生誕百年

今年は岡本太郎氏が生まれてちょうど百年だそうです。太郎さんの本には青春時代にずいぶんと勇気づけられた。『自分の中に毒を持て』『美の呪力』『今日の芸術』なんかが思い出されますが、どのページを開いてもそこは「岡本太郎一色」で塗りつぶされていた。

人間存在の矛盾に一切のゴマカシ抜きでカラダでぶつかっていった生き方に捻じれ型8種のある僕はえらく共鳴したのだと思う。太郎さんは一見してアウトロー的でもあるけれど、太陽の塔に象徴されるように基本は白日のもとに輝くオモテ社会の人だったとも思う。

実は生誕百年というと今年は野口先生もその一人です。整体というのはずっと社会のウラ側を粛々と正してきた。自らが日の目を浴びればたちまち消えてしまう「根っこ」のような職業ではないかとすら僕は思っている。そんな野口整体も最近はオモテの世界にじわーっと受け入れられ始めた。

野口先生は亡くなる前に「僕のやっていること(整体)は50年~100年は早いかな・・」と言われたそうですが、今のような時代にこそ身体に軸を養って、己を修め、生涯を通じて豊かに生きる道を照らす光となってほしいと願ってます。

実際は整体が真の輝きを持って世に出るのはもう少し後かもしれない。それまではとにかくこの命の灯を消したくない。キャンドルサービスのように次、また、次、とつないで人の身体を通してこの社会が少しでも明るくなってくれればいいんだ。

母子会

1週間ほど「お母さんとお子さん」の組合せのお客さまが多かった。(妊婦さんもいらっしゃいました・・)

いつの世も母は強くて美しいのだ。温かい愉気ができる女の人が増えれば僕はうれしい。こういう氣の荒い時代にも「うるおい」が感じられる。ひとつの希望だったりもする。いやさ、マザコンなだけだろうか・・?

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そして今日の一枚、ラファエロ・サンツィオ作『小椅子の聖母』この絵には「愉気」があるから好きなんだ。

ぼいとれ

「整体を受けた後にカラオケに行ったらすんごい声が出た」とのご意見。身体のリミッターが外れた体だったと言われ、そういうこともあるのか、とあっひーも参考になった。

何をしたかあまりよくは覚えてませんが「趾骨間操法」(通称:みぞそうじ)というのをその時は丁寧にやった気がする。足の甲の骨、趾(ゆび)の一本一本を剥がすように愉気をします。腰の硬直を和らげるために使いましたが、腰が弛むことと声にバリキと艶が出るのはイッツオートマーティックだ。

元ちとせさんや一青窈さんや渡辺直美ちゃんが裸足で歌うのには「ワケ」がある。と前から勝手に思っていますが実際のところはよくわっかんない。

ただハイヒールで一生懸命歌っている女の子を見ていると何だか大変そうだなとは思う。(嫌いじゃないが・・)二葉百合子さんが古希を迎えても現役で歌い続けられるのは和服の帯で肋骨を抑えているのと、雪駄で足裏全体に体重がかかっていることが思い浮かぶ。なにより子供のころから浪曲で鍛えた「型」がしっかり身体を守っているからでしょうが・・。

声量のある人がボリュームを抑えているのと、単にちゃんとした声が出せていないのでは同じ音量でも「奥行き」が違う。全ての芸道において人を酔わせるには「あそび」や「余裕」が求められる。整体だって当然指導する側に「身体」と言う「基礎」がないと必死になってしまって愉気が暑苦しくなってしまう。

せい氣院の整体は一にも二にも「体育」なのだ。何事も地道に鍛えるということが、時間はかかっても確実な結果に繋がる。王道とはそういうものだと思う。

ごろごろ

お身体を拝見していて意外と多いのは「休むのが苦手」という身体です。

背骨に愉気(整体の手当て)をしている時に、「くたーっ」となれる方は次第に目がはっきりしてきますが、忙しくて考えることがたくさんある方はあまり氣が通らず身体が変化しません。人間は頭がいいのでそれだけ思考によっても疲れるのだと思います。

動物のようにあまりに本能に頼ると大変な世の中になってしまいますが、動物の世界には寝過ぎ(二度寝)と、食べ過ぎがないそうです。もしかしたら動物は「昨日」や「明日」のことに捉われていないのかもしれません。

野口整体の本には「ポカン」とするという表現がよく出てきますが、頭がずーっとぐるぐる動いているというのはパソコンがフリーズしているような状態です。頭をソフトに例えると、ハードは身体です。頭(ソフト)がよく働く環境を整えるのは身体(ハード)、特に足と腰です。

そのためには身体を動かすことと同時に質の良い睡眠が求められます。最近は「寝る子は育つ」と言わなくなりましたが、「整体」の条件の一つは先ず「ぐっすり眠れる」こと。そのために身体を育てている気がします。

おとといあたりからあまり身体の乾いた方を見なくなりました。

昨夜は横浜でもばさばさと雪が積もりましたので、それで空気と身体が湿っているのだと思ったのですが、一人の方にお話を伺うと「あっひーの・・」ブログを読んで水を飲むというのを思い出して飲んでいます、といわれました。

少ないながらもここでの書き込みに影響力があるのだと思うと身が締まります・・。キュッ!

よく「立場が人を作る」といいますが、和装にそでを通してみなさまのお身体の相談をうかがっていますと、言葉遣いや所作にもある種の「品格」が問われているのだということを近頃痛感します。

仕事中にくだらないダジャレを言うのもさし控えるべきか、とも思うのですが会話をしててシャレを思いつくとウケるかウケないかという判断基準がポコッ!と壊れて口からツルッ!と出てしまう。

その昔、友人関係にあったエジソンとフォードが久しぶりに会う時にはお互いに書きためた「ネタ帳」をめくりながら「これでもか!?」とダジャレの応酬をしたそうなのです。そんなわけでダジャレは頭の体操になるのかもしれない、と自己擁護しています。面白ければの話しでしょうけど。

そんなこともありますが、「品」という点だけはギリギリのところを保とうと日夜がんばっております。

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欲求2

僕はたばこを吸ったことがないです。でも正確に言うと5、6歳のころに吸ったことがあります。

おばあちゃんが吸う人だったのである時に

幼き日のあっひー「ちょっと吸わせて」、

おばあちゃん「いいよ」

幼き日のあっひー「すぅーー・・(ふーん)」

(以後禁煙歴20余年)

となりました。

もしこの時「駄目だ駄目だ」と言われていたら、「たばことはさぞやスゴキモノ」と思いこんで思春期にこそこそと吸って今も吸っていたかもしれない。欲求は初めはみんな小さいのです。そこでぽっとかなえてあげれば何事も大したことないのかもしれません。火事を沈下するよりも大切なのは、最初の火の用心なのじゃ。これを潜在意識教育といふ。

気がつくと僕の整体院のお客さんにはたばこを吸う人があまりいない。来てもイチゲンさんになってしまうか、頼んだわけでもないのにしばらくすると「やめました^▽^」という。背骨がそういう状態になるのかなとも思いますがよくわっかんない。僕がこの人の身体にはたばこ要らないなと思うと、何故かそうなってしまう。不思議です・・。

欲求

この数日、食べ過ぎがつづいたので胃袋と肝臓の真後ろが腫れて身体が横に倒しづらい。(アンド、ちょっと痛い・・)

20代ではさほど堪えないないことが、30代になるとなかなかコタエます。身体の許容範囲がそれだけ狭くなっているのを実感します。綾小路きみまろさんの「クヨクヨすることはありません!人間、50を過ぎたら内臓で勝負です。」は真理なのだ。

このまま身体の赤信号を無視して突っ走るとメタボや内臓、消化器系統の疾患に至るのだと思う。原因が分かっているので食事を止めればまたクリアになるでしょう。今の日本は食べ過ぎ大国です。1日くらい断食するだけで良くなる不調がかなりあるようにも思います。もとより身体の自浄作用というのは途方もないものです。

僕の整体は女性のお客様が多いので、食欲を抑えたいというご相談がわりにあります。ただ、止めよう止めようと思うと欲求は増大するようになってます。身体に起こった欲求を消すにはその欲求をかなえるのが一番自然で無理がない。(法律の範囲内で・・お願いします)つまりは食欲程度なら「食べちゃって下さい。」なのです。

ただし良いものをバランス良く、です。野菜、お肉、魚、自炊ならなおいいですね。良質の食事は欲求をを正常に保ってくれます。これがいわゆるプラスのスパイラル。健康を保つのは良き行動と考え方、正しい生活習慣の積み重ねです。整体はきっかけに過ぎない。

今体がだるかったり朝むくむというのは乾いている人に多いです。

野口整体では「水を飲む」ということをよく勧めます。水を飲むのが良いというのを最近はあちこちで見聞きしますが、心理的なストレスも水をいっぱい飲むことで一緒に身体から出て行くというのを本で読んだことがあります。

冬場は乾燥しますので(横浜はおとといの雨と雪で少し湿度が出て楽になりました)背中、肩甲骨の間のあたりからガビッ!と乾いて固くなります。いわゆる風邪の兆候です。そのまま風邪をひいてしまえば弾力とみずみずしさが戻ります。またそのあたりに愉気(手当て)をしてから水を飲むと吸収がとても良くなります。

水分をとるのでも冬ですから鍋ものやうどんのおつゆの味を少し薄めにしてつくるとたくさん飲めるので、食事と一緒に摂ることができます。真面目な方は「いっぱい飲まなければ・・」と朝晩がんばってしまうのですが、こういうことは愉しんでやられた方がいいように思います。なにかの遊びだと思ってやっていただきたいです。

少し調子をくずしていたら整体に行く前に水を飲むというのをちょっと試してみるのもいいかもしれません。

春だ、と、思います。

みなさまのお身体を拝見していて、つぶさに感じます。普段は理性的でオシトヤカな方まで「おらおら」に変身している様をみると「春の身体」ってこういうものかと思う次第であります。

野口先生はラジオで「台風が来ています・・」と言ってもアテにはしなかったという逸話があります。予報よりも人の背骨を観ると「これは東京には来ない」「これは来る」ということが分かったらしいのです。つまり肉体にはこれから自然界で起こることを予期して備える力がある「らしい」、ということですね。

さて、「おらおら」のもとを肉体的に見出すと右の骨盤(腸骨)が「ぐらぐら」動いています。また、仙骨(お尻の真ん中の骨)を中心に軒並み弾力がついているので、春先はついうっかりの「言い過ぎ」や「やり過ぎ」という問題がでてくるのではないでしょうか。(イギリスの方々はもしかしたらこういう状態をスプリングといったのかな・・?)

こうした余剰エネルギーの調整をするには、ひとつは音、声を出すということが有効です。お祭りでそいや!そいや!とやるあれですね。こないだ、いじいじしたら一人でカラオケにいって声をだす、と言われた方がいらっしゃいましたが、あれはあっひーも時々やります。ちなみに“スピッツ”は最初の方に歌わないと、後半くたびれてサビの高い声がでなくなります。

声と骨盤の開閉は実は関係が深いです。声帯を絞って高い声を出すと骨盤が開きます。ソプラノ歌手にふくよかな方が多いのもそういう関連とみなします。

オオカミがよく満月に向かって吠えている絵がありますがあれも腰椎4番(骨盤開閉)の調整をしているのではなかろうか?と思うのです。思春期の子供が海に向かって叫ぶのも余剰エネルギーの調整かもしれない。

まぁとにかく…、

春だと思います。

春一番よりも先に私たちの身体には春がきています。

受験や学歴崇拝の神話が疑問視され、最近ではその終焉の兆しが見えかくれしている気がします。

その一方でスポーツで鍛えぬかれた精悍な若者達の活躍が注目されています。若いながらも彼らのブレナイ生き方が簡潔でかっこいいのだと思う。

お身体を拝見していますと、過去にバレエなんかをやられた方というのは体の中心にピアノ線でも入っているかのようなしっかりとした「軸」を感じることができます。またそういう方は肉体や私生活をゴタゴタとややこしくしてることはあまりないのです。

体幹に形成された「軸」はそのまま「人生の軸」になります。

血圧や肝臓の数値をご相談いただいても僕にはよくわかりません。僕にとっての整体とは形而上的な「まっすぐ」をあらわす。煎じ詰めると健康の前にまず「体育」が必要なのだと思うのです。

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著者:回販売元:幻冬舎