体が風邪を引くように、心も風邪を引く。うつは「こころの風邪」みたいなもの。そういうフレーズをときどき目にする。 だいたいが「風邪」も「うつ」も定義があいまいなのだ。だからそうだといえばそうかもしれない。 おそらく「うつ」という病気が重篤なものになると相当に苦しいから、「今は苦しいけど、ちゃんと養生すれば必ず治りますから」という、心ある人からの励ましではないかと思っている。 野口整体の『風邪の効用』 …
糖質コントロール不要論
最近「白米を食べすぎると頭がぼやけるんだ」と先生が言っていたことを思い出す。科学的に原因を説明すれば血糖値の急上昇が原因である。 整体を長年やっていくと身体はどんどん敏感になる。それだけ食事の味と分量にもシビアになるのだ、と思っていた。しかし実際は、何のことはない自分も年を取ったら糖質類はあんまり食べられなくなった。 いや初老期を過ぎても毎日毎日もりもり食べて、せっせと身体をこわしてる人もいるのだ …
失感情の治療を考える
最近になってようやく自分の失感情傾向がわかるようになった。 思春期前後に深いストレスにさらされた体験が大きいと思うが、20~30代はほぼまるまる「失われた感情」と「身体感覚」を取り戻す作業に明け暮れた。 学生時代に競技カラテの道場で来る日も来る日もぼこぼこ!になっていたのも、あれは今にして思うえば緩慢な自傷行為であった。大けがをして辞めるに至ったが、まああれぐらいで済んでよかったと思うべきか。 空 …
治癒の苦しみ
身体上の症状でも精神面の病においても、共通するのは「治る」という現象には「苦しみ」を伴う、ということだ。 病気の苦しさはわざわざ語るべくもないが、治療者が真に患者の治癒を手伝うときには、まずその現れている症状を100%肯定し、病みながらもつき進んでいく生命時間の「流れ」を妨げるものを取り除き、徹底してその経過を保護する必要がある。 本来はこのような行為を称して「治療」と呼ぶべきなのだが、一般的には …
再びユング自伝
ユングの自伝をまた読みはじめた。 個人的には子どもの頃のエピソードはなかなか読むのに苦労する。というか、まあ訳本なのでどうしても読みがぎこちなくなる。 それはそれとして、やっぱり青年期以降、それから独自の精神分析態度による治療理論を構築していくプロセスは圧巻である(自伝1のⅣ精神医学的活動のあたり)。 その当時、いわゆる「精神の病」というのは医師でも手が付けられないものだったらしい。昔の早発性痴呆 …
6月 坐禅・活元運動の会
6月の坐禅・活元運動の会を下記の日程で行います。 ■日程 ○6/14(木)10:00-12:45 ○6/23(土)10:00-12:45 ※13:00頃まで茶話会(自由参加) ■内容 背骨の呼吸(10分)坐禅(40分×2)活元運動(45分) 坐禅の時間はやや長めにとってあります。坐りたい方は時間いっぱいしっかり坐って、初心の方や不馴れな方は随時休憩をしながら行います。 深いリラックス …
整体指導は「整体」とは違う
先日「整体師」の方たちとお話する機会があったのだが、改めて自分の学んできた世界とは違うのだなあと、しみじみ思った。 ご承知の方も多いと思うけれど、野口整体が「整体を行なう」というときは整体指導のことを指している。よってカテゴリーとしては「医療」ではなく「教育」になる。 これはルドルフ・シュタイナーという哲学者が明らかにした見解とまったく同じであり、治療技術の究極は健康に生きるための教育となる、とい …
聖にあらず、俗にもあらず
野口整体というのは奇想の健康哲学だと思われるフシがある。 しかし、少し落ち着いた心でその本質を見つめてみれば、きわめて順当な生命観であることがわかるはずだ。 釈迦の悟りも達磨の廓然無聖も、俗を離れて聖を説くようなものではない。 俗世の真っただ中に聖を見出し、その瞬間にいずれも忘じて無を徹見した境をあらわしている。 病気が治ったから健康なのではない。病気の中にすでに健康の動きがある。 古人は既にこれ …
サンダーロード
整体は「たましい」に取り組む道だ。身体が整うことで生活の中にいのちの要求が現れる。 結局のところ病症が平癒するのも、たましいへと通じる無意識の扉を開くからである。 裡の要求に従がい、心に滞ることなく行動し、生命を全うする。 「言うは易く、行うは難し」なのだが。 分析心理学のユングが自身の中に生きるもう一人の人格に「No.2」と名付けたものは、たましいの具現者としての第二の「わたし」のことではないか …
生類憐みの令
若者からはオジサンと呼ばれ、年長者からは若輩としてご叱正をいただく、私も不惑である。 そんなどっちつかずの微妙な齢を迎えたせいか、生来薄情だったワタクシでも近頃は少しばかり人情を感じるようになった、と思う。 具体的にはお会いする方々の日々頑張る姿に、敬意と慈しみの念を自然と抱くようになった。 たしか数学の岡潔先生の『春宵十話』に書いてあったと思うが、フランスの言い回しで「彼(彼女)はまだ、ものの憐 …