愉気について

ここ数日ラーメンがおいしくてあっちこっちの店に行っっている。普段は玄米と味噌汁を食べないと食事を摂った気がしないような質なのに、最近は汗をよくかいているので無意識に食べてるんだと思う。

家系もジロ系も鶏がら醤油も魚介系もいろいろ食べてるけどやっぱり麺類はおいしいね。僕は子供のときはそーとー偏食で夏はスイカとラーメンばっかり食べていた気がする。

あとビールが好きだったらしいその反動か今は食事にも気を使っているし酒もめったに飲まない。

さて、気の教室では愉気についていろいろな質問を受けますけど、個人整体の時はあれやこれや聞かれることはあまりないナ。

整体は集中して手を当ててますから、終わってからさらにあえて言葉にする必要はないみたい。受けた感覚がそのまま答え、ということなのかも。

しばらく指導に通われている方は、何かきっかけがあるとお友達や家族に手を当てをしたりして私でも愉気をしてあげたらよくなりました、とか話してくれます。

磁石に付いた鉄が磁気を帯びるように、愉気という世界に出入りをしだすと、人間を癒したり守っている気の感覚が太くなってきます。

受けている人は知らない間にそういう感覚が育って愉気ができるようになってくる。

手当て、手かざし、というのは古来からの手法で時代性はあるけど、定期的にテイストを変えてリバイバル版が出てくるのだ。

いわゆる「能力」なので習得するにはお金がかかると思っている人もいるけど、それは水や太陽に値段を付けるようなもので僕は違和感を覚える。

天から授かった命に値段が付かないのと一緒でこれはプライスレスの力、大自然の恵みの力だ。

確かに能力と言えば能力なのだけど、しいていえばそれを集中力というとしっくりくるかな。

愉気の質、というか効果は、瞬間的に、そこに自分の全部を集められるかどうか、という一点で決まる気がする。

だから長くやったからできると言うものでもないし、今日はじめてやった人でもぴたっときまればそういう効果を示す。

人間の可能性という点では面白い世界だし、これからの人類には「気」という感覚をもっと生活に盛り込んでいくことで物事の価値観も、もう少し普遍性のあるところにきちっと収まっていくんじゃなかろうか。

気の教室 はせい気院の野口整体に賛同される方が、そういう価値観を学べるような場にしたいな。あせらず、たやさず、続けていくことがなによりだ。

そういう訳で8月の気の教室は20日(月)13:30~です。

整体以前の問題

近所で盆踊りやってるんですけど「アラレちゃん音頭」が聞こえる^^めちゃんこ♪めちゃんこ♪って30年前のアニメなんですけど。。もしかしたら知らない間に千兵衛さんの年齢をこしているんだろうか。

整体に来られている方からよく「何か(普段の生活で)気をつけることはありますか?」と聞かれるのですが、いつもあんまりうまくお答えできません。

健康を保つとは「普通にしている」ことなんですけど、普通ってなんだろうとか考え出すと難しいね。

松下幸之助さんが遺した経営の要諦の言葉に「雨が降ったら傘をさす」というのがあった気がするけど 、当たり前のことを的確に、きちっきちっとやっていくことを積み重ねるとその先に健全な経営がある、ということらしいです。(これが以外に難しいんでしょうね・・。)

人間の健康生活もこれと一緒ですよね。

お酒を飲みすぎていたらやめればいいし、無駄な夜更かしで疲れているなら早く寝ればいい。

人を恨んだり、しょっちゅう怒っていればそういう心は血を濁すから、もう少し笑顔で人にお礼をいえるような生活にしていった方がいい。

過去のつらい経験から自由になれずに苦しんでいたら、過去のマイナスの感情をプラスに変えられるくらいに強くなればいい。

病院や整体に行くのはこういう風に今の自分をしっかり見直してからでも遅くはないですよね。^^

それができなくて困ってるんです~っていう人をみていくことは私の大事な仕事ですけど^^;

野口整体を続けて身体が整うと生理的な欲求も正常化されますから、おのずと生活も正されます。

こんな風に当たり前のことが自然にできる身体が「整体」ですね。

身体の声を聞くこと、自分の見えない要求を知ることで、生きてるうちは今よりも良くなる可能性があります。

無理やり治したものはくり返します。でも自然に治ったものはくり返さない。

自然とは当たり前の積み重ね、これって整体以前の問題のような気もしますが、人間は平凡に生きるにもちょっとした訓練が要るんですね。

骨盤はゆがんでます

ウチの玄関には小ーこいお地蔵さんのおもちゃがおいてあるんだけど、あんまり視界に入らないらしく3~4回来てから「あれっ」ってよく気づくかれます。^^

お地蔵さんて自分から地獄に降りていって責め苦にあっている子供たちを助けに行くやさしい菩薩さんなんですよね。自分の仕事的にちょっとあやかりたい気持ちもあるのだ。

ま、いいや。今日も変わらずのあっひーですよ。ビーナスの憂鬱^^

今日は骨盤の話です。^^

ようやっと、過剰な骨盤ブームはひと段落した?けど、骨盤のゆがみを気にしている人はいぜんとして多いです。

骨盤は変動があるときでも、本来の位置に戻るのでも大抵は右から動いてきます。ドキッとしたり緊張したりしたことがずっと抜けないでいると右側が高くなっています。

これを「ゆがんでいるのだ」とは思わない。

ときどき左の方が高くなってると「おっ?」とは思いますけど、

でも骨盤っていうのは左右違うものです。

開いたり閉じたり、上がったり下がったり、こうやって動いているのが普通の状態。

ただ、上がったっきり下がらないとか、閉まりっぱなし、開きっぱなしはあんまり良くないみたいです。

そういう時でも活元運動の誘導をしてひと晩ふた晩も経つとやがては動いてきます。

人間は心も体も「矯正」はできないです。

でも「誘導」することはできます。

自然とそうなるように、自然とそうしたくなるように誘導する。

そうすると左右のプロポーションのバランスもとれてくるし、心も穏やかになってくる。

夏場だからといって足首を冷やすようなカッコばっかりしていると、腰が変にカタくなっていることがあるので気をつけましょうね。

女の人は生理前に足湯をすると腰は柔らかくなってきます。「ゆがみ」が気になるあなたはちょっとやってみてくださいね~^^

治さない

フー暑いですね。^^;あっひーは暑いのは全然平気なので夏はいつでも元気っ子です。

僕のところに来て野口整体を好きになってくれる方はけっこういらっしゃいます。^^うれしいです。

本を読むとわかるのですが野口整体は治さない。ただその人に合った条件さえ整えばあとはなにもしなくても治りはじめる。その治癒力のリミッターとなっているものを見つけ出してはずしてしまうのが、いわば「技術」です。フンガー!

だから整体の技術はみんな治療に対するアンチです。体を育てるという本当の意味での体育です。

こういってすぐにピンと来るのは女性のみなさんです。女の人は育むという発想や癒しに敏感ですが、男性の方はやっぱり「治す」の意識から脱せない人が多い。

電話で「そちらは野口整体ですよね?治療(施術)をお願いしたいのですが・・。」といってくるのはほぼ100%男性の方です。

指導を受けて自分の体力で身体が変わっても、「こないだの操法が効きました!」と・・。

なんですと・・・。。

 

ちがーう!お前が治ったんじゃ!p(`Д´)ノドルァ!!

 

何かによって治ったと思っているうちは人間は丈夫にはなりません。

何にもよらないで治った!と思ったときに心も体も丈夫になります。

それが自立。

苦しいときにその苦しいほうと反対側に目をやると、何かが育っています。

それはなんといったらいいのか・・・、、、「生きている」という、侵しがたい健全な光ですね。

そこを拡大して目の前にどん!と出して見せると元気になってくる。

痛いところは放っておいて元気なところにスポットを当てる。

近代医療とはまるで逆転の発想だけど、手術も投薬も対象に何かをやってあげる「足し算的」な発想。

野口整体は余分に庇ったり守ったりするものをできるだけ取り外していく「引き算的」な態度。

だから僕は治そうとしない。^^

これを示すのに感覚的に一番近いのは「クララが立ったー!」だと思います。(ハイジのね^^)平成生まれの人はぽかーんだと思いますが・・・^^;

どうやったら自分の足で立てるのか?これだけを考えていくと、整体の取り組み方全部が変わってきます。

愉気も変わってきます。良くしてあげるつもりでやってると自立ではなく「依存」が育ちます。でも治さないつもりでみていると相手はみな丈夫になってくる。

弱き人 強くあるべし

治療をお探しの人は治療院へ、自立を求める人はせい氣院へ^^

大口活元会と魂とら~めんの話(長い)

人間に魂をいうものがあるか、ありとすれば魂とはどんなものであるか、この問題から取り掛かろう。

商人の認むる魂は宗教家の認むる魂とは違う。武士の見る魂は治療家の見る魂とも違う。

しかし、たましいを見る人間は魂を見ない人間と行動が異なってくる。

あると認むる人は商人なら損、武士なら死にも時に平然と処して慌てないが、魂を見ない人は政治家なら利の為に名を売り、医者なら困っている人に盛るにもその薬の原価計算を忘れない。

魂のある人間の方が魂のない人間よりしっかり生きることができることだけは確かである。それ故、魂のない人があったら魂を持たせなくてはならない。

魂のある人はそう行動すべきだが、魂のない人は自ら持つよう心掛けなくてはいけない。

魂というものは認めればある。認めるまではあってもない。

上の文章は野口先生の『大絃小絃』 の<魂はあるか>という項の書き出しです。

今日は大口活元会でしたが、お越しになった方はお一人(しかも初めての方)でしたので、マンツーマン活元でした。f(^^;)や~マイッタマイッタ。。時間があまったのでご質問に答えるような形であとはずーっとお話をしてたのですが、何故か途中で魂の話なんかになったった。

僕の苦手な分野ではあるけど、「気」と「魂」の話を抜きにして野口整体は語れないのです。気で気を制して、その人の生活に魂がむき出しになっていくようにリードするのがこの仕事の根本理念だ。

そういう意味では整体指導は魂の共鳴、気と気のぶつかり稽古である。ドスコイ!よさこい!

整体指導とはまさに「気合い」だ。気の集中密度が亢(たか)まると身体の奥にある心にも触れることができるし、そうして初めて魂のこもった仕事もできる、と思います。

これを野口整体では「裡(うち)の動きを振作(しんさく)する」という表現をしますが、その人の中心線に向かって真っ直ぐ気を集めていくことで初めて愉気は肉体を超えた力となる。

それを僕はよく魂力とか言ってしまうんですけど・・^^;そうはいっても基本は肉体の観察や操法からはなれないからおかしな方向にはいきにくいし、それが整体の健全さのゆえんだとも思う。

ここで、今度は野口先生の『愉気法1』から・・・

人間は心も体も魂も何もかも一つのものであり、一個のものであります。その一個の人間を研究上の便宜で分けた、その分けたものにとられ過ぎているのです。

<中略>

やはり人間同志が深く理解し合わないと、愉気法が本当の効果を現さないのではないでしょうか。

そういう意味で、一応私達が理解する範囲を、体の面とか心の面とかというように考えないで、生命そのものに愉気していくというつもりになると、もっといろいろな面が拓かれてくると思うのです。

体の面だけのうちは愉気する場所をよりどらなくていけない。ところがどこもここも魂なんです。

<中略>

ただ手を当てるということだけでも、ただ手を当てるつもりの人は、それだけなのです。これは愉気法だと思って手を当てる人は、愉気法になる。

その愉気法でも、体に行うと思っている人は体に効くのです。心に伝えると思っている人は心に伝わるのです。魂を清めると思っていると、魂も清まるのです。

・・・・・・

と、そういう意味では体・心・魂というふうにいろいろわけないで一個の命として一人の人と向き合っていく。そういう姿勢が仕事には直結してあわられるらしい。そして仕事に対する姿勢と言うのはその人の顔つきや生活にも現れるんですね。

公民館でするにはずいぶんディープな話になったけど・・・。いや~密度の濃い時間になったった。^^;

こっからちょっとライトな話。ライトってイチローの話じゃないですよ。軽いほうのライト。^^

そんなディープな活元会のあとで、なんか気のこもったものが食べたくなったので大口商店街の手打ちら~めんチックタックへ。

野口整体 せい氣院の活元運動のすすめ 

ここって、最初入りづらいんだけどお店ん中がいつ入ってもめちゃめちゃキレイ☆

そして、ここの大将はら~めんに魂こめてます。(いや、行けばわかるんです。こもってるんです・・)

チャーシュー?はバラとロースが毎回同じ角度でのっかってきます。(こだわってます)

どんぶりのtic-tacのロゴも毎回同じ角度で出してくれます。(こだわってます:こういうこだわり大好きです^^)

スープはダシが何々で~とかいうのはさっぱりわっかんないけど、まぁ・・とにかく・・・

すっげ~おいしい!

あと仕事柄あっひーが食に求めているのは「気が澄んでいるもの」だ。

都心の一等地なんかで繁盛しているところでも、気の荒れたものを出されてうっかり食べると一気に身体の感覚が悪くなるから要注意なのだ。らーめんに静けさもとめるのほうがまちがってるかもしれないけど・・。

あひ「このお店すっごいこだわってますよね~」

大将「はい、味とかはヤバイです(ニコ)」

あ~わかるわかる~とかいって写真を取らせてもらったのでサイトにアップ!は・・やめとこう^^;

 

ま~とにかく、イカした笑顔に癒されます。

せい氣院に来たら一度は帰りに寄りたいお店 です。

あ~しまった、内容盛りすぎてなにがなんだかわからないブログになったよー。(笑)

来月の活元会は8月20日(月曜日)です。9月は17日(月:祝)の予定です。

参加される方はお電話かHPから予約 してくださいね^^

野口整体 せい氣院の活元運動のすすめ 
行けばわかるんです(笑)

信念はあんまりカタくないほうがいい

明日の活元会用のケーキを焼き終えました。(^▽^)ででん!

野口整体とは自分の力は生きてるうちにきっちり使うための勉強法。そのためにはまず「自分」を主観と客観を交えてよく知ること。

肉体があるから苦しさも楽しさもある。生きてるうちが勝負だ^^

「ゆるむ」ということの大切さが見直されて久しい。考えてみれば高岡さんの「ゆる体操」は戦後から続いてきた力みと努力の神話に一石を投じたコペルニクス的転回の身体論だった。

野口整体でも昔から休息をとるときは一切の筋を緩めることを説いてきた。

身体を観ていても何か一つのことに強く捉われているような人は背骨が1本の棒のようになっています。みているだけでも何か窮屈な世界に自分を押し込めている様でツラい。

過度な執着がもとで人によっては「うつ」といわれるような状態にもなるけど、僕の見立てではそういう病気はこの世に存在しない。

在りもしないものだからうっかりアナタはうつです、といわれて闘病生活なんかを始めるとトコトンこじれる。その気になって「治療」を始めるとエンドレスな投薬の渦に入りこんでやがて知らぬ間に本当の薬病になってしまう。

そこまでいかなくても頑張りすぎる真面目な人なんかは自分がムキになっていることがわからないので、仕事や人間関係でたびたび交通事故を起こしたりもするみたいだ。

予測のできない人生をフリーでチャーミングに生きていくには、背骨の1コ1コがばらばらにはがれて油をタップリさした鎖のようになっているのが望ましい。

時と場合によるが、最近はカタイ信念なんてものも持たないほうがいいとすら思う。信ずるという行為は人間の智的活動を麻痺させるし、念という、いわゆる「今の心」なんていうのもやはり流動的にさらさらと流れているほうが自然であり健全なのだ。

氷と化した心をいかに水にするか?この答えはいつも肉体の中にある。

「心でも体でも、異常を異常と感じたときから治りはじめる」という野口整体の至言があるけど、まずは自分の身体の有り様をしっかり見つめること。これが整体の最初の、最初の、最初の作業だ。

それは「自分」を細やかに見ていくとくことだけど、意外とこの作業を嫌がったり、やろうとしない人は多い。でもここをすっ飛ばして、とってつけたように「野口整体」をやっても野口整体にはならないのです。残念ながら・・・。

千里の道も一歩からで、活元運動でも個人指導でも、「焦らず・走らず・でも止まらず」のこころもちでやっていくと必ず実りの季節はやってくる。

自分の心と体はときどき(できれば毎日)耕していきましょうね。来月の愉気法・活元運動の会は8月20日(月)午後1時30分からです。

自然体

FNS27時間テレビとかあったんですね。^^;テレビを撤去してからすっかりテレビネタによわくなってしまった。

こんばんは、あさひなです

今日は「自然体」のこと書こうかな、と思います。

ご存知の方も多いかもしれませんが野口整体では整体をするという、何か技術的なことを行うのではなくて、「整体である」または「整体になる」ということを目的としています。

整体とは整っている体の状態を指しますけど、言い方をかえると「自然体」という状態ではないかと思います。

ではその自然ってなんですか?っていうとちょっとウィキペディアで調べたら「自然とは、万物が現在あるがままに存在しているものであり、因果によって生じたのではないとする無因論のこと。」って書いてありました。(ちょっとむずかしい?・・・^^;ほぁ?)

これを僕が学んできた整体の言葉を借りて説明すると、心とかエネルギーの交流が人や外界と自由(フリー)に行われている状態が「自然」だと思います。

たとえば今ホットな、エネルギー問題でいうと古来からある水車小屋とか風車っていうのは外界に向けてその器械性が開かれているので「自然」って気がします。で、原発は何層にも壁で囲って外界から隔絶・封じ込めてあるので、あまり自然ではない気がします。(今回はその是非を問う話ではありませんよ^^念のため・・)

人間の身体で言うと、身体的に他者に無理なく触れられたり、心の交流が自在にある状態が「自然」であり「整体」であると思います。

平たく言うとコミュニケーションがしやすい身体、人の話を聴ける状態です。相手の考えや意思を良く聴いて受け取れるような弾力のある身心の在り方が「自然体」です。

これを齋藤孝さんは『身体感覚を取り戻す』の中で「積極的受動性」という言葉で表現されています。整体というのは内面的にも、また外界・他者に向かっても心が開かれているので相手をより積極的に受け入れられるようになっています。

この状態になると「ひきこもり」とかになろうとしてもそう簡単にはなれないですし、不自然な自己完結型の消滅(自殺)とかもできない。

今は自殺者を減らすために国でも人の心のケアなんかがいろいろとこうじられていますけど、これはとてもすばらしいことですよね。そしてこれをもっと心の問題から肉体的な問題として見方を変えて、そういうアプローチ法が増えてくると、より対策も効果的になってくると思っています。

「だからもっと野口整体をやりましょう!」というと我田引水すぎますけど、でも言いたいことはだいだいこれなんですよね(笑)^^;

愉気法も活元運動も集約すると人間の「体を開く、心を拓く」ためのメソードといってもいいと思います。個人指導というのはそれを個人用にオーダーメイドしてぎゅっと濃縮したもの。

そして指導をくり返して整った気を、活元という不特定多数、集団の中で円滑に流していくことでまた外界とか他者とのつながりを増やしていく。

僕の場合は今こういう感覚で野口整体に向き合っています。

人間、孤立した状態というのは自然ではないです。(自立は前提として必要ですけどね・・。^^)自然体は孤立から開放され、仲間を増やします。そんなこんなで個人指導を受けている人はときどき活元会にもきてくださいねー。

今月の活元会は25日13時30分からです。

立腰教育

90年代の後半あたりからだと思うが、様々なボディーワークの世界が展開され今は誰もが何でも自由に学ぶことができる。特に30〜40年前はヨガなどはかなりマイナーなめずらしい世界だったろうに、その人口も女性を中心にずいぶん増えたものだと思う。

美容目的で行われている方も結構ありそうだが、当院にお越しになっている方のお話を聞いていくと「身体」に漠然とした可能性を求めている方は存外に多い。

経済的な成長が頭打ちになった現代において、安定した生活を確保しても「幸福感」や「生きがい感」といったものの充足は別次元であることが露呈した。

そういう心と体の「渇き」を埋めるために更なる目に見えないものを求めて、身体の可能性や精神世界に傾倒している人が増えているのだと思う。

成人になってからこういう身体の学びをもとめるのは、子供時代の身体を使った遊びの体験があまりに少ないからではないだろうか。かくいう自分自身もファミコン直撃世代である。

「キレる」という言葉が一般化したのも大体この世代で、足腰を動かさず手の親指だけを過剰に動かして脳に信号を送り続けるとどうもキレやすくなるようだ。

文化というものはその土地土地の風土が生み出す身体性から発展していくもので、身体が萎えれば文化も脆弱になるのは自然の道理となっている。

逆に体を正しい方向に刺激していけば個人が自立し、やがて公、地域や社会、国までが強固になっていくのも事実である。

森信三氏の『立腰教育入門』という本には姿勢が精神に及ばす影響がいくつも書かれているのだが、おそらく今の教育現場では非科学的な空論として軽視されるのがオチではなかろうか。

あるいは下手に「腰を伸ばせ伸ばせ」というと体罰として、忌避されるかもしれない。

立腰教育とは「仙骨を立てる」という体勢こそが教育の要で、腰が伸びることが即人間形成となりうると説く。またそれは万病予防の基本でもあると主張する。そして自分の心と体、そして実生活における中心線を物理的に堅持する要とするのである。

せい氣院を訪ねてくる女性には月経不順や不妊、自律神経系のトラブルやホルモンバランスの欠如(バセドー)のような悩みが多く、このような方の大半は対症療法に追われて改善の決め手がないまま漫然とやり過ごしている。

そういう生理的な不調も、姿勢の指導を3ヶ月、半年単位で行うと大方改善されるので姿勢は侮れないのだ。いわゆる野口整体の整体指導と森氏の立腰教育というのは日本特有の腰肚文化を基盤とした養生法という点で通底している。

ただ、姿勢を「正そう、正そう」と言ってもそうなるものではなく、身体上の無自覚な緊張に気付きてこれを抜くことが必要である。

立腰を実現するうえでは野口整体の活元運動は大変有効である。はじめのうちは効果も意義も見出しにくいが、淡々と続けることで知らぬ間に身体の自然を理解して無為の健康を獲得できる。

頭の理解で意識的に伸ばした腰と、潜在意識がクリアになることで結果的に伸びた腰では弾力が違うのである。人間教育の要として姿勢に着目した森氏の慧眼によって活元運動の価値を再認識する次第である。

愉気の話

軒下の朝顔が咲き始めました。たぶん小学校の理科以来の朝顔の栽培です。^^

朝顔

あの、ちーこい種が土の中に入ると「おっここ土ん中じゃん!発芽しよっと」って芽を出して根を伸ばして花を付けてまた実を結ぶ。

そのことを知ってるってことがすごい。自然の摂理ってすごい。生きてるってなんだろう?って考えさせられます・・・

最近せい氣院のお客さんがお家で愉気をはじめたり、手当てやヒーリング関係の仕事をしている人が指導を受けに来ているので、今日は久しぶりに愉気の話にします。

僕が育った野口整体は愉気(整体の気)というのが、技術の元になっています。

野口整体の世界の中心には気がありますから、野口先生の気に関する言葉は沢山残されています。

以前に太極拳を習ったときに、型や技術はピストルでいうと「弾」、そして気というのは「火薬」なんだよ、と先生に教わりました。

これって気に関してすごくわかりやすい喩えで、いろいろな仕事やスポーツなんかの技術にも共通して言えることだと思います。

野口整体にも「操法」という型がありますけど、同じ型をやっても効果が上がるときと上がりにくいときがあります。

大事なことは技術以前の気の集中密度、だと思います。上手・下手というよりも、自分を瞬間的にキュッ!とまとめられる人が質の良い愉気ができる人だと思います。(そのとき心が穏やかなのは前提条件です^^;)

野口整体では、愉気をするときは全身全霊を傾けて、というようにいいますけど、いわゆる「真剣」、あるいは「集中」すると手の感覚が変わって、初めてやるような人でもびっくりするような効果があがります。

でも、気の集中が行われなければ何十分何時間やってもいっこうに相手の呼吸が変わってこない、ということもあります。(かえって乱してしまうというか・・)

そのためにいろいろな訓練法も伝えられていますけど、とにかく一切合財を忘れて「命は何よりも大切なもの」という心構えで、「今、この瞬間に集中する」ことを勤めて行うと自ずと顔の表情も体の構えも変わってきます。

ちょっと難しそうな話になってきましたけど、磁石に付いた鉄が磁気を帯びるように、愉気を受けてるとだんだんとそして知らないうちに、みんな愉気ができるようになってたりするからうれしいです。^^

「気」なんていうとちょっと日常から逸脱した世界のようにも聞こえますけど、何度か愉気をくり返して、受ける人の変化を目の当たりにしていくと、人間が弱ったり、元気になったりするのは目に見えないエネルギーが基になってるのかもって自然に思えてきます。^^・・・・・

愉気の話の種はいっぱいありますので、またー

肩こりを自分で解消しようの巻き

ここ何日か奥歯が痛い、というか痛かった。昔歯医者さんに「あ、この歯はたぶん生えないね~。」と言われた下の親知らずが何を思ったか急に方向転換して出てきたのだ。

ちょっと前に首がおかしかったので自分で調整したのだけど、たぶんこの影響だったんだね・・。

痛くてご飯もおいしくないのでやむなく減食、一日一食、うどんとかサンドイッチで過ごしたら化膿もおさまって身体も軽くて調子が良いyo!。

怪我の功名というか、現代は栄養をいろいろ沢山取るよりも、減食やプチ断食で抑制するほうが元気になることは多いよね。基本、食べすぎ・病気大国ニッポンだから。

ほんの少し前、大正・昭和の始めは栄養失調の病気が多かった。結核なんかも予防接種(BCG)の普及率増加と、罹病・感染率の減少はあまりリンクしていなかったというデータがあるのだ。

結核がなくなった一番の要因は経済成長に伴う、衛生環境と滋養の改善だという見方が本命らしい。食養生というのは古来から不朽の健康法の王道だ。マスターすれば身体の無駄な澱みはなくなる。

序盤から食い物の話になっちゃったけど、今日はタイトル通り肩こりの話しないとね^^;

かつて野口整体を生業にして生きて行ぐべー!と思って仕事をはじめたときは肩こりにはあまり興味がなかった。

でも最近仕事と関係ないところで立て続けに、「肩こりがねー・・」という話を聞いて、潜在的なニーズというか、困っている人はやっぱり結構いることに今更ながら気が付いたのだ。

肩こりと言ってもね、コリや痛みが出てるのが肩なだけで、眼精疲労の肩こりもあるし、感情抑制のもの、指先の使いすぎ、栄養の取りすぎ、原因はいろいろあってそれを見極めるのが整体の観察だ。

今日は話の流れ的に食べすぎに焦点を当てます。

そう、

食べ過ぎの肩こりを治すには・・・

それは・・・

ずばり・・・・・・

食べなくすればいいんです。

「っそんなことわかってるよー!」ってつっこまれてそう。^^;でも冒頭でも書きましたけど、食べないでいるって肝臓と腎臓が休息状態に入れるので、夕飯一食抜くくらいでも、一晩寝ると肌がつやつやしたり白目がパーッと白くなったり結構な恩恵にあずかれます。(適度にですよ・・何ごとも中庸が肝心ですよー^^;)

お釈迦様も過剰な断食行も息止めも最終的には身体に良くないという結論に達したけど、一説には週一回、一日の断食は続けられたというのを何かで読んだ気がします。

だまされたと思って1週間~1ヶ月単位で、(特に梅雨時から今ぐらいが狙い目です^^)少ーしでいいので減食してみるとある種の肩こりの人は楽になってくると思いますよ。

「そんなことするくらいなら肩こってたほうがましじゃ!」という人にはやっぱり野口整体の食べ過ぎ体操かナ。

正坐をしてそのまま後ろにぱたん!とするアレです。(ちくま文庫の『整体入門』に書いてあります。)

栄養過剰になってくると腰とふとももの前側がぶねっと固くなってくるので、そこをぎゅぎゅいーーんと伸ばすと時間差で肩に効いてきます。

二人一組で正坐した人のももの上にパートナーが乗っかるというアグレッシブなやり方もあるけど、東洋医学では肩こりの人に、ももを刺激するというのはわりと定番みたい。

体操で身体が整うと食欲は安定するから、それで食欲が正常になれば身体ももっと良くなる!という元気っ子スパイラルに入れればいい。全ては最初の小さな行動から。

食べ過ぎの肩こりさんなあなたは、まずは体操をおためしください。

食べ過ぎ体操

これでやり方が解る人はすごい^^;体の固い人は一人でやならいでくださいね。でわー