デジタルデトックス

私の整体の先生は「みんなが椅子座をやめて正坐に戻したら、日本人の病気の数は半分になる。」と言っていた。

いきなりここだけ読んでもちんぷんかんぷんかもしれないが、いわゆる生理機能とか自律神経系のはたらき、それと骨盤、横隔膜の位置や可動状態などの連絡性を実地で捉えたうえでの経験則なのである。

さて上の論法をまねて今の私がもう一つ訴えたいことを挙げると「スマホを手放したら日本人の病気の2割は消失する。さらに精神疾患の半数は軽減する。」ということである。

これについてもいわゆる一臨床家の経験談であり客観的データなど存在しない。ざっくばらんにいえば個人の独断と偏見である。

テーマとしては以前にも扱ったような気がするけれども、情報家電の過剰使用を原因とする心身の疾患、不調の数は今や相当なものではないかと思っている。

自分の子どもを見ていてもゲームや動画を観たあとの乱調ぶりは顕著だ。精神の働きが本来の波とは変性して異様にささくれ立つ。

さらに困ったことは一旦乱れてしまうと、その乱れたことで自分の乱れが分からなくなるのである。

加えて端末の利用はゲーム・動画と並んでSNSとの関連も切っても切れない。

私もかつてmixi、Twitter、Facebookと一通りいじったけれども、利便性よりも余計な感情を引き起こされる害のが大きいと感じたのでどれも辞めてしまった。

時間も相当に食われてしまう。ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる時間泥棒とは斯くの如しではないかと思った。

何よりその中毒性が無視できない。いつでもどこでも使用できるため、社会生活との癒着度が高い。結果的に依存レベルは酒、たばこをはるかにしのぐ。

ところが酒とたばこに関しては「害毒」といった側面が広く認知されているのに対して、スマホ、タブレット、PCに関しては直接的に害が他に及ばないせいか社会的に容認せざるを得ない。こういうのが恐い。

私自身も現代社会の中で子を持つ親として最低限のお付き合いはあるために、SNS系アプリは入れているが利用は最低限に留める様に気を付けている。

もちろん仕事の都合でSNSを手放せない人も相当数いるだろうし、何というか自然健康保持という観点からいうとデジタル端末の類は非常に厄介な代物というのが個人の見解である。

よってせい氣院に入ったら端末の使用を控えるようにお願いしているのも操法の一環なのである。普段はどうであっても一歩院に入られたらその時だけでも俗心を離れるつもりで是非遵守されたい。

さて、では普段どうすればいいかというと先にも少し触れたように「用途を限って適切に使用しましょう」としか言いようがない。

現在ではデジタルデトックスを目的とした集いもあると聞く。心の波を鎮めるための集団生活といえば、その元祖は禅寺の接心会ではないかと思うけれども、こうした活動が今ほど有効な時代もないだろう。

そんな私の思いとは逆行して小学校でも情報端末の使用を強化し、大手の塾は小学生からプログラミングの履修コースをこぞって展開している。

別にやってはいけないという話ではないが、身心の健やかな発育という観点からいえば特に後者のような学びは20歳を過ぎてから始めても決して遅くはないだろう。

独断と偏見の羅列で恐縮だが、少なくとも小学校を出るまでは体を大いに使うことと奨めたい。思い切り走って、転び、痛みを感じてまた立ち上がることは錐体外路系が物理的に形成されるこの時期だからこそ重要な経験だと思っている。

自分が息を切らして走るよりも、ゲームの中でキャラクターを爆走させている時間の方が長い、なんていう子は現代には相当数いるのではないか。繰り返すがまずはリアルで体を使うことだ。

反対に知育、育脳なんて言葉がもてはやされる向きもあるが、人間は脳だけで生きているわけではない。いやむしろ脳が過剰に肥大した人間にだけに戦争もあるし自殺もある。卑劣ないじめもある。

こうした事実を少しでも内省的に受け止めることができれば、自分の生活様式も多少なりとも変わってくるのではないだろうか。