意識の限界性

しばらくブログの毎日更新を自分に課してみたところ「意識」の限界性というものがなんとなくわかってきた。 巷では「潜在意識」が流行りのような気がするのだが、日本語では意識できない心の領域のことを「無意識」とか「潜在意識」と呼んでいる。 その無意識が「開かれた」状態になることでさまざまな恩恵にあずかれる、というふれ込みのもと結構な量の書籍やセミナーが出回っているようである。 アニメの一休さんで有名な「と …

養生

久しぶりに河合隼雄さんの『無意識の構造』をめくっていたら「自己実現(個性化)」における「時」の重要性について綴られていた。昨日の記事で時のことを書いたのは、記憶の片隅にあったものが出てきたようである。 何であれ、人生には誰にでも「ここぞ!」という「時」があるものだ。その時が来なければいくら努力を惜しまず、気張っても「何も変わらない」という非常に歯がゆい思いをする時期がある。 かといって時を逸してお …

時の力

本当に生命を癒すことができるは「時間」だけではないかと思う。 そもそもが限られた人間の知識で、無限の生命を癒そうということに無理があるのかもしれない。 生きている人間はその生命の一部をどのようにこわしても、「時」はその様相を次々に変えていく。 元来「時」に宿る自然の動きが滞ることなく、円かに流れていれば健康なのである。 全き生命の実現を志す我々にできることは、自然の動きを乱さないようにその波に乗る …

自己破壊の要求

人間にはしばしば自分をこわしたくなるときがある。 いわゆる「自傷行為」と言われるような直接的な破壊もそうだが、「食べ過ぎ」なども広い視野で見ればやはり自分をこわす動きといえる。 何のためにこわすのかといえば、丈夫にするためだ。 既にこわれかかっているものを、いつまでもこわしきらないで丁重に扱っているうちは治癒力が十分はたらかないのである。 いろいろな人とお会いして話を伺っていると、「食べ過ぎ」を気 …

丹田を氣で満たす

健康や武道関連の話ではよく「丹田、丹田」というが、腹式呼吸などに頼って丹田に力を入れすぎる人はその外観に反比例して大抵中身がスカスカになっている。 下腹部の表面が広範囲に張ってはいるが、これは気張りの産物で「実力」ではない。 「気張る」というのは自分の内容に自信がないときに現れる、いわば水増し行為なのだ。いってみれば不安が凝固したようなものである。 本来は「気張り」の必要がないように、全心身の調和 …

心のゆらぎと安定

せい氣院の整体では仕上げに必ず正座をしていただく。 ちなみに古伝の整体法ではベッドを使用しないため、受ける方は操法布団にうつ伏せ・あお向け・正座のいずれかになる。 とにかく3、4年前までは私も師匠に教えられたとおり、坐骨が安定させて腰椎(背骨の中の腰部分)がしっかりと伸びること「だけ」を目標に一回の操法を組み上げていた。 ところが最近になり「果たして本当にこれでいいのか?」と考えるようになってきた …

適度

整体の健康観をひと言でいえば「適度を知る」ということである。 平たくいえば、その身体に「ちょうどいい」ものを与える、 ‥ということ。 これだけ聞くと「非常にシンプルでカンタン」と思われやすいけれども、自然から大きく逸脱した人間が、この「ちょうどいいが」判るためには毎日毎日自分の感覚と向き合ったとして、どんなに早くても10年くらいはかかる。 ダイエットなんかを一度でも熱心に取り組んだ方は判ると思う。 …

抑うつ-人生のサナギの季節

毎日人にお会いしていてしみじみ思うのは、「抑うつ」的な要素を心に内包しない人はいないということだ。 巷では一時期「うつ」の問題をどうするかという情報をよく目にしたけれども、最近は「うつ」よりも「発達障害」の方が話題に上ることが多い気もする。 おかしなものだが心理療法、精神療法の世界にもブームがあるようで、社会情勢に従がって人々が陥りやすい心身の病には傾向がある。 まあ何にせよ、身体的な疾患を取り扱 …

体癖論とタイプ論

野口整体とユング心理学を併学しているので、どうしても体癖論とタイプ論の整合性が気になる。 体癖とは全部で5つある腰の骨に対してそれぞれ、思考(上下型)・感情(左右型)・闘争(捻れ型)・愛憎(開閉型)・理性(前後型)といった気質を適合させ、さらにそれを積極性と消極性の2つに分けた。 こんな風に無理やり一文に詰め込むと素養のない方からすれば訳がわからないと思いますが‥。 とにかくまあ、5×2で計10種 …

途中にあって家舎を離れず

野口整体を志して11年ほど経った。 今の立ち位置から鑑みると意外と短いなと思う。 言い換えると11年でここまで来たのか(意外に早いな)、という感覚なのだがその間に整体法の理解度や捉え方、価値観などは変わりに変わった。 ずーっと長く整体指導を受けに来られている方もいるけれども、自分の変節にともって疎遠になる方も一定数おられた。 何となく申し訳ないような気持ちもある一方で、お互いのとっての役割が一時的 …