長らくこちらでお世話になりましたが、管理の都合上、下記のサイトに引っ越すことにいたしました。 はてなブログ いのちの真相とその周辺 新しいブログでも、引き続きよろしくお願いいたします。
ケルト巡り⑤‐レイライン
ドルイドや魔女に関心を持つ人たちには、イギリス・アイルランドに特別な場所があるという。それを「レイライン(Lay Line)」という。簡単にいうと地上のあるポイントに何らかのエネルギー場が存在し、それらを結んでいくと地図上に直線が浮かび上がる。古代ケルトの遺跡や聖地の多くはこのレイライン上にある。 それは東洋でいう所の地脈や龍脈といった、土地に流れるエネルギーの概念に似たものかもしれない。現代風に …
ケルト巡り④‐ドルイドと魔女
ドルイドとはかつてケルト人が信仰していた自然崇拝を実践する宗教の司祭のことである。アイルランドではこのドルイドを復興しようという運動が起きているという。 また今のアイルランドには魔女もいるのだという。といっても古い童話やSF映画に出てくるようなおどろおどろしい「魔女」ではなく、現代にマッチする形で「witch(ウィッチ)」という看板を出し、相談料金まで掲げて開業しているというから面白い。というより …
ケルト巡り③‐安易な平和論
河合隼雄がアイルランドを訪ねる旅の前に、偶然別の案件で首都ダブリンに行く用向きができたという。 それはあるアメリカの大学が主催した国際的な会議であった。当時(2001年)は世界のあちこちで「ダイアログ・アマング・シビライゼーションズ(文化間の対話)」という概念が注目され始めていたさ中である。 それまでの世界は(現在でもそうだが)アメリカに代表されるキリスト教文化圏に利権が集中していた。その結果彼ら …
なぜラジオ体操をすすめないか
『ケルト巡り』に関する話の途中だが、少し気になる記事を目にしたので記憶から流れ出て行かないうちに書き留めておこうと思う。 タイトルの「なぜラジオ体操を…」は津村喬による『東洋体育の本』(別冊宝島35 1988年)からの引用である。 いつごろかは定かでないが、ここ数年ラジオ体操がブーム再燃という噂を耳にした。特に最近はコロナ禍の運動不足解消という目的と相まって主に中高年層を中心に実践される方が増えた …
ケルト巡り②‐物語と意識
ケルト文化のエッセンスの一つとして「自然との共生」が挙げられる。我々日本人からすればすぐに「それは結構なことだ」といった感覚を持てるが、人間と自然の間に強い分離を認めているアメリやかヨーロッパの人たちからすると東洋人とは異なるセンセーションを覚えるようである。 こうした自然と人間との関係性の違いは、キリスト教以降のおはなしとケルトのおはなしにも表れていると述べている。全般にキリスト教伝播以降のヨー …
ケルト巡り①‐人間における自然とは
前回からの続きとして河合隼雄著『ケルト巡り』について書いていくことにする。 初出版が2004年の1月30日とあるから、およそふた昔前の本ということになる。当時としてはだいぶ前衛的な内容であったと思うが、いま読むことにも大きな意義があるだろう。 令和になって6年目を迎えた現在の日本は依然として西洋近代的なものの見方、そして価値観をベースに生活をしている。 具体的にいえばそれはキリスト教の霊肉二元論を …
ケルトとナバホ
一ヶ月くらいかけて河合隼雄の『ケルト巡り』と『ナバホへの旅』を読んでいた。こちらは著者がNHKの企画でアイルランドとアメリカ先住民の住むナバホを訪ねた時に書かれた随想録のような本である。 『ケルト巡り』 『ナバホへの旅』 河合隼雄と言えばユング心理学を日本に広く知らしめた心理学者、心理療法家としての認知度が高い。しかし同氏はそれだけにとどまらず、「個人の心理」を飛び越えて広く日本人全体のこと、さら …
あと半分の教育
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観た余韻そのままに、本棚から何気なく井深大の著書『心の教育』を手に取った。本書は1985年に出版された『あと半分の教育』に一部改訂を加えて復刊されたものである。 外観的にはコンパクトにまとまっているが、第一次資料を丁寧に引きながら戦後教育が作られた背景を洗い出し、今後の展望まで示唆する一書である。 本書の冒頭では日本近代史は40年ごとに節目を迎えている、という一 …
バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)
妻が「三人で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』観ようよ。」と言い出した。もうすぐ9歳になる息子も今ならそれなりに内容を共有できるのではないか、とのよし。 まあそれもあるかもしれないね、と思い三人で観始める。自分の中では「最近の映画」だと思っていたのに、いざ観てみたら1985年の話ではないか。10年ひと昔というから、まぁそれなり古い。 随分と久しぶりだったのでスピルバーグ映画のドキドキはらはら感が懐 …