フィギュアスケート

整体師になるとスポーツ選手の成績を予測するのがクセになる。テレビを観ているとどうしても好調・不調を読み取ろうとしてしまうが、予測はいつも当たるも八卦だ。

フィギュアスケートはコスチュームによっては背中(背骨)がはっきり見えるので、こういう背中なら必ず勝負に出てくるだろうとか、今日は委縮しているな、とか身体と照らし合わせて判断したりできる。

背骨の中で「腰」に相当する部分は全部で5つあるが、その中のどれを軸にしているかで、ジャンプで魅せるタイプか、ステップワークでリズムを掴むタイプか、選曲した音楽が性格に合っているかどうか?とかいろいろな憶測は広がるが、心身の統一レベルが極限に達した選手が出てくると、くだらない憶測はぴたりとやんで、ぐぅっと魅入ってしまう。

数分の演技のために数カ月、数年単位の時間を注ぎ込むフィギュアはシビア世界だ。筋力やバネだけでなく「心・氣・体」の統一レベルが成績に直結するので、観るのもやるのも、職人気質の日本人には向むいているんじゃないかと思う。

共通して言えることは人は皆3年単位で低潮高潮の波が来るが、低潮期にしっかりこらえて根をはることができた選手は、復調した時に大きく綺麗な花を付ける。逆にそういう時に「らしさ」をわすれると闇は深くなり苦しくなる。

柳緑花紅 真面目(しんめんもく)「花は紅、柳は緑、それが本来の姿」という中国の禅語があるが、苦しい時でも、「自分らしさ」を掴んでいる人はその堪えている姿も美しい。

余談だが整体という仕事は自らは花を付けない土くれだ。土壌が枯れれば花は皆枯れるが、土さえ豊かなら、ありらにもこちらにも大輪の花が咲き豊かな世界になるだろう。

土は土の仕事をしっかりやる、花は花として誇りをもって咲いてほしい。どちらも大事な社会の構成要素である。