途中にあって家舎を離れず

野口整体を志して11年ほど経った。 今の立ち位置から鑑みると意外と短いなと思う。 言い換えると11年でここまで来たのか(意外に早いな)、という感覚なのだがその間に整体法の理解度や捉え方、価値観などは変わりに変わった。 ずーっと長く整体指導を受けに来られている方もいるけれども、自分の変節に伴って疎遠になる方も一定数おられる。 何となく申し訳ないような気持ちもある一方で、お互いのとっての役割が一時的に …

客観性と論理性

野口整体の最大の強みは創始者野口晴哉の「主観」だと思う。 整体法は気の遠くなるほど膨大な臨床体験によって帰納的に編み出された「人間学」である。そのため現実から遊離した「学説」とか「観念論」が入りこむ余地はない。 つまり「私が見てきた人間はみなこうなっていた」という純粋な体験記であるために他人は反論のしようがないのだ。水をかけたら火は消えました、といっているようなものである。 それ故、「なぜそのよう …

虚を活かす

最近になっていよいよ「何もしない」ことが増えてきた。 臨床の話である。 以前はどうしても「治るように、治るように」という気持ちが先だって、クライエントさんと一緒になってくたくたになっていた。 近頃はただひたすら「どうなっているのか?」という探求の心だけをふところに忍ばせて、ひたすら時間を供にするようになっている。 いや、こういう紋切り型の態度でやれるほど生きた人間の臨床は甘くはないのだが、全般に「 …

夢分析ー表出化する無意識の動き

妻が面白い夢を見た。 自宅の前の住宅がなくなってサラ地になっている。そこへ私と妻が見に行くと黒い岩のような塊が二つ、地面から顔を出していた。邪魔なので掘り返そうかと思ったが、想定したよりも土中の体積が大きいようである。私がその場ですぐに掘り返すのはあきらめ「これはほうっておいて、またいずれやろう」といって引き返し、妻もそれに従がう。 内容は以上である。妻の夢はいつも抽象性と複雑性に富んでいるのだが …

メンタルは弱めでいい

何ごともメンタルは強いに越したことはない。 こういう考え方が一般的だが、いろいろな人にお会いしてみるとメンタルが弱い(と思っている)人の方が身体は健全だ。 健全だ、というのは病気をしないという意味ではなくて、身体感覚が正常にはたいている、ということである。 逆にいうとメンタルが強い、とか精神が不安定になりにくいタイプの人というのは大きく二通りに分かれる。 自分の心の全体性をしっかり把握したうえで安 …

坐禅・活元運動の会 2018.6.14

今日は坐禅・活元運動の会でした。 坐禅は前回と同じく30分を2回です。 慣れない方からすればちょっと長く感じるかもしれませんが、日常の意識から「瞑想モード」に切り替わるにはこれくらいが調度いいかなと思っています。 特にうちの場合は途中で休んでも、寝っころがっても可ですから、どなたでも「修行」しやすいです(笑)。 活元運動も今日はみなさんよく出ていらっしゃいました。ちらほらベテランという感じになって …

自己実現までの距離

「自己実現」は心理治療を行なう上で最も重要なタームである。 自己実現(self realization)の原型は個性化(individuation)という、クライエント自身が本来の自分らしさを求めて変容成長していく動きのことだ。 言いかえるならその人に内在する、生命が要求実現に向かう心のダイナミズムのこといっている。 〈私〉が〈わたし自身〉になる、ということから目を背けたままで「治療」を完成させる …

コンステレーションのこと

「コンステレーション」はユング心理学の臨床、精神療法における重要なキーワードの一つである。 臨床心理の分野では「布置(ふち)」と訳されるけれども、他には「星座」という意味もあるらしい。 だから感覚としては「それが、そこに、そのように在る」というニュアンスなのかもしれない。 臨床心理においては、心の病に苦しむひとりの人が治っていくときに見られる、治癒のプロセスとメカニズムを表現した言葉だ。 この場合 …

いのちの本質

「何ごとも〈物事の本質を捉える〉ことが大切」 たしか‥、河合隼雄、鷲田清一両氏の共著『臨床とことば』の中で河合先生がそういうことを述べておられた。 つまり有象無象、あくたもくたには目もくれず、「要するにコレってこういうことでしょ?」ということがズバッとわかる。そういう力が人生の、特に大事な局面においては非常に重要なのである。 物事はなんでもそうで、一流人とか、その道の極みに近づく人ほど、その「核心 …

子どもの宇宙

息子(3歳)の保育園放浪記が3園目でようやく落ち着いた。 「子どもが保育園(幼稚園)に行きたがらない」 「行こう、というと泣きだす」 こういうことは世の中にいくらである話だけれども、河合隼雄先生によれば子ども一人一人の中に別々の宇宙があるのだ。周囲の大人にはその一人一人の世界を大切に守る責務がある、という。 これに因んて思い出すのが、サン=テグジュペリの『星の王子様』の冒頭、みんな最初は子どもだっ …