活元運動のすすめ

先にお知らせします。8月20日にまた活元運動と愉気の会をやります。

ブログのタイトルは活元運動のすすめですが、実はつい最近まで活元運動の効用というのがよくわかってなかったです。ね。

『整体入門』の「錐体外路系の訓練」というフレーズがいまひとつピンとこなかったのもあるし、(自分はせっせと取り組んではいたけど)このくねらくねらした動きを人に薦めるには抵抗があったのだ・・。

そんな感じだったのですが、最近は熱心にこの運動を薦めるようになりました。

「熱心」のきっかけになったのは最近仕事の合間に読んでいる安保徹さんの『免疫革命』という本です。

この本はいわゆるガンのような難病や不快なアレルギー疾患と、自律神経の関係性が詳細に書かれています。

新しい免疫学では自律神経のバランスを乱す手術や抗がん剤治療を行わずに、体を温めたり、食生活を改めたり、という一見して穏やかな対処法が実は身体の免疫力を亢めて自然治癒の可能性を大きく高めるのだそうです。

直感的に何かいい時代が来たな、って思ったのですが・・^^

今まで医療は細かく細かく、細分化の流れで来たけれど、そこに問題点を見出して、もっと全体を一としてみるようなスタンスが求められてきたみたい。

この流れが続けば近い将来野口整体とか活元運動にもっとスポットが当たる日が来るんじゃなかろうか?

と、

何かちょっと使命感みたいのも生まれ、がんばる昨今です。^^

活元運動の教室に参加される方はこちらから 「8月20日愉気の会参加希望」と書いてメールしてくださいね。(教室は現在女性が多いです。男性もどしどしご応募ください。)

場所は神奈川区内の公共施設(和室)を借ります。

今、8名様が参加希望されてます。キャパ的には後2名くらいが限度です。ご参加は先着順とさせていただきますので参加を希望される方はお早めにお願いします。m(__)m

整体かれんだー

せい氣院にお越しになる方は片山洋次郎さんの本を読んでいる人が多いです。野口整体を現代的にわかりやすく説明してくれるので僕も初心の頃は勉強になりました。

中でも『身体にきく』 という体癖の本の完成度がすばらしいのでおすすめです。

今日は文庫にもなってる『整体かれんだー』 という本について^^

日本の四季に合わせて月ごとの身体の整え方の紹介が本の縦糸になっていますけど、個人的には巻末のQ&Aを読むと整体のことがよくわかると思います。^^

野口整体は「人と人のつながり」というのがはずせないテーマだけど、片山さんの本では、一人で完結できる体操なんかがわかりやすく沢山紹介されてます。

野口整体を自分の「体験」を通して、ひとつひとつ身に付けていった記録なので簡潔だし読みやすいです。

この本を読みながら一年きちっとワークをやっていくだけでもよくなりそう。

気になった方は呼んでみてくださいねー^^

生理痛にリラックマ

今日リラックマ好きのお客さんが絵本を貸してくれました。Kさん、ありがとうございます^^

ゆるキャラみたいなホワホワ、ユルユルしたものが歓迎されるのはそれだけ世間に緊張が満ちているってことなんだと思います。

野口整体では力が入りっぱなしのところに、やわらかく気と呼吸を誘導してゆるませます。夜になったらすっかり脱力して眠れば、目が覚めたときにはいろんな疲労が抜けています。

目を酷使すると生理がつらくなる人がいますが、目に蒸しタオルを5、6分あてるとやわらぐ。(めぐリズムもいいらしいです^^)

整った体というのは緊張とリラックスのバランスがいい状態です。パソコンの仕事をしている人は職場を離れても頭の緊張がぬけないので、身体のバランスを守るためにゆるいものに触れていたくなるのだと思う。

女の人でお尻が小さく骨盤が閉まりすぎている人にはリラックマはおすすめかも。読んでるとアタマとオシリがゆるんでくる。

気は心なのだ。

汗といっしょに出ていくモノ

夜道を歩いていたらセミの幼虫がアスファルトの上を歩いているところを見つけました。

これからどこかの枝にぶら下がって、羽化して1週間啼き続けて、また土に還るんですね。

まさに死ぬことは生きること、・・・だ。いつもは忘れてるけど、必ずいつか僕も死ぬ。

それが10年後なのか、明日なのか、わからないってところがいいんだね。(今んとこは・・)しみじみ~。

そしてね、幸せなことに僕は今日生きている。(生かされてる?)

これだけが事実。

こうなったら生きてるうちに全部やってやろうじゃん!って気になってキタよーーー(*^▽^*)

こんにちは、あさひなです・・・俺んとこ来ないか!?(・_・)

せい氣院にいつも来ている女の人に

「私って前は汗かかなかったのに、ここの来るようになって今年からいっぱい出るようになりましたー^o^」

って言われました。

あ~確かに背骨を観るとそんな感じするする~

汗って背中がカタいとでません。とくに肩甲骨の間のところがカタいと汗が出にくいことになってます。

発汗っていうのはある意味健全さのバロメーターですね。(冷や汗とかアブラ汗も含む・・)

いろんな人とをお話して、お身体をみていくとスポーツなんかで定期的に汗をかいている人はマイナスの感情の持ち越しがない。

いい意味で「昨日」から自由な、サッパリとした「今日」を生きられています。

汗がかけないと「何か」が鬱滞するんですね。

女の人は夏場汗をかかない方がラク(お化粧とか・・?)というのもあるみたいですけど、スポーツとかヨガみたいなことをやって普段からよく汗をかいている人は汗がサラサラしてべたつかない。

背骨を柔らかくするには活元運動をコツコツ続けるのがいいけど、そういう環境下にいない人はどうしたらいいのかな・・。

肩甲骨ぐるぐる体操なんかをやってみようかなー。

皮フはむきだしになったココロだからネ。(汗は涙みたいに心を洗ってくれるのさ・・。)

僕が身体に触れつときはいつだって心に直接触れるつもりでいます。(野口整体だから当然ですね)

教室 で愉気をやっている人にはこの感覚がわかると思います。

夏は適度に日に当たってしっかり汗を出してあげてくださいね。それも適度に、熱中症には気をつけて~でわまた^o^

みんなが愉気ができるようになったら・・・(3)

近頃また湿度が増してきたせいか、おふとんが重いです。今モワモワ乾燥機中です。(お部屋あついぉう^^;)

でもおふとんが乾いてると寝るときヤッタ!って気がするんだもん☆気持ちいいよね♪

今日は有志の方からオファーをいただいたので午後からいつもの場所で活元会をしました。

はじめはいつもおなじみの愉気法のお話。

現代の感覚では愉気は「不思議なもの」の部類に入るのかもしれません。

「病気も怪我も薬や手術で治すもの」という考え方に浸りきってきた人にとっては、触れているだけで身体が動いて、変わっていく、というのはやっぱりはじめは(?)って違和感があるみたいです。

でも愉気を受けて、活元をやって、整体の考え方が生活の中に浸透していくと、「??どうやら病気は薬では治らない、ら・し・い・」という感覚が体感的に体に入ってきます。

そうして、少し症状の重い風邪でも薬を飲まないで2・3回経過すると身体の治癒力というのが把握できてきます。

野口先生が亡くなられて30余年たった今、投薬を中心とした現代医療のあり方に疑問を投げかける声が少しずつ増えています。

抗がん剤をはじめ、ステロイドや消炎鎮痛剤の副作用が改めて見直され始め、またインターネットの普及で今までは「寄らしむべし知らしべからず」のごとく、全くの受身であった「患者」のみなさんが自分で活路を求めて代替医療に望みを託し、その一つに「野口整体」が求められているという現実があるみたいです。

そんな中で「愉気法」というのが何かの「技術」のように捉えられて、すごい力があるように思われることもあります。

野口整体というのは超能力ではなく、思想と実践が一枚になった生命の「行」である、と僕は学んできました。

段階を踏んで少しずつ、でも着実に野口整体の考え方にシフトしていくことで愉気の響き方も変わってきます。

もう一つはこの世界には「道理」というのがあって、「道理」通りにしか物事は運ばないという法則があります。

自分でこれは「真理」だというものがじつは間違っていると、「奇跡」とか「不思議」なことが起こるんだ、と思うんですね。

愉気をすればどうなるか?というのもやってみて起きたことが真実です。やってみればわかります。

この考え方に賛同される方が会に集まって、野口先生の遺してくれた愉気と活元を取得して人生に役立てていっていただけたら、僕としては嬉しいです。

今月は8月20日(月)にもう一回やります。ご参加いただく方はメールかお電話でお知らせ下さいね。

みんなが愉気ができるようになったら・・・(2)

久しぶりにらーめん一風堂に行ったった。零(ゼロ)という期間限定のプロトタイプらーめんがあったのでそれとめんたいご飯でもぐもぐ・・。((;~;))ムグムグ…

替え玉3回でやめたけど今日はエンドレスで食べられそうだった。いくらでも寝られるし食べられる、身体が休みたがってるんだ。

たらたら書いてたら同じタイトルで3日めになってしまいました。

みんなが愉気ができるようになったら・・・きっといい世の中になる。

そんな気がする、2012夏。

愉気をすると硬直した筋肉が弛んで、眠たくなります。

マッサージとかリラクゼーションサロンでも、揉まれながら半分くらいは眠ってしまった・・という経験のある方はいらっしゃると思います。(僕もあります・・^^;)

せい氣院でも操法を受けてお家に帰ったらコトっと小一時間くらい眠ってしまったという人がいますけど、この眠るっていうのが最終的に整体の技術の仕上げになっています。眠ることで操法が完結するのだ、ぐらいのいきおいです。

なぜなら人間の治癒力というのはちゃんと眠れた時に爆発するからです。

逆に比較的軽い病気から難病にいたるまで、きちっと眠れていないことに端を発するものは少なくありません。

いわゆる自律神経系のバランス欠如が、眠りの質を悪くして免疫力を下げてしまっています。だから風邪をひいて、食欲がなくなって、発熱して、ダルくなって、眠くなる、というのは免疫力を上げるための自然の整体法だ、ということがいえるんですよね。^^

この自立神経系のバランスをつかさどるのが筋骨の部位でいうと「骨盤」です。仙骨や、呼吸活点という骨盤の急所に愉氣することで深い眠りを誘導することができる。

整体っていうのは体をきったりはったりしないので、見る人によっては現代医療や代替療法の中でも「消極的」に見えるかもしれません。

でも例えば、開腹手術っていうのは体を切り裂いているんですよね。麻酔をして滅菌した器具で安全に行ってはいますが、大怪我をしているってことの認識が全体においてぼやけている。このことが僕からするとコワい。

整体というのは身体、生命を徹頭徹尾、これ以上ないくらい大事にします。それは「絶対安静」なんていうイジケた養生観ではなくて、動くべくして動き、休むべくして休む、いかなるときも生命の健全さを疑わずに淡々と息をし続けるということなんですけど。

それを具体的にあらわすといつも、「待つ」という言葉に集約される。その「待つ」は全身の氣を集中させて鎮めて亢める、派手なアクションはないけれど「静中動在り」の、積極的で主体的な「待機」の姿勢だ。

呼吸を深く深く練っていった人の愉氣は、相手の呼吸をシンクロさせて深くします。つまり他動的に安心して待てる身体にしてしまう。

これは愉気法の一つの側面ですけど、こういうことがもっともっと世の中に認知されるようにしていくのも僕の仕事の一つだと、そういうことにしちょる。^^

みんなが愉気ができるようになったら・・・(1)

野口整体は愉気という気の集中・運用法が全ての技術の基になっています。なので愉き法を理解することが整体をやる上で最初の最初にあると思います。

野口先生の本には愉気の説明がいろいろな角度から何度も何度も出てくるので、知識として理解を進めるには先生の著作を読むのが一番確実です。

中でも『健康の自然法』というのは最初の著述に愉気について集約された部分があるのでちょっと書き出してみます。(この本は現在のところ絶版なのです。以下引用)

愉気って何だという質問だが、人間の氣力を対象に集中する方法だ、と考えたら良かろう。人間の精神集中は、その密度が濃くなると、いろいろと、意識では妙だと思われることが実現する。

穏やかな太陽の光でも、集中すると物を焼く。光はレンズで捉えるのだが、気は精神集中によってちからとなる。

それ故、愉気するには高度な精神集中の行えること、恨みや嫉妬で思いつめるような心でない、雲のない空のような天心が必要である。

(以上)

自分の経験でも愉気がピタッと決まるのは頭に余計な考えが浮かばないで瞬間的に没頭できるときです。集中力の密度というのが力の有無を分けるのは間違いないです。

集中力というのだから訓練によって愉気は高めていくことができるのですが、命の尊さをわきまえていれば自ずと気の密度は増してくる。

こういう角度から、気と生命の理解が進むことが本当の人類の進歩じゃなかろうかと思っています。

バストアップしてはいけない時

夕方、突然下痢をしたので、???と思ったけど、よーく思い出してみると昼間ちょっと焦ったことがあった。

リラックスしているとうんちもどっしりしているけど、神経をすり減らすと「ぽしょっ」と水っぽくなる。

昨年地震が起きたあと3~4週間してから下痢をした人をみましたけど、下痢した人はみんなそれまで身体に残っていた妙な緊張が抜けていました。

食物の消化と感情の消化はリンクしているみたい。

僕は野口整体に出会ってから7年くらい。歯医者で麻酔を打つとき以外は薬を飲まない生活になっています。けど、「神様が創ったカラダは絶対に間違えない」ってことがようやく骨身に染みてきた感じです^^

昨日のかぼちゃワインからのつながりで(?)今日は胸の話^^

せい氣院では操法の最後にきちっと正坐をしてかかとを上手に使って(←ここがミソ)仙骨っていうおしりの真ん中の骨をつぃーーーっ↑と前方、上に向かって上げますね。

そうするとこれはもうオートマチック式に胸が一緒にぐぐぐっ!!ぐーっ!↑と上がりますね。

どうやら仙骨と胸骨が対応しているみたいです。

もう少し細かく説明すると仙骨が上がると胸骨(っていうのは胸の真ん中の板状の骨です)とあばら骨の間に「ゆとり」ができて胸郭が左右に開きます。(息が一杯入る)

そうすると僕が背中側からその人を観ていても、胸が開くと同時にパァーっとその人の目が開くのがわかるんですね。

こうなると心の中に意欲が沸いてしゃきっとしてくるからさらに仙骨があがっておしりの形もぴりっ!としてくる。

そしてあばら骨の前側(つまり胸)が自然に上がってきます。

でもこれはいつでもやればいいというわけではなくて、生理が終わった翌日か翌々日くらいに少し意識してやると身体の自然の波に乗っかってよい効果が現れます。

整体のコツはどんな技術であっても「時を待つ、波に乗る」、の2つにつきます。

どんなに魅力的なエクササイズでも生理前におしりアゲアゲ体操↑とかバストアップ↑とかはやらないほうがいいみたいです。

生理の前はなるべく頭を使わないで(現代人的には無理か・・^^;)ごろごろしてる方が身体の波とマッチしてラクだと思います。^^

僕のところには30歳くらいから40歳くらいの女子のみなさんが仕事や育児の疲れを癒しにお越しになられてます。

いわゆる「受験勉強」直撃世代のみなさんは思春期に子宮に行くエネルギーの何十パーセントかが頭に昇華させられてしまった。そんな訳で人によっては胸とかおしりがきちっと発育してなかったりするみたい。

女性のみなさんが野口整体をはじめて愉気と活元運動で気のめぐりがよくなると顔がふわっとやさしくなったり、身体の線が丸くなったりするのはそういう流れから来るのだと思います。

野口整体は「野蛮」と歓迎する、ちょっとマイノリティーな世界。

僕的には「野に咲く花のように」的な感覚で「自然美」とか「健全美」という風に表現したい。

まあシンプルに「美」でもいいんだけど、

その自然の美が人体上に現れているものに健康を感ずる、と野口先生は言われた。らしいです・・。

自然には波があります。その自然の一部である人間にも波がある。一度波に乗るコツを掴むとそれは一生損なわれない心と体の財産になります。

個人指導と活元運動は人間の身体に自然の波を取り戻すための両輪となるシンプルメソッドです。

コツコツつづけると必ず体が変わり、心が変わり、やがて人生が変わります。

ウチに来ている人には野口整体で今よりも、まるまるモリモリ幸せになって欲しいです。つづけてみてくださいね^^

感応道交

今日は整体のお仕事の後、大口商店街のらーめん屋さんチックタックに行って、なごみCAFEでお茶して、盆踊って帰宅。

今更ですけど盆踊りって日本人の音だ。舞踊って、哲学が人間の肉体上に現れたものかも。民族の知恵の結晶って気がする。

せい氣院の整体では身体が痛みを訴えた原因を突き止めたいのですが、指導室で身体を見ながら、心の話をしようとしてもさっぱりチンプンカンプン???になることも多い。

一般的には整体師っていうのは「体」の知識があって、悪いところを治す人だと思われています。ボキボキのイメージはだいぶ無くなってきたけど・・。^^

だいたい「整体」の定義と言うものもあいまいだろうし、もちろんいろんな整体があってどれも「正しい」ですよね。

僕が学んで愛してきた野口整体は、送り手の気を静かに統一させて受け手の心に響かせる技術だ。

この「響かせる」というのは響かせるものと響くものの間の「繋がり」が前提になってます。

音叉という道具がありますけど、同じ振動数のものを2つ並べて一方を鳴らすともう一つの方も共鳴して音が鳴り出す。

周波数が同じと言うのは整体でいうと僕が気を集中して触れたときに相手の人にも同じレベルの集中した気持ちがあるということ。そうすると心が振動しはじめて体が内側から動き出します。

そのままじっと愉気していると活元運動になることもあるし、抑えていた心が発動して泣いたり怒ったり笑ったりして過去に消化不良になっていた感情が処理されていくこともあります。

こういう状態を整体では仏教の言葉を借りて感応道交とか言ったりもするんですね。

それで、せい氣院に初めてお越しいただくときには「求める気持ち」というのをよく伺うようにしているんです。

弘法さんの言葉に「片方の手では拍手にならない」というのがありますけど、拍手というのは右手が左手が勢いよくあたって(感応して)パンッ!という音になります。

当たり前のことですけど、片手だけではどんなに気を凝らしても音は聞こえないのです。^^;

お互いのなかに同じレベルで求める気持ちがあると、こうやって感応が起こるんですね。

こんなことを気持ちの中に入れておくと、愉気を受けるときも人にやってあげるときも効果が変わってくるかもかもしれません。^^

整体操法とは本気と本気がぶつかることで織り成す魂のハーモニーなのです。^^

どんな音になるのか気になりませんか?

願う心

東洋的な考え方で、病気を退けて「健康」を主体的に維持していく姿勢を養生(ようじょう)といいますね。

野口整体は病気になろうが失意のどん底まで落っこちようが、生きてる限りは死ぬまでがっちり生きるんだよ、といって、これを「人生をまっとうする」という意味を込めて全生(ぜんせい)といっています。

だから整体指導で対象とするのは腰痛などではなくて、腰痛になったり、そういう状態であり続けようとしている心の使い方を正すということになります。

逆にいうと腰がよくなったら何がしたいのか?という志(心指し)が始めにかちっと定まらないと、目的地の決まっていない運転手さんにナビするみたいでどんな操法も徒労に終わってしまいます。

仏教ではこういう志のことを、ねがうこころ、とかいて「願心」(がんしん)とか、いうらしいですね。

最初にこういう使命感というものが立つと、ひとりでにスッと気が一つに纏まってきます。

ところがこうやって気が纏まらないであちらへ散ったり、こちらえフラフラ戻ってみたり、ということをやっていると身体の乱れを通じて生活全体に芯が無くなって乱れてくる。

一般に気が去れば「腐る」、気が散れば「朽ちる」といって、生き物にとって気の集中がなくなるというのはそれだけ死が近づいているということだといえます。

ちゃんとした「時期」がくればそれでもいいのだけど、今は死魚の目といって、教育が悪くなったせいで生きているうちから死んでいるような目をした人(子供も!)が増えています。

そこを何とかしたいので、せい氣院の野口整体では最初から身体の統一(腰を入れること)を通じて、気の集中感というのを養い、統一体を体感していただくことが目的になっています。

ずっとこういう角度から技術を行ってきたので、野口整体はむかしから施術といわずに整体指導という言葉を使ってきたんですね。

せい氣院にお越しになる人でも、この感覚がピンと来ない方は次が続かないのです・・。

だからといって無理やり使命とか志を持っていただくこともできませんが、こういうことを孟子は<浩然の気>という項で上手く説明していますね。

野口先生は「整体は真面目に生きる人のためのもの」といっておられたそうですが、「肉体を正して気を一つにする」、ということが指導の根本に無いと根無し草のような腑抜けの操法になってしまいます。

受ける人のこうありたいという願う心と、整体指導者の気の集中が合わさってはじめて質の高い操法はつくっていくことができるんですね。

何にせよ、生きているうちは、夢、持った方がいいですよね。

人間だもん^^