしてしまったり、してはならないと知りつつやってしまったり、おろかなことを繰り返すものである。われわれは「ままならぬ」のは他人の心と思いがちであるが、自分自身の心でさえ、案外「ままならぬ」のである。(河合隼雄著 『無意識の構造』 中公新書 p.12) 今日は河合隼雄さんの文章から。ここに自分自身の心でさえ「ままならぬ」と表現されているように、 …