ぎっくり腰

こないだ仕事中に「ぎっくり腰」になった。いい機会なので押し入れから操体法の本を出してきてゴソゴソ実験しながら痛みを取りましたが‥。自動車でも何でもそうだけど、新しいうちは無茶な使い方をしても車体が付いてくるが、古くなってきたら相応に無理は利かない。それにしたって人間の身体は車とは比較にならないほどよくできている。

ガソリン車に軽油を詰めてエンジンをかけると一発で壊れるが、人間は夕食後にケーキを食をべても一回では壊れない。人の作ったものと神様が創ったものの違いだ。それでも毎日続けていくと、何年か先にはそういう結果が待っている。この世界は、行いに見合った結果だけがやってくる。因果応報がわかればこの世の修行は終わる。

それはそうとぎっくり腰ですが、医者の不養生はよくっても(よくないか・・。)整体師の不整体は許されない。「痛み」や「苦しみ」というのは、「それやめなさい」という宇宙からの教えだ。簡単に言うと腹が痛くなったら食べるのを止めればいいし、息が切れたら走るのを止めれば、楽になる。

そんな感じで正しく動作するとぎっくり腰でも(軽度でしたからね)難なく仕事ができる。痛みが腰を中心とした正しい身体の使い方を教えてくれるんだ。結果的にはお陰で腰が痛くなるメカニズムを一つ掴んだ気がした…。今日の身体をどう使うかは一生を左右する大事、ヒトは身体に対する畏れをなくしちゃいかん。・・という天からのメッセージ。

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パワーストーン鑑定

ホームページに書いたので、初回の時に「このパワーストーンが合ってるかどうか観てください」とよく聞かれる。もともと「おまけ」的にやっていたことなので反響など考えていなかったが、人の興味の持ち所が個人的には興味深い。

鑑定機のようなものがあるわけでもなく、身に付けたときとはずしたときの筋力を観るだけなので、筋力以外の「開運効果があります」とかなると、よくわっかんない。

この筋力反射テストは仕事をしていると案外重宝する。漢方薬を何種類も飲み続けた人が薬の量を減らしたら冷えが抜けたとか、ピアスをはずしたら腰のハリが柔らかくなったということがあるが納得してもらうためには目に見える形で示した方がすっきりする。なんの物的証拠もなく「あなたにはこの石が合っていません・・・」とかってあやしいことこのうえない。

石の鑑定については、6:4か7:3の割合で筋力がダウンすることが多い。特にルビーや翡翠などは合わない人が付けるとガクンと腹から力が抜ける。石には希少価値以外の力があることは認めているがそれ以上のことはわからない。

天然石の専門店で作ってもらったものなどが合わないと気まずいが、じつは腕時計を付けたり、メガネをかけたり、携帯電話を握りしめたときの方が力の抜け具合はいちじるしい。一度結婚指輪をはずしたらバリバリ絶好調になったときはお客さんと大笑いした。いや、冷や汗を止める為には笑うしかなかったのだ。

その点、石の方はというと「毒にも薬にもならない」という程度のものが多い気がする。個人的には女の子が身につけるなら綺麗なもの、キラキラしたものをつけてたらそれでいいんじゃないかと思う。安くても何でもいいから光りものを身につければ運勢は上がると聞いたことがある。サバでもコハダでもなんでもいいからくっつけて歩くといいそうだ。

かつて中日ドラゴンズの落合監督がルチルクウォーツを付けてチームが優勝したことで男性にも石が注目されたことがあったが、もともとが三冠王を3回取った実力者だということは見逃せない。人間の運と実力はがっぷりドッキングしているのだ。

不思議なことは不思議なこととして、現実と区別ができていれば大きな問題にはならないのでパワーストンもそういう意味では楽しい遊びだ。あっひーは何が言いたいんですか?っていうと「神仏を尊び、神仏を頼まず。」と、いいたいんだ。by宮本武蔵

需要

仕事を始めた当初、「野口整体」を生業としていくことに戸惑うことが多かった。開業2ヶ月目でげしょげしょに泣きが入ったというのもほろ苦い思い出だが、なんだかんだと続けていくと案外こういうものが必要な方がいらっしゃるのだと体感した。というか需要と供給がじりじりと歩み寄って新しいマーケティングが生まれたという感覚だ。ナリユキというものには人知を越えた力がある。

治療術ではないということで宣伝も実技も制約が多いが、サッカーだってバレーボールだってルールであれやっちゃいかん!これやっちゃいかん!というからこそあれほど盛り上がるんだ。

無いところに需要を生み出すのが企業家の務めだと言ったのは本田宗一郎さんだが、「こんなものがあったら便利でハッピーだよね」という先見性から大きなヒットが生まれることは消費者にとっては喜ばしいことだ。

だが、その頃やってる当人たちは経済社会の崖っぷちにしがみついて大抵血ダルマになってたりするのが常なんだが。野口先生の頃は今よりさらに生活に余裕がない時代だから、なおのことリスキーだったと思う・・。「人生は気合だ」ということを生涯ぶれずに貫徹されたのだ。

見たことも聞いたこともない商品というものは生まれたばかりの赤ちゃんのように無力で可能性に満ちた存在だ。初めはやさしく根気よく育てていく必要がある。惚れ込んでいればそれが喜びだが、人の人生にかかわる以上二番煎じでぬくぬくやって行ける世界ではないと思い知らされている今日この頃。出合いのすべてが学びなんだ。

 

 

花粉‥

油断してると花粉にやられる・・。(*π*)だけど仕事をしている時は鼻水が出ないのだ。

いい意味で集中してるとぶしょぶしょしない。大脳皮質が休まると花粉のアレルギー症状はいっ時なりをひそめる。昔読んだ戸塚ヨットスクールの脳幹トレーニング理論だと脳幹や海馬といった脳の中の原始的な部分が覚醒すると花粉症が治まるといっていた。後頭部に氣を流すと涙と鼻水がぶしゅぶしゅ出た後で止まるから経験上この話の信ぴょう性は高い。

整体では下痢でも熱でも体の反応は歓迎してドンドン出す。出せば丈夫になるという話だが、花粉で鼻水を出ることの効用って何だろうか?上唇がカベカベになるだけな気がするんだが。涙と一緒に何か体内の不要なものを捨てているのかもしれない。

有用性はよくはわかってはないが自分では基本的に薬などで止めない。ひどい時は寝ようとするとうっ血して息ができないが、そういう時は味噌や玄米を中心にして、全体の食事の量を少量に減らすと2~3日で症状は軽減する。とにかく何かしらの方法で花粉症を軽減させることはできるが、今んとここれが何なんだという謎は深かまる。やっぱりナウシカを思い出すんだが。

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逆子

1か月ほど前に逆子のご相談を受けていたママさんが、自宅での自然分娩で無事ご出産されたそうな。もちろん頭位のまま、安産とのご報告。

もとより生命は人の意思で右へやったり左へやったりできるようなシロモノじゃない。判ってるつもりだったが生悟りだった。出産、誕生を通して「命(みこと)」とは神の領域であることを改めて諭された気がした。今回の一件に関しては最後まで、生まれるまでは記事を書かないと決めていたのだ。

そういえば同門の若先生に逆子の相談をしたところ、あちらでも逆子を何とかしてくださいという問い合わせが何件か続けてあったそうだ。思えば地震が起こる3週ほど前のことだった・・。

無論、因果関係を証明することはできない。俺はこの娑婆の人間が未来永劫、見てはいけないもの、知らなくていいものがあると思っているのだが、素直に「何だったんだろう」とは考えてしまう。神様の世界からお知らせがあったのかもしれないし、何かを伝えたかったのかもしれないし、たまたまかもしれないし、よくわっかんない。

ただ、仮にそうだとすれば小さな我欲でもって「直って欲しい・・。」なんてのが、荘厳な大宇宙の法則の中にあっていかに矮小な行為であったか・・とも思う。

昔の中国では黄河の氾濫を止められたら天下を手中にできるといわれたそうだが、あたりまだがバケツの水を撒いたくらいで引き潮が満ちたというような話はない。人間には人間の分があり、もとより人の生殺与奪の権が人の掌中にはあってはならないんだ。

人の手当て、愉気は人間の根源的な愛の姿であるし、原始から続いてきた無垢な祈りの形でもある。あっひーは人が幸せになる方法はそれしかないと思っているだよ。変な人だからね、わし。朝比奈洋介が野口整体をやるとこうなる、という話だ。

おめでとうございます。

和裁のススメ (横浜の教室)

仕事着にしている作務衣風の着衣について時々、「どこで買うのか」と聞かれる。あっひーがいつも着ているのは横浜にある「山本きもの工房」さんのお品です。

見る人が見ないとわからないかもしれませんが普通の作務衣とはちょっと作りが違うんですね。僕としてはお作りになった方の心意気に惚れ込んでいるのです。「洒落」というか「粋」というのは型に習熟した人があえてそれをわずかに「くずす」ことでうまれる。非常にデリケートな審美観に立脚したものだ。失敗するとエライことになるが「お洒落とはこれでいいのよっ!!」という強烈な氣迫でするものです、という美輪明宏氏の至言を味方につけてそのままセブンイレブンにいったりもする。

野口晴哉さんは整体の仕事を終生羽織・袴で通された話が有名だが、それは生命に対する礼として明治生まれの方が選んだ型だったという解釈が一般的らしい。かつて野口先生が「病気になっても、生きる人と、そうでない人はなにが違うのか?」という問いを受けて、一言、「それは、美の感性(を持ち続けているかどうか)だ・・。」とおっしゃったそうだが、その袴姿はなんとも流麗だったと語り草になっている。

話は戻るが山本きもの工房さんは横浜東急ハンズの裏手にあるのでアクセスしやすい。お邪魔するとお教室をやっていたり、お仕事の作業場が見れるようになっているのでプロの職人の波動を浴びて「俺も頑張んないとな!」という氣にさせていただく。いつもお茶を出していただいて長話をしてしまうのですが・・。いわゆる職人気質というと近寄りがたいイメージがあるのですが、どの世界でも一流というのは物腰柔らか、謙虚な人が多い。工房の山本先生もまた然りといった方なのです。

和裁、衣、を通じていろいろと社会に貢献されているのですが、お教室に通う女性が布とのコミュニケーションを通じて新しい世界が拓けたていったりと、この世界なりのドラマがあるのかもしれない。

あまり宣伝はされないそうですが、知名度のある文化人の方も利用されているそうです。あっひーのぶろぐ程度ならさほど影響はないと思うので書いてみた。そしてちょっとは影響があってほしいとも思う。心ある方には日本の上質な伝統文化に触れてほしいんだ。

山本きもの工房→http://blog.yamamoto-kimono.jp/

その後の身体

震災直後は息を詰めている人が多かった。理由もなく動悸がしたり、やけに手足が冷えるというお話を来ている人からうかがったのが地震の一週間くらい後のことだった。

あれから一ヶ月が経とうとする現在、消化器の変動やらトラブルが多い。肩こりとして自覚されるが、端的に言うと肝臓が腫れている。不安は食欲をくるわせるのだ。

胸椎3・4に変動があるのは放射能の影響との見解は目黒のスピリッチュアル・ヒーラー氏のご意見。下痢をしているという方も多いがこれはどうだろうかな・・。食べすぎによる栄養過剰の調節かもしれない。氏より「水にお気をつけあれ」との忠告を賜ったが、あっひーは水道水をごっくんごっくん飲んで鉄分とトリハロメタンで鬼のような健康体だ。これこそが純然たるノグチイズムと信奉せん。

復興のメドが立てば体も変わってこようが、文字通り暗夜行路をひた走るフクシマの不安が都心の緊張を助長しているのは明白だ。だが夜明け前が一番暗いとも言うから今はただ辛抱の時かもわかんない。なにより身を削って現場で作業をしていただいている皆様には畏敬と感謝の念で言葉もない。一寸先は「光」であると信じたい。

そういえばこないだ山下公園に行ったら久しぶりの日常に浸ることができた。山下公園は関東大震災で倒壊した瓦礫を埋め立てて造られてということを僕は最近まで知らなかった。地震は1923年に起きた。そして戦争もあったのだ。

もうじき100年は経とうかという所だが、その公園で恋人やら家族が仲むつまじく歩く姿からは「あれから復興できてよかったね」という感傷は読み取れない。自由も安全もその渦中にあるうちは価値も有難味もわからないのが人間なのだ。時間とは光陰矢のごとしだが一日千秋にもなる。復興を待っているうちは遅々としているが、目の前の仕事、ルーティンワークを取り戻せば案外落ち着くのではないか。

汚染の問題というと思い浮かぶのだが、小学校の社会科で習った四大公害病という言葉も忘れられつつある。かつて工場排水の害で魚が住めなくなった海に、わずか数十年の歳月でまた生き物が戻ってきているというではないか。プランクトンや海藻が毒素を分解して水をきれいにしてくれたのだという話をきいたが、いつもながら他の生き物さんには申し訳ない。

まさに風の谷のあの人の世界が目の前で展開されているわけだが、人間の魂も進歩をしているのだ。野口先生は「日本は確かに資源がない。が、なれば私たち人間が資源になればいい。」と言われたそうだが、僕の場合はご縁のあった方のお身体をみていくことでめぐりめぐって復興支援の助力となればうれしい。微力には違いないが「くに」の将来を思えば堅実な道とも思う。

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バセドウ

先日バセドウ病の問い合わせがあったのだけども、同時期にプライベートでも友達がバセドウ病と診断をされたけどどうしたらいいの?と連絡があった。地震の後は身体の緊張に伴った変動として下痢や発熱をよくみたので、もしかするとこれらの一連の動きと関係があるのかもしれない。

過去の症例としてバセドウの方は2人ほどいらっしゃったが、通っているうちにそれぞれの事情で生活環境が変わったら症状は薄らいでいった記憶がある。

原因と治療法が確立していないために現代医学ではいわゆる難病とされているが、経験から言うと肩甲骨と骨盤の可動性というのが共通して狭く固かった。

バセドウは甲状腺のホルモンの増減と関係が深いので予備知識から首を最初に観たがなんともない。臨床から言うと背中の中央に力が入ったまま抜けないのだ。精神的な緊張が招いてるようで、背骨の真ん中(下着の紐あたり)をこつこつして揺さ振る「叩打法」という技術をつかった気がする。

あとは淡々と背骨に気を通すことをやっていったが、そうこうするうちに腰に弾力が出てくると取り合えず呼吸は楽になるし、気分も落ち着く。一応の、治っていくプロセスはみることができた。

いろいろな異常や病症に共通することとして、治るときにはまずは目が落ち着いてくる。逆に不安に駆られると目が泳いで身体は迷い、さらにふらふらと深く病み込んでいく。心身の安定へと誘うことが自然治癒力を発揮させる必要条件だが、野口整体の愉気法はそういう意味で有効だ。

ばななの涙

午前中ツイッターを観てたらよしもとばななさんのツィートに目が止まった。

無自覚にむさぼり、使い、壊れたら憎まれ、廃棄される巨大な力。人間は勝手だ。今日は個人的に祈りの日。たくさんの人たちのために、死んでゆく原発のために、現場で亡くなった人たちのために、踊ろうと思う。ば

小説をまず読まない(読めない)あっひーだが『キッチン』は何度も読んだ。しばらく読んでないが、なんだか愛情の塊みたいな言葉の連なりに読むたびにあぁこんなこと書いてあるんだ・・、と切ない発見に心揺れるんだ。数日前に読み始めた司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』はまだ2ページ目の途中だが・・このまましばらく凍結しそうだ。(良い本だとは思うんだが・・)

一生懸命働いて感謝の意も薄く、皆に恐がられながらかたずけられていくなんて、原発という存在がなんだかひどく可哀そうだ・・。あっひーの場合は風の谷のナウシカの巨神兵に対する憐憫の情がオーバーラップした。

大和民族は自然と手を結んで供に謡って踊って生きてきた和合の民だ。近代文明が直面している問題の焦点はマクロ的には自然と人間がどう付き合うかということだが、個においては近代科学や医療にみる疾病や健康観でもって、身体のうちなる自然との間に生まれたヒズミとどう付き合うかという話だ。

基本的に治すではなく治る、身体の自然経過の時間を安心して待てる姿勢をつくるのが野口整体なわけだが、それはあたかも歪曲したヒズミにピタリとおさまる、失われたパズルのピースのようだ。

あっひーは野口整体を学んで人間の内なる環境破壊を整えているようなもんだ。それは、この世にあって人間は希望の光であり続けてほしいからだ。人間賛歌を謡い、祈り、踊ろうと思うんだ。その祈りの形が愉気であり、無始無終の活元の舞だったりする。

活元運動がでないという方へ

さて、そろそろ月末なので、来月の愉氣と活元運動の教室の予定をお伝えしないと・・・なんですが、
今月ぼんやり過ごしている間にいつものお茶室が4月はほとんど借りられなくなってしまいました。。きゃ!(><)
昨日地区センターに行って確認したらまだわずかに空きがあったので近日中に日程を決めて、ブログ(とメール)でお伝えしますね。
もうしばらくお待ちくださいませ(^^*)ニン!
さ、今日は活元運動がでないという方へ、という記事です。
今まで何回かいろいろな活元会に参加したけど、運動がでませんでした。
こんな方って結構いらっしゃいますね。^^
そして少し期待して、せい氣院の活元会にお越しになると、
・・・やっぱりでない(泣)
野口整体の本には活元運動がでるには頭がポカンとすること
そういう風に書いてありますけど、

そのポカンという感覚がわからない。

ですね。

 

そういう方をみているとちょっとした共通点が。うん。

それは・・・
無意識の運動って聞いて、
活元運動というのは、どっからともなく降って湧いたみたいにばったばった運動がでると思いこんでいるみたい。
でも、個人的な感覚でいうとそういう「待ち」、あるいは「受け」の姿勢だとなかなか活元運動が出ない方って多いのです。
じゃあどうしたらいいのかな??って思うのですが・・

(これは本来の活元運動のあり方と違うかもしれませんが・・)

最初はちょっと意識的に「ゆれ」てみる。

まずは、こんな感じです
少し自分の身体に運動を誘いだすような、水を向けるような気持ちで、ゆらゆらゆれてみる。
少し身体を左右にゆすったり、仙骨に氣を集めて仙骨で上半身をゆすぶってみたり・・・
こんなことをやっていると(人によっては)末端から、手首や足首をプラプラプラ~っと振りたくなってみたり、正座をしたままピョコピョコ跳ねだしたりするんですね。
運動にはいろんな形があるんです。
そしてきっかけもいろいろ・・。
意識的にちょっと揺らしながら、そうしつつ一回、良い意味で身体を忘れて「まかせる」感覚になってみるのもいいですね。
活元運動は最初から出る人もいますが、なかなか出ない人も存外多いのです。ですが焦らないで続けていれば誰でも必要なときに必要な運動がでるようになっています。
長期にわたって活元運動がでないということも、その人にとってはプロセスとして必要なのかもしれません。
運動が出るようになるといろいろと便利なんですけどね。
ぜひぜひ、焦らないで、且つあんまり期待もしないで、愉氣法と活元運動を続けてみてくださいね^^
でわね