体が整う意識

ゆる体操が発案・発表されてからどれくらい経つのだろうか。

身体運用法の極意としてリラックス(=ゆるむ)ということが着目されてから、スポーツの世界から日常の故障予防、治療にいたるまで身体論の世界は飛躍的に変容した。

そういう観点から整体操法の要点をまとめるなら、「無意識的に入った力を如何にゆるめるか」ということに集約される。

極端な事を言えば、ゆるむのだったら方法はなんだっていい。

手技療法ならば、やさしく触れればそれだけでゆるんでくるし、対話で感情を吐露することも効果的だ。カラオケなどで発散することもできるし、泣くことや笑うことでも長びく緊張を緩和、解消してくれる。

そして、これらはどれもみんな普段から無意識的にやっている。

潜在意識には平衡要求というバランサーが備わっているので、何もしなくてもどんどん良くなろうという力が働いているのだ。

「じゃあなんで私は治らないの?」と思われる方もいるかもしれないが、よくよく観るとやはり一年前と同じということはない。

やはり何か変わっている。

悪くなっているように見えても、内実は良くなる方向へ変わっている。

いわゆる中庸という速度なのだが、人間が慌てるとこの中庸がおそく感じる。すると焦って何かしてしまい経過が乱れるのだ。

だから、「整体」というのは他動的な技術ではなく、自分自身が積極的に自然に任せる態度を意味している。

何もしないということに全力を懸ける。

実際は「何もしない」などということはありえないのだけど、人為の中の無為を生かすということだ。

科学的に言えば理性の働きを最小に抑えるということになる。

妄息(や)めば、寂生ず。

無心となって整う。

整体とは意識の形だ。