人間は治る時に治る。「その時」までは何をしても治らない。
すり傷ひとつ取っても、生命速度というのに準じて治っていく。風邪でもやはりそうだ。
生きているものはみんな治っていく。
治っているそばから、また毀れていく。
何か、中心に向かって必要なモノを集めていく働きがある状態を、「生きている」という。
生命発生の起源からしてそうだ。
まず最初にギュッと凝縮した力で「種」ができる。
その種がまた種を残すべく活動していく。
必要があれば熱も出るし、下痢もする。何か皮膚から捨てるようなものがあれば発疹も出る。
生きている限り、生命の平衡要求は失われない。
これから訓練をしてそうなるのではない。
それでは間に合わない。
最初からそうなっている。
等しく与えられている「ある働き」。
これを「健康」と説く。
病気を治そうとして、また健康になろうとして行なうものは、やればやるほど健康から遠ざかる。
向かえば背く。
自分の呼吸、脈、体温、これらを一体誰が保っているのか。
知らずに生きてきたなら、いまここで見極める必要はあるのではないか。
考え方ではなく、事実に学んでみよう。
自分という活動体が一体どうなっているのか。
その見極めがつけば、痛いことは痛いでおわり、苦しいことは苦しいでみなおわっている。
そうして健やかに動いている。
これも「その時」が来ないとわからないらしい。
やはりその人が、治る時に治る。
そういう風にできている。