ハイヒール

女性のお客様にハイヒールの是非についてご相談を受けました。少し前に、外国のアイドルグループがハイヒールで激しくダンスをしたせいで腰痛になったのでは?というニュースを観たのですが、それから予後はどうなったのかそれとなく気にはなっています。

楽しくお洒落をしているわけですからある面ではいいのですが、私が女性だったらハイヒールは履かないかな・・という気がします。やっぱり膝や足首、骨盤にかかる負担を考えると・・・足首は女性にとっては急所なのです。

それは若いうちは身体のすみずみまで弾力もあって無理もききますし壊れにくいです。ですが今の身体はこれまでの積み重ねでできているので痛みや故障が出てきてから何とかしたいと思っても難しいこともあります。

矢田部英正さんの『たたずまいの美学』を読むとハイヒールが体幹に及ぼす影響は決して小さくないことがわかります。平底の靴と比べて骨盤の傾斜角が15度も変わるので当然五臓六腑のはたらきにも影響があるでしょう。ですから整体で一過性の刺激を与えてもその他の生活習慣によって一定のストレスがかかればなかなか身体も変わっていきにくいのではないかと思います。

ハイヒールに限ったことではなく昨今の着衣というものが全般に肉体の快感・不快感というのをあまり考えずに作られてきたように思います。衣食足りて礼節を知る、の言葉通り人間の文化の始まりは「衣」からです。着衣をしっかりさせるということは思いのほか生活に直結した問題だと考えます。

私は整体が本業ですが仕事の範疇をこえてやってみたいことはいろいろあります。

足裏から全身を整える靴のデザインをする。思春期から青年期にかけて腰骨を正しく形成するズボンを作る。駅の階段を安全に昇降できるベビーカーを作る。小学生用の1年制の寺子屋をやる。とか・・本当にいろいろと。

自分の身体を使いきって、出し切って「人」の社会、未来に少しでも貢献できたらうれしいですね。体に優しいハイヒールなんかができたら女性も喜んでくれるでしょうか。足の関節構造から全身への影響を逆算して、歩いているだけでどんどん腰痛や肩こりが和らぐ靴、とか出来ないことではないと思うのです。すでにどこかで研究はされているとは思いますが・・。チャンスがあれば自分でデザインしてみたい、とつねづね思っています。

今日もお読みいただき ありがとうございます。

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体幹トレーニング

近頃、「コアトレ」とか「体幹トレーニング」という言葉をちらほら聞きます。30~40年前は骨盤や頭蓋骨が「動く」ということが理解されなかったそうですが現在はかなり肉体の捉え方が有機的になった。これは体の運動をとても丁寧に観るようになったからではないかと思います。スポーツ選手の基礎トレーニングから姿勢や腰痛のケアまでその用途は広い。

昔は農作業を長年やったお年寄りが腰痛になったそうですが、今腰痛であっひーのところにお越しいただくのはデスクワーク中心の若い女性ばかりです。腰の一番目の骨は目と頭の過労で固くなる。そうするとそのことで腰が痛くなったりしている。

使い過ぎて痛いのではなくて、鈍って動かないから痛い。背骨は意志では動かないから、体幹トレーニングで背骨に近いインナーマッスルを刺激する方法で腰痛にもアプローチできるのだと思う。

こうやって観るとあっひーがちっさい頃、10年、20年前から比べても運動力学やトレーニング法も相当に進歩したと思う。よくよく考えれば野口晴哉さんの時代はストレッチもウェイトトレーニングもなかったのだ。活元運動は今と変わらず、センセーショナルだったろうし和製の体幹トレーニングとしても強力に作用しただろう。

整体で筋肉自体が鍛えられうというよりは使ってない部分を使えるようにする、身体の協調性を増す、という意味では活元運動も有効だと思うのです。

身体の見かたは進歩しているが、日本は依然として病気大国、薬大国だ。製薬会社は新しい検査方法によってできた基準値・正常値にのっとって、ぽんぽこぽんぽこ「病気」を製造する。それによって異常値となった人は「念のため」といって必要以上に病院に行ってとっとことっとこ薬を飲む。現代は「医」も産業の中の一つですから仕方のないことかもしれません。

病気は治すもの、病は闘うものという観点は明治時代に近代国家が建設されて以来変わらない。だからこそ野口整体の「仕事場」があるのです。この世の対立構造から言えば西洋医学あっての野口整体なのか、とも思うのですが。って体幹の話がまるでとんでしまった。また今度だな。(^▽^;)

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盲腸

私の整体は「傾向と対策」というパターン化はさほど気にしないのですが、震災後は共通の疲れ方や偏り疲労があるような気がします。

昔トルコで地震があったら日本に来ているトルコの人にみんな同じような変動があった、(肝臓がはれた)という話を聞いたことがあるのですが、最近は世界は繋がっているのだと思うことが多い。

この1ヶ月くらい整体の反応で下痢をされたという方が何件かあった。観ていた方はわりと右足の付け根、盲腸付近に変動があるので手を当てると活元運動を誘導しやすい。

整体操法で放射能と盲腸の関係をインターネットでちらほら見かけたのですが、それと関係があるのか・・。あんまり興味がなかったのですがやっぱりそこに氣が行く。

同時に二の腕の外側、化膿活点という処(ところ)も押さえる。これは知識的に習ったので「やっておいた方がいいか」という感じですね。

そういえば自分でも4月の上旬に強めの下痢をした。身体の中の不純物が排泄されたのかもしれないのですが、真相はよくわからない。感情的なショックを捨てるためだったのかもしれないし、理由はいくらでもつきますから…。

昔は開腹手術で盲腸を切ってしまうことが多かったそうですが、身体にはいらないものはないのだなぁ、ということを改めて感じます。もうひとつ、内部被ばくとか、ずいぶん怖い報道が目に飛び込んできますが人間には排毒する力や自浄作用があるということも知っておいていいと思います。

恐れるべきものは、恐れるべきなのですが、整体をしてると人間は丈夫なようで脆い、弱いようで強い、というどちらの顔ものぞかせる。強い方に目を向ければ良いと思うのだ。

よくわかる甲状腺の病気

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せい氣院でも時折お受けする甲状腺の病気のご相談。

整体は治療法ではないので、あまり無責任なことは言えないんですが、整体的なアプローチの仕方をご説明するだけでもほっと安堵の気持ちを持っていただくことがあるので、整体の人間でも何かの形で貢献できる部分はあるのだと思うのです。

甲状腺に関係の深い疾患としてはバセドー病というのが一番多いそうです。本でもインターネットでも症状のメカニズムに関しては詳しく書かれているのですが、発症する原因についてはすべて「何らかの理由で・・・」となっています。その「何らかの理由」を調べるのが私の仕事ですね。

整体でもっとも強力な技術は観察だともいわれますが、問診をしながら背中を触れていくと、どうにも「気になるところ」があるわけです。硬くなっていたり、シコリのようなものをみつけてそこに手当てしていくと身体が回復に向かって動き始めることがある。

『風邪の効用』的に考えていけば基本的には身体は間違えたりしない、当人が困るようなことはしない、とみるのでシコリがあろうと曲がっていようと、「そのような形で身体を護っている」とみるわけです。

ですから余分な抵抗をしなくてもいいように、心身を楽な形にもっていってやればいい。バセドー病などは治るといわず、寛解と表現されますが、「病気してるのをやめる」というと僕としてはしっくりくるかな。

バセドー病はどうしたら治りますか?と聞かれると答えられませんが、私の身体は今、どうなっていますか?と言われれば一緒に良くしていけるかもしれない。という感じですね。

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無心

Mushin

震災後はいろんな意味で日本の地力が試されている。

直接的な影響があろうとなかろうと心理的なショックは体に残っているので、普段なら何でもない仕事でもえらく疲れたりする。お越しになった方に淡々と手を当てていると「ほ~・・・っ」と思い出したように深い息をされる方も少なくない。

中にはさして影響がないと思っている人でも存外堪えている場合がある。こういう時に如何に自分をニュートラルにもっていけるかが鍛錬のしどころだが、問題ごとが起こるということはその時点ですでに神に愛されている証拠だ。

人生は波乱万丈で結構、波乱万丈どんとこい!(斎藤一人) なのだ。

環境は千変万化するが、いかなるときも無心の人間が一番強い。そのためにも体を「無」にしておく必要がある。苦しい時の神頼みはちっとも悪くない。カミとは誰でもない己自身なのだから。自力なく他力なし。いつだって世界は想像以上だ。ココロとカラダ、にんげんのぜんぶオリンパス

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通える距離

通える距離の人しか

『せい氣院』という屋号で起業する時も師匠はなにも触れなかった。

じゃあ、あっひーは『せい氣院』で何がしたいんですか?っつったときに、あっひーは「整体でこの国を立て直したいんだ。」って思ってるんです。

正気っですかって、正気です。(^▽^=)

まずは笑顔の良い人を増やすってことだな。

一隅を照らすものこ国の宝なりっていうから、

精神論

腰が治ったら「何をしたいんですか?」、というところを丁寧にみていくことがあっひーの仕事だったりする。

対話も重要なツールだし、持てる技術も力もすべて使って、ただ一点その人が良くなることを願って取り組んでるんだ。

肉体と精神は、豆腐が水と大豆に分けられないように渾然一体になっているもんだ。禅宗の愒や公案のような精神修養法がもう少し具現化したのが整体操法のような気もする。

指導中に日常会話や身の上相談を受けていると、どうしても精神論的な話に偏るが、整体である以上基本的に肉体から離れることはないので、まあ良いかなと思うことにしている。

フィギュアスケート

整体師になるとスポーツ選手の成績を予測するのがクセになる。テレビを観ているとどうしても好調・不調を読み取ろうとしてしまうが、予測はいつも当たるも八卦だ。

フィギュアスケートはコスチュームによっては背中(背骨)がはっきり見えるので、こういう背中なら必ず勝負に出てくるだろうとか、今日は委縮しているな、とか身体と照らし合わせて判断したりできる。

背骨の中で「腰」に相当する部分は全部で5つあるが、その中のどれを軸にしているかで、ジャンプで魅せるタイプか、ステップワークでリズムを掴むタイプか、選曲した音楽が性格に合っているかどうか?とかいろいろな憶測は広がるが、心身の統一レベルが極限に達した選手が出てくると、くだらない憶測はぴたりとやんで、ぐぅっと魅入ってしまう。

数分の演技のために数カ月、数年単位の時間を注ぎ込むフィギュアはシビア世界だ。筋力やバネだけでなく「心・氣・体」の統一レベルが成績に直結するので、観るのもやるのも、職人気質の日本人には向むいているんじゃないかと思う。

共通して言えることは人は皆3年単位で低潮高潮の波が来るが、低潮期にしっかりこらえて根をはることができた選手は、復調した時に大きく綺麗な花を付ける。逆にそういう時に「らしさ」をわすれると闇は深くなり苦しくなる。

柳緑花紅 真面目(しんめんもく)「花は紅、柳は緑、それが本来の姿」という中国の禅語があるが、苦しい時でも、「自分らしさ」を掴んでいる人はその堪えている姿も美しい。

余談だが整体という仕事は自らは花を付けない土くれだ。土壌が枯れれば花は皆枯れるが、土さえ豊かなら、ありらにもこちらにも大輪の花が咲き豊かな世界になるだろう。

土は土の仕事をしっかりやる、花は花として誇りをもって咲いてほしい。どちらも大事な社会の構成要素である。

花は自分のために咲いているんだけど、

見事に咲くと、見ているまわりの人まで幸せになる。

人間も一緒だ。

たった一度の人生。

蕾のまま終わらせようったってそうはいかねんだよ。(笑)

自分の花を咲かせるんだよ、って言いたい。

みんなが見事に花を付けるまで、

俺は愉気することをやめないんだ。

寝違え

寝違えが癖になっている方から電話でご相談を頂いた。とりあえずお家でできる手当ての方法をお伝えしたのですが、そういえばあっひーが高校生の頃、首が動かなくなって難儀したことがあった。

寝起きで行った空手の道場で、到着するなりサンドバックをドン!と蹴ったら首にビシッと電気が走ったようになって頭を右に倒せなくなったのだ・・。痛みとしては寝違えによく似た症状だった。

次の日整形外科に行くと、やたら痛い触診をされてお医者さんに「あはは・・失敬。」と笑われて、首を固定されて終わった。湿布薬も買わされたが、まったく「相手」にしてもらえず、なんだかむなしかったのを覚えている。

なんでそうなったのか17年たった今なら1秒でわかるが、寝違えたといっても首だけを相手にしていたんでは永久に判らない。あっひーの場合は顎と腰(骨盤)をやるべきだったのだが、整体をやっている今はよほどのことでもない限り寝違えにはならないだろう。

ところで東洋医学には「落枕」(らくちん)という寝違えのツボがあるらしい。ツボは門外漢だが整体で押さえるところは東洋医学でツボとして名前が付いているところが多い。出どころがその辺なんだと思うが、落枕は手の甲、人差し指と中指の骨の間を手首側に辿って止まったところ。押すと背中に響くが肩から首にかけての緊張を弛めるんだと思う。

問題は寝違えではなく、寝違えになるような「身体」なんだっていいたいんだ。