愉気のことを書いたら、2人のお客さんからあの記事がよかったですって・・。
今読み返してみると・・・
・・・・・・すっかり忘れてる!(笑)
ほんとに自分が書いたのかって感心するほどに・・
愉気・・・
個人指導のとき、私はじーっと手を当てますよね。
で、
手を当てているだけなんだけど・・
身体は、じーっと良くなるほうへ動いていく。
程度の差はあります。そして劇的なことが起こる、なんてことの方がめずらしいし、でも、身体は1分1秒、治ろうとしています。
手を当てるとその良くなろうとする気、元気の方が活発になってくる。
なぜか・・・
それは、愉気する人が「病気している部分ではなくって、良くなる力を見ているから」
・・・です。
基本的に生命を信じる、という態度が身体の芯までしみこんでないと、取って付けたように整体やっても整体にはならないのです。
だから愉気ができるようになりたいって言ったときには、最初から最後まで、愉気ができる身心になることが全て。
テクニックではなくって考え方と、姿勢と、構え。
だから人の病気に怯えたまま愉気をすれば相手は乱れます。
だったら、むしろやらないほうがいい。これはホントに大事な話。
だから、
「鍛える」こと・・です。
野口整体は、生命を磨くことです。それは死を悟ることにも通じるかもしれない。
教室ではいろいろ生活お役立ちのボディワークもしますが、本当にみなさんに知って欲しいのはこういう愉気の心。
野口整体は入り口はとってもシンプルでやさしい。
だけど、
そのやさしさは「強さ」から出たもんじゃないと。
・・・ね。
最終的には一人で立てている人じゃないと、人に手当てはできない。
です。
愉気は命と向き合うことだから、ホントは厳しいのだ。
それがまろやかになるまで鍛えて鍛えて練っていく。
こうやって命と向き合っている人とそうでない人では1年が違う。10年が違います。そして、たぶん、きっと、死に方が違います。
生きること、死ぬこと、そのどちらもない〔今〕。
愉気は〔今〕を自覚し、力にするのだ。