愉気の話

軒下の朝顔が咲き始めました。たぶん小学校の理科以来の朝顔の栽培です。^^

朝顔

あの、ちーこい種が土の中に入ると「おっここ土ん中じゃん!発芽しよっと」って芽を出して根を伸ばして花を付けてまた実を結ぶ。

そのことを知ってるってことがすごい。自然の摂理ってすごい。生きてるってなんだろう?って考えさせられます・・・

最近せい氣院のお客さんがお家で愉気をはじめたり、手当てやヒーリング関係の仕事をしている人が指導を受けに来ているので、今日は久しぶりに愉気の話にします。

僕が育った野口整体は愉気(整体の気)というのが、技術の元になっています。

野口整体の世界の中心には気がありますから、野口先生の気に関する言葉は沢山残されています。

以前に太極拳を習ったときに、型や技術はピストルでいうと「弾」、そして気というのは「火薬」なんだよ、と先生に教わりました。

これって気に関してすごくわかりやすい喩えで、いろいろな仕事やスポーツなんかの技術にも共通して言えることだと思います。

野口整体にも「操法」という型がありますけど、同じ型をやっても効果が上がるときと上がりにくいときがあります。

大事なことは技術以前の気の集中密度、だと思います。上手・下手というよりも、自分を瞬間的にキュッ!とまとめられる人が質の良い愉気ができる人だと思います。(そのとき心が穏やかなのは前提条件です^^;)

野口整体では、愉気をするときは全身全霊を傾けて、というようにいいますけど、いわゆる「真剣」、あるいは「集中」すると手の感覚が変わって、初めてやるような人でもびっくりするような効果があがります。

でも、気の集中が行われなければ何十分何時間やってもいっこうに相手の呼吸が変わってこない、ということもあります。(かえって乱してしまうというか・・)

そのためにいろいろな訓練法も伝えられていますけど、とにかく一切合財を忘れて「命は何よりも大切なもの」という心構えで、「今、この瞬間に集中する」ことを勤めて行うと自ずと顔の表情も体の構えも変わってきます。

ちょっと難しそうな話になってきましたけど、磁石に付いた鉄が磁気を帯びるように、愉気を受けてるとだんだんとそして知らないうちに、みんな愉気ができるようになってたりするからうれしいです。^^

「気」なんていうとちょっと日常から逸脱した世界のようにも聞こえますけど、何度か愉気をくり返して、受ける人の変化を目の当たりにしていくと、人間が弱ったり、元気になったりするのは目に見えないエネルギーが基になってるのかもって自然に思えてきます。^^・・・・・

愉気の話の種はいっぱいありますので、またー

活元会 in 大口

今月の横浜大口活元会は7月25日(水)13:30からです。(*^o^*)

内容はいつも通り、活元運動と愉気法の実習をやります。そのあと時間のある人はお茶とお菓子ですね^^

見てるとみなさん、どちらかと言うと活元運動よりも愉気に関心があるみたいです。弱っている人を庇ったり癒したりしてあげたい、というのは人間の本能なのかもしれませんね。(人間の根源的な愛を感じます)

愉気は誰でもできます。今日はじめて今日からでもできます。でも、誰でもできるんですが、やはり一つの技術ですので、精度というか「静度」、気の純度みたいのがやっぱりあると思います。

愉気法がきちっとできるためには自分の中になるべく澱みないことが大切になってきます。

だからいつも活元(で偏り疲労を修正してから)→愉気の順なんですね。^^

他でやっている手当ての技術ではセンタリングっていう風にも言うみたいですけど、日本風に言うと心身統一ですよね。僕は日本語の方がしっくりくきますのでこっちの表現が多いですね。^^

もう一つは「型」 身体の構えですね。これと気の統一がイコールで、一つです。

愉気をするときプロとアマチュアでは求められる気の質っていうのも違う気がするんですが、僕はこの地元、大口だけで愉気法がきちんとできる人が100人育ったら横浜の中でもちょっとイカした街になると思ってます。

例えば・・お子さんが「お母さんちょっと頭イタイ・・」って時にお薬を出す前に、「そっかそっか、○○ちゃん、ちょっとおいで」とかいってじーっと愉気して、それで癒してあげられたらいいでしょう?(治すのが愉気の本質ではないんだけど・・とりあえず)

心が育つときっていうのもこういうときだと思うんです。身体の感覚や痛みを共有する。肌の記憶がいっぱいある子ほど心も体も丈夫に育ちますよね。

いろいろな事情があって、こういう肌の良い記憶が足りなかった人は後から必要なだけ足せばいいんですよ。真理はいつもシンプルなのです。

塾に行かせてあげることも大事かもしれないけど、大切なことって、他にもいろいろ、いろいろあるってことです。と、僕は思います。

教室に参加される方は、また事前にメールしてくださいね。

とまと

お腹が空いたのでトマトにはちみつかけて食べてます。((;~;))ンマイネェ・・・

こんにちは、あっひー先生です!ドンストッマイラブ。

この仕事をすると頂き物が多くて・・、日々是恐縮です

今年は何故かトマトをよく頂いて、たぶん今日で5回目くらい・・。

僕の顔ってトマトを食べた相なのかな(笑)いや、好きですけどね^^

自家栽培とかね、田舎から送ってきたものとかを下さるんですが、とにかくすごく美味しいんですよね。

よく手塩にかけるとかいいますけど、「糖度を上げるためにこうしてるんです!^^」とか、「薬は使ってません!・▽・」とか時間と情熱を傾けて育てると、「中身」が詰まってる感じがします。

でも、これって植物だけじゃなくて人間の身体でも一緒なんですよね。

僕が身体を見ていても健康な人は「中身」がしっかり詰まっていて重い。なおかつ頭から足のつま先まで目に見えない直線が通っている感じがします。

乱れている人というのはこういう「軸」もないし、顔の表情もうつろです。背骨もぼんやりして「にぶり」という感じがします。これは両極端な例ですけどね^^;ふつうはこの中間ぐらいを行ったり来たりしていることが多いです。

とかく今は身体を丈夫に保つということが難しい。身体に良くない食べ物の誘惑も多いし、姿勢や作法の教育もない。

野口先生が大活躍された昭和30~40年代は今よりもう少し人間がしっかり生きていたので、一過性にバランスをくずしたものを「調整する」くらいでよかったと思うのですが、現代となると30歳や40歳を過ぎてから初めて身体の教育をはじめるような感じです。

そうだとしたってやらないよりは全然いいです。ただ僕が学んできた野口整体は、愉気法でも活元運動でもある程度モノにするためには時間と根気がいります。

苦しい症状の人ほどやっぱり結果を急がれますけど、これはと思ったものは一定期間続けるって事も大切です。

勝海舟が『氷川清話』のなかで近頃(明治時代)は人間の根気がなくなったといっているけど、根気がないから身体が萎えているんです。その身体をきちっとするためにはやっぱり最初の気力が大事。

僕の仕事は人の気力を充実させる仕事なので、なにより僕が元「気」じゃないとね。人間同士が互いに気を分け合って、与え合って、助け合って、励ましあって、元気に生きられたらそれが整体の理想とする世界、なんじゃないかなぁ。

天心の愉気

今日は梅雨~って感じがしますね。湿気の時期は減食すると肺の負担が減って疲労感が楽になるといわれてます。

(ホントに今疲れている人は食事を少ーし減らしてみて下さいね。身体が楽になりますよ。)

少し前に気の教室にお越しになって愉気(気の手当て)の練習をした方が、お友達に手当てしたら偏頭痛がすーっとなおって二人でビックリしたそうです。

こんな風に集中して、気を鎮めてそーっとやると愉気は意外な効果を発揮するからお互いに楽しい。一般に集中というと一心不乱、無心を説くけど、整体は昔から「天心」を採用している。(岡倉じゃないよ)

無心というと墨絵のようなモノトーンの世界を思わせるけど、天心というのは極彩色だ。人間は不快情動が度重なると心を鈍らせてしまう傾向があるけど、整体は苦しくても楽しくても感受性を高めて心をしっかり使って生きる道を選ぶ。

気が集中していると現象だけが的確に見えてくるので感情に振り回されることもあまりない。こういう状態にあると心から重さが消えて、愉気も伸びやかに力を発揮するのだ。

生まれたばかりの赤ちゃんを見てると、生まれたときって幸も不幸もないんですよね。でも気がつくとうっかり自分で積み重ねてきた堆積物で心の輝きが見えなくなってたりするから潜在意識の掃除って大切なんだ。

整体指導は丁寧に靴を脱いでそろえて相手の心の世界におじゃまして、一緒に無意識のゴミを片付けていくような作業だ。指導者が自分の心のお片づけができてるのが大前提だけどね。

どんなに部屋が散らかってても、掃除ってやろうとするかしないかの差だけで誰でもできるんですよね。一見めんどくさそうだけどやってみるとさっぱりするし、やっぱりやってよかったって思います。でもやらない人が多いんだけど。(僕もずっとそうでした・・。)

ときどき身体の中も心の底も風に当てたいね。それが心身の健康を保つ第一歩となるはずだ。

何のために活元運動をやるの?

今日は愉気と活元運動の会でした。ご参加の皆さん、お疲れ様でした。

自分の経験でもそうですけど、身体の学びは3歩進んで2.5歩戻るようなことがしょっちゅうある。だいぶいいなーと思ったらカクッと調子を崩したりするから飽きないし、面白い。

活元運動もどんどん発展していくときもあるし、ぼそっ・・と動かないときもある。それはそれで自然でいいと思います。

愉気も活元もそうやって一期一会な反面、ある意味では同じことの繰り返しなので何のために活元運動をやるのー、という哲学的な疑問は尽きない。運動の目的の一つは自分の心と体を自由にするためだ。

人生の多くは「思い込み」という名のレールの上を走っているから。きれいな景色を見ながら楽しく運行してればそれでいいし、アレ?なんか苦しい、おかしいぞ?となったらそのレールを一旦降りてルートを組み直してみるといいみたいだ。

そうやって知らない間に自分で作った、自分の殻をやぶる。命に掛けてしまったリミッターをはずすのが野口整体だし、それを助けるのが僕の仕事だ。

人って死ぬまで成長するから。成長するためには苦しいこともあるけど、人間であることの醍醐味とか喜びってだいたいその辺にあるよね。

次回の愉気の会は7月25日です。

愉氣の実習風景
愉気の実習風景

大口活元会

さっき大口駅西口駅前の徐福苑でタンメンを食べてたらせい氣院のお客さんにパッタリ遭遇。

僕「あ、○○さんこんばんはー」

お客さん「はぃ?・・え!えぇ~、、センセーもらーめん食べるんですか~」

僕「そら食べるワよ!(しかも好きだよ、ラーメン:←倒置法)」

お客さん「意外です~・・・」(え、なんで:僕)

ま、いいや。

今日は午後1時から愉気法+活元運動の会でした。

初顔合わせの3人さんで

呼吸法→活元運動→統一呼吸法→愉気法

いつもの流れでいい感じにすすんで最後にお茶をいただきました。

いわゆるアマチュアのみなさんと練習する愉気はほんとに愉しいです。なにより人の身体に丁寧に丁寧に触るということがみんな自然にできるから。

整体の基礎は相手の生命を大事にするということ。とにかく乱さないように、毀さないように、静かに触れていく。「静けさ」を「技」にまで昇華させたのが野口整体かも知れない。

始めたときは技術を覚えてもらうつもりでやったわけではなかったけど、大口だけで愉気法ができる人が100人くらい育ったら横浜の中でもけっこうイカした街になるかもね。

この街が明るく元気になりますように。

次回の活元会は6月27日にやりますよ~。

それではまた。みんなきてね~

赤ちゃんへ愉気

一時期ずーっとプレママさん代わる代わるがお越しになっていましたが、最近ようやく落ち着きました。

最初は妊娠中の体はよくわからないことが多くて苦労しましたけど、女の人はこういう時は気がよく通るので身体の外側も内側も良く動きます。体質を改善させるにはやっぱりいい機会だと思います。

お腹の中にいる時に整体の氣を受けた子は成長の度合いが安定していると言われます。たしかにせい氣院に来ていた方に経過をうかがうと体重の増え方もやっぱり違うらしいです。いい意味で。

最近は自分の半生を振り返りながら、野口整体で言う、「潜在意識」に関心がいっていたので妊娠出産に関わると本当に勉強になります。

三つ子の魂百までとか、人生は3歳までに作られるとか言われますけど、最近はお腹の中で7~9割は生きる道が決まってしまうというのもわかる気がします。

憎めば憎らしい世が、愛せば愛らしい世が、と心のあり様が自分の生きる世界を構築していくわけですから。生まれてくる赤ちゃんが人を信じて生きられるようにする、そういう「誕生」に触れることは整体の一番重要な仕事な気がします。苦しくて楽しい、楽しくて苦しい。僕にとってはありがたい職業だと、あらためて気が引き締まる思いです。

愉氣

世間が脱原発の波に揺れる中、あっひーは脱電子レンジしてました。

電子レンジ完全離脱して早2ヶ月。

そしてご飯の冷凍解凍がサクサク出来なくなったので、買っちゃった。

圧力釜!!!(島忠で特売2,000円)

圧力釜!!!

あっひーんちは玄米なので毎回毎回電子ジャーだと炊くのに時間がかかるのです・・。

これで自炊力もアップ!女子力もアップアップ!!(笑)

電力消費量も減ったので社会に貢献してる感もアップ!(^-^)

今日は、むかし野口先生の愉気を受けていたという80歳のおばあちゃんがお越しになられました。

野口先生に会ったことがある人は異口同音に言われますが・・・、大勢の会員を前に講義をしていても一人ひとりの心を見てくれている、そんな温かいオーラに溢れた人だったらしい。

そして、「あの、眼」が忘れられないって・・。

仏教で徳を表す言葉に「慈眼」というのがあります。

野口先生は眼からも、そして身体全体から人を癒すオーラや愉気があふれていたんじゃないかなって思います。

僕は先生がこの世を去った(昭和51年)の翌年に生まれました。

野口先生は今生では会えなかった想像の中の人なので、この道の古い方からお話を聞くと熱くなってしまうんです。^^;

僕はいってみればマゴデシ、第3世代。

そして野口整体が真の光を放つのは300~500年くらい後だと思う。

野口整体の愉気は、自分を貧しくすることなく、人を利することができる世界。

力まず、たゆまず、自分の出来ることをこつこつがんばります。

やったる。