大晦日

昨年の大晦日のことです。治療家のTさんから連絡があり「Dynamite!!のチケットがあるので見に行きませんか?」と言われたのですが、観戦は辞退してランチだけご一緒することに。

恵比寿で会食中に「ところでなんでDynamite!!なんですか?」と聞くと最近成り行きで格闘家のトレーナーをしているらしいのです。チケットはそこから流れてきたとのことでした。

トレーナーといってもはTさんそんなに筋肉を鍛えている人ではありません。ただ整体で鍛えた気の集中力というのが指導の基になっているんでしょう、きっと。生き物同士の戦いというのはまず相手の気を飲むか、気押される(けおされる)かで9割9分決まってしまう。

現役時代麻雀で負けたことがないという、有名な桜井章一さんも年配で細身の方ですが、若いプロ格闘家に教えを乞われることがあるそうです。体重50キロ台の桜井さんが抑え込むと100キロを超す選手でも動けなくなってしまうとのこと。人間の強さというのは目方や寸法の大小では測りきれない部分があるということがわかります。そういう観点で格闘技を観ると、10年前はわからなかったことが見えることがあります。

結局夜はNHK紅白歌合戦を観ていました。

花瓶に水を

実家に帰ったら花瓶の切り花が「くたっ」となっていた。母親に言われるとおり水切りをして遠当ての愉気をすると翌日には花が上向いた。

愉気が効いたかどうかは定かではないですが、水分の欠乏を見抜けないで茎だけ引っ張ったり、せっせと愉気したところで「しゃきっ」としないことは明白です。

整体には「観察が9割」という言葉があります。原因がわからなければ技術があっても使いようがないという意味です。

せい氣院にお越しになる方には「私の背骨(骨盤)曲がっていますか?」とよく聞かれますが、大抵は曲がっています。まっすぐの方がよほどめずらしいのです・・。

ところがその対処の仕方というのが問題で、曲がったところだけに焦点を当ててぐいぐいやっても身体はさらに毀れるばかりです。そういう意味では全体を見ないでいじくりまわされた腰というのは1回や2回の操法では元に戻らないことが多い。8回くらいは観る必要があるかもしれません。なぜなら腕力だけでボキボキされてしまった腰というのはそれだけヤッカイだからです。

その人の生活すべてを観なければ問題はいつまでたっても解決しないといえます。食事はどうか?家庭環境はどうか?お仕事は何をされているのか?というトータルサムでお身体を観ていきます。

観察が9割です。見抜く力が成否を分けます。

感謝してます

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あけましておめでとうございます。

昨年は多くの「縁」に恵まれた年でした。良き人と出会い、良書と出会い、出会いを通じて、自分自身がほんの少しですが成長できたありがたい年と思っています。

家族をはじめ、整体の先生や同門の兄弟弟子の皆様、何より指導室にお越しいただいたすべての方が自分にとって最良の導きの師となっていただきました。

今年も一日一日、丁寧に生きて、素晴らしい年にしていきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

愉気法講習+活元指導の会

先日指導室に通われている方にお越しいただいて愉気と活元運動を行いました。

以前公民館をお借りして不特定多数の方を対象にやっていた時はなんだかしっくりいかなかったのですが、僕の整体に理解のある方同士だと段取りもスムーズに進むし愉気の効果もてき面にあがった。

最初に氣の感応があってその後に技術という整体の技術論が体験的によくわかって、僕にとっても良い経験ができました。しばらくはこんな感じでひそやかに続けていこうかと思っています。

幽体離脱

旧知の女性がご来院されたのですが、帰り際に最近知ったという幽体離脱のやり方というのを教えてくれました。今日聞いたそのやり方は↓

仰臥して手と足をある形にして、ある言葉(「○ァ○オ」)とえんえん唱えつづけるという、あまりにあっさりした方法なのですが、案外的を射ているなぁとも思いました。

神秘体験には必ず肉体的な原因があるのですが、個人的に観て感ずるポイントはその仰臥の姿勢というのが腰椎一番に力が集まる姿勢なのです。それと同時に仙骨の全体が床に密着する形をとります。端的に言うと頭に氣が集まって心理的に「キューッ」としやすい姿勢です。

多分なのですが、この姿勢で例の文言、「○ァ○オ・・」とえんえん言い続けて、「飽きたな、そろそろ諦めてやめようか・・」と思った時にふっと頭が弛んで幽体離脱(というか体外離脱?)というようなことが起こるのではないか、と思います。僕はやってませんがなんとなくそんな気がするのです。

友人が帰った後、数回「○ァ○オ・・」と口ずさんだ時に日本って平和だなと思いました。

血圧

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今日お越しになった方と血圧のお話になったのですが血圧が低かったり高かったりするとその実何が問題になるのかという話でした。僕が勉強した整体には血圧が高いとか低いとかっていう基準値がない訳です。どっからが異常かっていう境目もないのでそういうお話になるとさっぱりよくわっかんないです。

『高血圧は薬で下げるな!』に記述されている統計データでは、血圧が高い方に降圧剤を投与しすぎると癌になりやすいとか、高齢者の場合には自立率(自分で身の回りのことができる)が低下するとかなっています。

血圧で思い出すのは僕は24、5歳の時にひざ靱帯再建の手術を受けたのですがその時となりのベッドに入院していた高齢の大工の棟梁が血圧を測る度に看護婦さんに「高いですね~・・」と言われていて、しまいには医師から減塩メニューを出されていました。でもこっそり自分で醤油をかけて食べていたので、(それが理由かどうかわかりませんが)血圧は一向に下がらなかったようです。

整体も野口整体までさかのぼって極論に達するとこの世に健康なんてものはありはしないし、長い目で、且つ広く世の中を見みわたすと何が身体に良くて何が悪いのかということも畢竟僕には「よくわっかんない」のです。

ただ、よくいう「健康になりたい」っていう言葉の裏には快の感覚やある種の幸福感というのを期待しているのではないかと思うのです。もしそうだとすると眉間にしわよせて血圧の心配しているよりも、「幸せだな~」とか「日本に生れてついてるよ」なんていう風に口で言って心で思っていたほうが簡単で効果的かもしれない。

人が一定不変に幸せに生きる方法ってつまるところ「今日の命に感謝して生きるしかない」らしいのです。そうしたら血圧が基準値になりますかっていうと、なるかもしれないしならないかもしれない。でも幸せを感じる力があれば身体はいつでも元気なわけです。そういう人が、ひとり、またひとり、と増えたら僕はうれしい。

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著者:小林 正観販売元:致知出版社Amazon.co.jpで詳細を確認する

足心道

今日はめずらしく埼玉まで遠出です。比叡山から毎月一度いらっしゃるお坊さんの講和を聴きに行きました。アリガタヤ。帰りに赤羽にある足心道という足を使った療法をやられている先生を訪ねました。

現在の本部長は女性の方なのですが、突然の来訪にもかかわらずご親切に対応して頂いて恐縮しました。昔の人らしくお上品でやさしい先生でした。いろいろお話を伺ううちに何となく足を観ていただいたのですが「あなたは神経質そうですね・・。」とか「もともとは身体は強い方ではありませんね・・。」とか鑑定していただきました。当たってる。

足心道の技術は柴田操法といって初代の柴田和通先生という方が編纂された、足の裏や趾(ゆび)を揉んだり圧迫したりする方法らしいのですが、現在は個別の治療の他に家庭健康術として講習会などをされているそうです。

講習に来られるのは女性が多いそうですが、ご家族やお友達にも手軽にできて、事故になることもなく安全で気持ちが良いのでわりと需要があるらしいのです。愉気法や活元運動もこんな風に広めていけたらいいなぁと思いました。

みんなで愉気し合えば近頃ニュースで見かけるような傷ましい事件や引きこもり、自殺などの問題を対象に、整体が少しは社会のお役に立てるのではないかと思うのです。一般の方向けの愉気法講習会を再開しようかなぁ・・。

立腰

座り仕事をされる方は腰をロックしたまま頭を使うせいかどうしても氣の流れが停滞しているように感じます。この時、第2の心臓といわれるふくらはぎもまったく使われません。足を使わないと腰も(たぶん脳も)早いうちに退化します。

腰椎の可動性というのが失われれると頑固になったり、考えが閉塞的になってしまう。

僕はブログのタイトル通り現代(日本)人のための体育、身体の作り方を考えているわけですが、自分としては体操のようなものを作って何種類か実践しています。

野口整体には活元運動というのがあるので、この活元をやっていればさほどの鬱傾向になったりはしないと思うのですが、これはきちんとした指導者につかないと運動の質や考え方までがあさっての方向に行ってしまいかねない。ある意味高度だし、また危ういとも思うのです。

自分なりにこういう動作をやった方がいいなというのはあるわけですが、今のところHPで紹介したり、お顔も見ないで伝えられるようなものではないのです。

指導を受けられている方には個別でお伝えしてますがもうちょっと普遍的な「一」を構想中です。森信三氏の立腰道を読んで以来、僕の整体には腰から日本を立て直すというテーゼが根底にあるのです。今日も感謝してます。

咬合

咬合(こうごう)というのは噛み合わせのことだが、最近歯と姿勢の関連を注視して身体を観ていた。

自分の噛み合わせには癖があるので放っておくと肩や腰の平衡は欠けてくる。空手や整体をやるうちに知らない間に解消されたのだが、咬合研究はこうした実体験にも則しているので興味も湧くし、人の異常にも気が付きやすいのだ。

勉強も兼ねて咬合治療に特化した歯科医を数件訪ねてみたところ、医者の見立てと自分自身が感じている全身的な偏り癖というのはおおむね一致してる。

中でも卓越した医師が「左脚をケガしませんでしか?」というのには唸った。ましくその通りで僕は10年前に左膝の前十字靱帯を切っている。大した技術だとその探求心に感心したのだった。

歯の研究では「全身咬合」といって身体上に現れるあらゆる疾患は咬合の修正で治癒できるという考え方すらあるようだ。個人的には大いに賛同するも、それじゃあ自分が咬合治療を受けるかというと「ノー」である。歯科医というのは咬合を原因とみているのに対し、整体の技術者は歯並びは結果であるとみるからだ。

野口先生の著作には成長期の子供の出っ歯やアンダーショットを腰の調整によって正すというエピソードがあるのだが、この場合出っ歯が引っ込んだのは腰を正したことによる随伴現象である。結局この問題が歯から始まって腰に至ったのか、腰から歯に至ったのかはわからない。

基本的には「肉体のカタチ=気のカタチ」という考え方のもとで整体を行っているので、全身何処に異常を読み取っても真に正すべくは気であり、心である説いて、自ら活元運動を励行し人にもこれを指導する。

本来は咬合治療など受けないで済むように育つのが理想だが、偏って成育した場合、実際のところどうしたらいいのかはまだ判らない。最終的に何を選ぶかは個人の趣味嗜好の問題で、自分にとっての歯列矯正には「多少の可能性を感じる」という程度のものなのだ。自分の整体で何がどこまでできるのか、もう少し研鑚してから慎重に落としどころを見極めたいとは思っている。