禅・仏教

柔軟心

道元禅師が真の仏法を求めて宋に渡った後、日本へ何を持ち帰りましたか?と問われた時に一言、「柔軟心(にゅうなんしん)」と応えられたそうである。禅師の示された柔軟心が「何」を指すかは言明できないが、一応のそれらしいイメージは 柔軟心

整体は自分がやるもの

「(整体になるには)どうすればいいのか」と問われれば、 それは深い呼吸(深呼吸ではなく)、重心の沈下、全身のゆるみ、言葉にすればだいたいこういった類になる。ところがそのどれもが整うための条件ではなくて整った結果訪れる精神 整体は自分がやるもの

愉気について

この数日、愉気についてまた改めて考えていた。実際は「考えさせられた」という体なのだが。最終的に「ピタッとする」という、これに尽きる。これ以外の何ものでもない。それは「静止」ということでもあり、それと同時に「適合」というこ 愉気について

息をしていない身体

仕事として身体を見ていると、息が止まってしまっている人は大勢います。もちろん生理学的には息をしていますが、少し文学的に表現すると呼吸が停止している身体には毎日のように出会います。 一般には「息が詰まる」とか「息を飲む」と 息をしていない身体

やさしい気持ちで

今日は坐禅と活元運動の日でした。参加者がお一人だったので、マンツーマン指導です。 坐禅会は全国いたるところにありますが、せい氣院は整体院ですから坐相(坐る時の姿勢)をその方に合わせて無理なく作れるように心掛けています。坐 やさしい気持ちで

自己の現在地

一昨日の夜は禅会に行ってきた。整体指導を行う立場から言うと、禅という行法の特殊性から学んだことは多い。例えば一般的な習いごとやお稽古ごとなら1年も通えば自ずとやることも変わって来るし、それに付随して目に見えるいろいろな外 自己の現在地

坐禅と活元運動の会

今日は午前中は個人指導、午後は坐禅と活元運動の会をやりました。 坐禅が静止して行う「静」の禅なら、活元運動は動きながら行う「動」の禅です。両方が相乗的に身体をゆるませて身心の静寂を確立することを期待しています。 心を静め 坐禅と活元運動の会

体が整う意識

ゆる体操が発案・発表されてからどれくらい経つのだろうか。 身体運用法の極意としてリラックス(=ゆるむ)ということが着目されてから、スポーツの世界から日常の故障予防、治療にいたるまで身体論の世界は飛躍的に変容した。 そうい 体が整う意識