横浜活元会(上手に愉気をしよう)

今日は関西方面の方からご予約の電話が・・・(めっちゃ遠いやんけ・・@o@;)

今さらながら、インターネットってすごいナー。

こんにちは、あさひなです。

今日の横浜活元会は2人でした。

 

濃密です。

やっぱり平日ってこんな感じなのかな。

今回はご参加いただいた方からのリクエストをふまえて・・・

「お腹の愉気」をやりました。

合掌行気法で呼吸を練ってから、お一人ずつ交代でお腹に触れる感じで・・

いつも書いてますが愉気を上手にするコツは、、、

 

坐る場所をキメる。

 

です(^-^*)ニン!

自分が自然体で座れる場所をきちんと探して、ピタッと座れると受ける人の呼吸がすーっと深くなっていきます。

これは、注意して繰り返して慣れてくるとちゃんとわかってきますね。

坐る、という立派な「技」なのです。

坐りがきちっとできれば、愉気の9割は完成です。

この感じ、どうやって訓練したらいいのか。

 

よく言えば「慣れ」ですけど。

「坐る場所は一つしかない、1センチずれてもそこはちがう。」

という野口先生の言葉があります。

愉気に興味がある方は、せい氣院の活元会で一緒に練習しましょう。

活元運動をやるとどうなるのか

気持ちのいい雨ですね。

この雨がまたちょっとだけ冬が近づいてますね^^

今日は教室のお知らせです。

11月の愉気と活元運動の会は3回やります。

それで今日は、

活元運動をやると・・・

「何が・・・どうなるんですか?・・・」っていう話。(よく考えたら今までちゃんと説明してませんでした)

まず、野口整体の整体操法は何のためにやるのか。

それは・・・

「よく、感じる身体」になるために、です。

 

だから不整体・・っていうのは、

あんまり感じない身体。

 

「鈍感」ということですね。

 

病気っていうのは「鈍る」ことから始まるわけですね。ガンでも脳溢血でも倒れる直前まで変動がわからないものの方がこわいです。

逆に、

小さな変化に早く気がつけば、大したことにならないで済むものがいっぱいあるのでしょう。

一度鈍ってしまうと、

なんとなーく、じわっじわっと不健康なってくるわけですよね。気がつくとあちことなんとなく調子わるいのに、その「原因」もわからない。

でも早い段階で「感じ」て「反応」してれば不調も小さいもので済む。

 

だから、整体やったら病気しないということではありませんね。健全な身体なら病気はするんです。でも、活発に生きてればその病気にやられちゃわないんだって、そういう話です。人間てのは最終的には「気力」でもってるのでしょう。

 

だから・・・

 

「病気をして」、それで、「治る」。・・・で、一つの力。のこ二つでセット、病気になる力と治る力でセットになって、これがあるから健康を保てるんです。

 

それでは具体的に、活元運動をやり始めた人はどうなるか?というと・・・

 

まず、「個人指導の効果があがりやすい」。

愉気をしていても、身体が「早く変わる」

つまり、それだけ「敏感」になっているってことですね。

 

だから、活元運動をやってる人は整体の効能がアップするし、整体指導を受けている人は活元運動をやることで、自立した健康体が定着してくる。そういう相乗効果が身体に現れてきます。

 

コツコツやってくとだんだん「整体の生き方」になってきます。

人はその身体のレベルに応じた人生を行きます。だから身体が変われば必ず「今日」が変わるし、間違いなく人生が変わるんです。

身体に進歩することで間違いなく生活が変わってきます。豊かに生きるための訓練をいっしょにやっていくのが愉気の会です。

<11月の日程>

・11月4日  13時30分~16時

・11月12日 14時~16時

・11月28日 13時30分~16時

<場所>

神奈川区内の公共施設です。(場所については個別でお教えします)

持ち物はやわらかいお着替えとハンカチ。

参加費は2,500円です。

横浜の野口整体 せい氣院のブログ
よーし行ってみよー、という方は・・・

お問い合わせからどうぞ。

岡潔

3年前にせい氣院を立ち上げた時っていうのは・・・野口整体を広めて、いろんな人に知ってもらっていい世の中を作ろう、そのために貢献するぞ。そういう気持ちから出発したんですよ。それがね、

今頃になって・・

「…果たして<良い世の中>って一体何だろうか?」、最近はそんなことを考える時間が格段に増した。

今までの日本(20年位前まで)なら・・とにかく、利便性と効率化だけを追求してきたわけで、社会全体に「迷い」がなかった。とにかく何も言わずに言われたことを、さっさっ!さっさっ!やる。それが教育原理にまで及んで、何ーんにも考えないで言われたことをパッパとやる人間を「大量に造る」ことに終始してきたわけだ。

これが「教育」だっ・・・つって。

それで、こーゆー世の中になった。

つまりね、これが善いことだ、良い世の中を作るためだと思ってやってきたことが、今のような世の中を生んできたわけですよね。

それから派生して、戦後から70年に渡って<大量生産・大量消費>の流れがあったわけだけど、まぁ、見ての通り崩壊しているわけですよね。気が付いていないだけで。

松下幸之助さんの水道哲学が喝采を浴びたのは80年前の話で、今はもう巷に散乱する安価なものには言いようのない嫌気がさしてる。今は多くの人がも高価でも、稀少でも、何でもいいから、「本物」を求めているんだよね。

で・・・

整体に賛同してくれる方々は「整体の考え方はいいですね」って言ってくださいますが、これに対して近頃はうれしい反面、「はたして本当にそうなのかなぁ・・?」と自分の足元を注意深く観るようになっているわけです。

今のところは現代医療の健康観とか生命観に対して野口整体は光を放っているわけです。だからこれを、みんなが納得して受け入れてしまったら、今度はその価値が薄らいでいく可能性は高い。そうなったら、やがては世の中からだんだん消えてしまうんじゃなかろうか。それでいいのかもしれないけど。

世間のものは大体においてそうだが、100人のうち90人が「いいねいいね~」というのは大した価値のない、フツーものが多い。イイモノのの大半はどうでもいいものだ。

飲食店でも最初の一店舗目はオーナーの個性や心の温度が店中に充満しているから、5年以上つぶれない店ならそれは大抵いい店だ。これがチェーン展開なんかして「管理運営」に追われているうちに気がつけば個性がなくなり、クオリティーまでも「普通」になってしまったりするんだよね。

それで「野口整体もマイノリティだからいいのかもしれない」・・・という気もするのだ。つとめて排他的になるつもりもないんだけど、質をを一定に保つには広げることよりも、高めるとか深めることの方が大事かもしれない。

医療の分野も、例えば女の人が子供を産むんでも、どこでもここでもやっているような病院出産よりも、都心からはるばる、「いいお産」をするために上質な環境とか人を求めたりするわけだ。世の中の価値観はこういうステージに来ているんだよね。

江戸時代だったら多くの人が「自分の身体に起きたことは99.9%自分の責任」として、現代の人たちよりも高いレベルで自分の体や人生にたいして責任のある生き方をしていたはずだ。

そういう世の中に、西洋医学のさきがけとして蘭学が入ってきた。

それまで治らない病気も治った。しかも、これがはるばる海を越えてやってきたのだから、きっと相当すごいものに違いない、そういう舶来ものに目がくらんだことから始まり、時間とともに「権威」を備えていったんだと思う。

そもそも何がとうなっているか「判らない」、命の本質を確実に捉える手段としては、合理性、再現性という切り口は当時の人の目には素晴らしいものに映ったと思う。でもね、こういう「安易な近道」は知らないうちに人間をナマクラにするし、魂を堕落させる。

野口整体も思想から技術だけが分離されて、多くの人に「便利」に使われははじめたら要注意だな、とも思う。真の光は決して自らは輝かないのだ。

一躍脚光を浴びた、「痩せるための骨盤体操」がいい例だけど、こういう卑近な欲望を刺激して底辺が拡大したところで、奨励的にはそんなもの毛ほどの価値もない。

だから、これからは「不特定多数に広める」よりも、「必要な人に純度の高いものを提供する」こういう角度から仕事に取り組んでいく・・傾向としてはますますそうなりそう。

だからって明日からいきなり何か変わるわけではないけどね。自分の「価値」で生きることを選んだ以上は妥協する必要は全くないし、ゆずれないところでもあるな。

お産の家

最近「お産の家」、の吉村正さんの本を何冊か読見返してたんだけど、読んでると無条件に仕事のモチベーションがあがる。

ときどきテレビにも取り上げられるので、このブログを読んでるみなさんは知ってる方も多いと思います^^

これね^^↓

『お産!この命の神秘』

吉村正さんという一人の男性医師が、多くの妊婦さんと時間や心を共にしながら2万例以上のお産と向き合っていった話。

そしてたどり着いたのは、

現代医療はできるだけ生命に介入しないほうが良い、という答え。

これって、野口整体の生命観とほぼ同じ。

そして吉村さんが朝から晩まで何年も働いて、苦心の末に出来上がったのが、

吉村医院というコンクリの近代医療施設のとなりの日本式家屋「お産の家」、そして古家という茅葺の屋根の古民家。

土の香りと木のぬくもり、朝から晩まで適度に炊事、洗濯、掃除に薪割り、粛々、淡々と体を動かして、食事は季節のものを適量食べる。朝日とともに活発に動いて、日没とともに休む。

直接見に行きたいんだけど、見学はできないらしいんですよね。。^^;(でも必ず見に行くと思う。)

このお産の家のスタンスを考えるときに、天空の城ラピュタのシータがよんだ詩がオーバーラップする・・。

これね↓

「今、ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。

土に根を下ろし 風と共に生きよう

種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう

どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、

土から離れては生きられないのよ!」

ががびーーん∑(゚Д゚)オゥッ!

土から離れては生きられない・・。って

俺なんか、土なんて何週間も触らないことがほとんどなんですけど。

土から離れたら生きられない・・・。

強烈・・・。

 

野口整体の書籍、『整体入門』は文明生活を見直そう、というところから始まるんだけど・・だからといって文明生活の恩恵からいっさい逸脱して生きるわけにもいかないしね。

そういう近代的な生活様式の中で、本能とか野生を啓発して、元気で活発な人を増やしていくのが現代の野口整体の役目かな、とか、勝手に思ってます。

だからこれからも活元会をどんどんやっていくし、愉気ももっといろんな人に知っていってもらいたい。

とりあえず大口のお母さんには愉気法を覚えていってほしい、ナ。大口だけで愉気ができる人が1000人とか、いや100人でもいいから、きちっとそういう人が育ったら横浜の中でもちょっとあったかい、さらにいい町になる、と思ってます。

これが絵に描いたモチにならないように自分ががんばらないとね

それと、前に来られた方がまた教室の感想をに書いてくれてました。

ちょっとユニークで面白い文章です^^ご参加を検討している方はちょっと参考にしてみてくださいね

 

それでは、明日教室でお会いしましょう。

続・愉気

愉気のことを書いたら、2人のお客さんからあの記事がよかったですって・・。

今読み返してみると・・・

・・・・・・すっかり忘れてる!(笑)

ほんとに自分が書いたのかって感心するほどに・・

愉気・・・

個人指導のとき、私はじーっと手を当てますよね。

で、

手を当てているだけなんだけど・・

身体は、じーっと良くなるほうへ動いていく。

程度の差はあります。そして劇的なことが起こる、なんてことの方がめずらしいし、でも、身体は1分1秒、治ろうとしています。

手を当てるとその良くなろうとする気、元気の方が活発になってくる。

なぜか・・・

それは、愉気する人が「病気している部分ではなくって、良くなる力を見ているから」

・・・です。

基本的に生命を信じる、という態度が身体の芯までしみこんでないと、取って付けたように整体やっても整体にはならないのです。

だから愉気ができるようになりたいって言ったときには、最初から最後まで、愉気ができる身心になることが全て。

テクニックではなくって考え方と、姿勢と、構え。

だから人の病気に怯えたまま愉気をすれば相手は乱れます。

だったら、むしろやらないほうがいい。これはホントに大事な話。

だから、

「鍛える」こと・・です。

野口整体は、生命を磨くことです。それは死を悟ることにも通じるかもしれない。

教室ではいろいろ生活お役立ちのボディワークもしますが、本当にみなさんに知って欲しいのはこういう愉気の心。

野口整体は入り口はとってもシンプルでやさしい。

だけど、

そのやさしさは「強さ」から出たもんじゃないと。

・・・ね。

最終的には一人で立てている人じゃないと、人に手当てはできない。

です。

愉気は命と向き合うことだから、ホントは厳しいのだ。

それがまろやかになるまで鍛えて鍛えて練っていく。

こうやって命と向き合っている人とそうでない人では1年が違う。10年が違います。そして、たぶん、きっと、死に方が違います。

生きること、死ぬこと、そのどちらもない〔今〕。

愉気は〔今〕を自覚し、力にするのだ。

今日の朝イチのお客さんに「ここはかかってる音楽がいつもいいですよね~」って言われたんですが、3年もこの6畳の部屋で仕事してると音の法則性も少し見えてくる。

話は横ちょへ行きますが、僕は小さいころピアノをやっていたらしいのです。(何となくしか覚えてない^^・・)そのせいかどうかわからないけどピアノの音にはノスタルジーを感じるし、指導室でかけているのもピアノが多い。

ピアノをやめた時期もはっきりは思い出せないけど、ある発表会の日に「ピアノをやってるのはオンナしかいないではないか。俺はやめる!」と言い放って、親は二の句が告げなかったらしい。(今ならゼッタイやめないのに・・。)

体癖的に言うと9種ネコを噛むといった様相である。

整体のBGMにバイオリンを使うときもあるけど、高い音は心も体も引き締めますね。サイレンなんかでも「びゅぃーーーん↑」という、高音からさらに高くなる音は身体を緊張させるのだ。

だから身体がゆるみ過ぎて、ぼたぼたしている人には引き締めの操法を使うのと同時にバイオリンのような高音が有効になる。

操法の後、ゆるんで涙が止まらなくなったような人にも、頃合を見計らって高い音域の曲をかけるとすっと泣き止んだりするので人間の生活の中の「音」の影響力は軽視できない。

逆にリラックスしたいときにはチェロのようなゴヒゴヒの低音がいい。

野口先生は当時ハイカラなクラシック音楽を、整体の現場で巧みに使った話が有名だ。

中でもパブロ・カザルスのチェロを敬愛したといわれるけど、僕はカザルスを夜聞くと死にたくなるので、チェロならたいていはヨーヨーマの方を聴く。9種と3種の違いだろう。

楽器から放たれる音には全てその人の氣が乗っているよね。その中でもピアノとバイオリンは顕著だと思うのは、たんに素人でも接触する機会が多いからだろうか。

活元運動のときの音楽も試行錯誤していろんな演奏から引っ張ってきてプログラムを組んでるつもりなんだけど、いまだに「これは!」っていう程、ピタッとした流れには到達しないな。

本来なら気温とか季節とか空間の広さとかでもいろいろ変えるべきなのかもね。

とりあえず次回、10月8日の活元会もちょっとだけ楽曲を変えてみます。

ご参加の際は、ちょっと寒くなってきたのでいつものTシャツの上に、はおったりするものか、トレーナーとかあるといいかもしれません。

初めて教室に参加して見たい!という方はこちらからメール してくださいねー☆^^

お馴染みさんも参加される方は、お早めに教えてくださいね

活元運動のすすめ

今日は夕方から兄弟子の活元会に参加してきました。^^

整体指導者はいつだって自分をニュートラルでクリアな状態にしていないといけないんだけど、(どんな仕事もそうか・・)

やっぱりね、僕などは未熟なのでちょくちょく乱れるんですよね。・・

そして乱れた時にはもう「自分」のことって、見えない。これがこわいのです。。

それを、第三者に触れてもらうことで、乱れたことの「因(もと)」がきちっと明確になってくるから特にはじめのうちは繰り返し繰り返し訓練がいるんですね。

心身の中で妙な波動を出している記憶のゴミを燃して、灰にして、洗い流してしまう。そんなような力が活元運動にはあるんだと思う。

活元運動って言うのは丈夫な体とか、体力とか、何かを獲得する方法ではなくって、いらないもの捨てていく行法、そういう感覚でずっと取り組んでます。

過去の堆積物というのはやっぱり知らないうちに重くのしかかって速度とか勘をにぶらせる。

だから・・・

昨日の惰性で今日を生きない。

そういうことがきちっと身体の芯に入っている人は強い、そう思います。負のスパイラルも正のスパイラルもないのだから、「今」という一点に一人、静かに立てている。

そういう、「無」・・、とか「静」になるために、「有」と「動」から入っていく。

それが活元運動じゃなかろうか・・。

朝、目が醒めたとき、みんなが新しく生まれた気持ちで一日をはじめられたら、世の中はもう少し穏やかになりそうなんだけど・・。^^

冷えを克服すると○○が治る^^・・気がする

ここのところ、通院されているお客さんに「おばあちゃんを観てください。」とかいわれたりして、お年寄りの相談が3~4件続いてました。

今頃は下痢でも、肩が痛いのも秋口の冷えの害がほとんどなので、操法をうけた人に朝晩の足湯を勧めてみるとかなりご高齢の方でも3週間くらいで良くなります。

中には、なかなか効果があがらない方もいるけど、お話をうかがうとそういう方は大抵病院めぐりをされていて何種類かの薬を服用している。

中でも高血圧の薬を出されていると、身体は…冷たい。

身体の働きを活発にするる整体と、身体の働きを止める現代医療は当然ながら同居できない。

例えると、頭から氷水をかぶりながら焚き火にあたっているようなものなので、お越しになっている方には信じられるどちらかに一本化することをおすすめします。

この辺の領域は立場上ご本人の気づくに任せるしかないので、観てる方は根気がいるんですけどね・・・。よくならないままご縁が切れてしまう事もあるので残念だ・・。

ちょっと前に、体を温めれば病気は治るというのが流行ったけど、ずいぶん乱暴な説だとは思いつつ8割ぐらいは正解かなと思う。

ただ「頭を強打したとき」だけは、かなりクリティカルなので温めてはいけない。それ以外の慢性の患いなんかは足湯だけでもけっこうな範囲をフォローできるのだ。

整体の本に蓄膿症で手術を予定していた人が、足湯をしたら3日でよくなったという話もあるので民間療法は侮れない。生きている身体はみんな温かいのだから、基本、温めるということは命を活発にします。

整体の現場で起こる現象はこんな風に当たり前のことばかりです。その反面「これだけでも知ってさえいれば」、というシンプルで効果的な対処法がたくさんあるのは整体のありがたいところですね。

足湯はこの時期から冬にかけては背骨の弾力を良くするカンタン方法なので、

風邪が長引いたり、体調がすぐれなかったり心当りの方はやってみてくださいね。

咳の風邪

さて・・・、今日は少し季節的な「冷え」の話を・・。

今日近所のスーパー横浜屋に行ったら、マスクをしてる人が2人程・・。

このくらいの時期になると冷えた、冷やした、とはっきり実感をもたれる方がでてきます。

自覚のある人は着込んだりとか、お風呂で温めるから良いのだけど、自覚のない方はゲショゲショ風邪をひいてるんですね。

咳をしていると、だんだん冷えて固まった背骨からコリが取れてきます。

そうやってバランスをとって身体を守ってるみたいです。

咳とかくしゃみってけっこう大事で、血圧を下げる薬を長期間飲んでるおばあちゃんを見てたらものすごい咳をしていたんですけど、そうやって薬で冷えた身体を温めて守ってるんです。

くしゃみも何回もくり返している時って身体があったまってきますよね。^^

今頃になって急に咳が出てたり肩がこったり、お腹がゆるくなったような人は寝るとき雨戸を閉めて、お風呂で膝から下をお湯につけてあっためてみてください。

経過がよくなるのと、気がほわっとゆるむので眠りの質が変わります。

ほんのちょっとのことだけど、やっていただけると2・3日で効果を実感していただけると思いますよ。

愉気は相手の力をこちらの力を結ぶもの

プルルル、プルルル、

ピッ!カチャッ!

「はい、あさひなです☆^^」

「あ、すいません、あの、HPをみてお電話したんですけど・・」

「あ、はい♪・・・ご予約ですか、それとも何かご質問ですか?」

「あ、えっと、それが子供のことでちょっとお聞きしたいことがありまして、よろしいでしょうか・・・、▽▽週間前にちょっと風邪を引いたんですけど・・そのあと、~~が○○で、・・△△になってしまって・・・それで□□をしてみたんですけど・・・**が◎●にならなくて・・・それで・・・・」

(つづく:笑)

 

こんにちは、あさひなです。(・_・)ノハーイ

ブログを毎日かくようになってからこんな感じの・・「こんなときどうしたらいいのー!!(><)」って、お電話をときどきいただくようになりました・・。^^(今月はめずらしく4回も・・^^;)

問い合わせいただくのは、ほぼ100%「野口整体を知っている」人からです。

それで、いろいろお答えはするんですけど、お話を伺っていて「ん・ん・ん・・・?」と思うことが・・。

せい氣院にお越しになるなら、みなさんに最初に知っておいて欲しいな、と思うこと、それは、、、

野口整体は「治療術」でもない、「延命法」でもない

ということです。

だから、

「こういうときは、どこに愉気(手当て)したら良いのでしょうか・・?」

とか、

「これをやってみたのですが良くなりません、他にやることはありますでしょうか・・?」

とか、

聞かれても・・・、

うーん・・。

こんなときは、いつも・・・

「ちょっと落ち着いて、一緒に深呼吸してみましょうか。」

と答えます。

 

愉気は命を見守る心です。看て、護るから、本当の「看護」ですね。

でも、「この人を良くしたいんだ!」と思いながら、心の何パーセントかは自分の不安を鎮めるつもりで自分のために愉気している、ということが結構あるんです。

そうすると何故かはわからないけど、なかなか相手の人も良くならない・・・です。それでもやれば一応効果はあるんですけど、ときにはかえって自然の経過を乱してしまっているようなときもありますね。

愉気ってそこがムズカシイ・・。

心からそう思います。

野口整体は「禅」と同じように、いわゆる個人救済の宗教なので、最終的に一人一人が「自分の足で立つ」ということを前提としています。

だから人を救いませんし、人は救えません。そんな風にも思うことがあります。

「天は自らを助くるものを助く」というのと一緒・・。

片方の手だけで拍手って打てないように・・

二つの手が同じ力でぶつかり合って、ぱん!ってなるからいい音が出ます。

人間が力を出すときもこれと同じことが起こるらしい・・・

相手の力と自分の力が「半々」です。

10の力でがんばるから10の助けがある。

500の力でがんばるから500の助けがある。

自分の力の出し惜しみをする人には・・・

・・・だれも力をかしてくれないのです!(><)ですよね・・?

甲子園だってめちゃめちゃがんばるからめちゃめちゃ応援されます。

車が走るときもエンジンがブーーーン!ってなるからタイヤと地面の間にそれだけの摩擦が起こって走れます。

だから、人をどうこうではなくって、心を鎮めて静かに見ている・・。この姿勢で触れるとその手は「愉気」になるらしい。

「看病」だって手と目を書きますよね。そしてこれはどうやら「治そう」とはしてないようです。まずは冷静に、そして一方ではとても温かい目で、人を観ている。

これと同じことが整体の「構え」でしょう、きっと。

・・今に至って僕にはそんな気がしてならないのです。

「治そう」、「治って欲しい」は「我欲」。これを極小・最小まで無限に鎮めたい・・。

そんな風に思うんですね。

こんな角度から、

野口整体の世界を見ていただくと、今までと違って見えるかもしれません。

 

まず深い息をしましょう。

世界(自分)が変わります。

たぶんね。