10月活元会のお知らせ

10月の活元会を下記の日程で行います。

■日程

10/5  (木)10:00-12:30

10/14(土)10:00-12:30

10/19(木)10:00-12:30

10/28(土)10:00-12:30

※12:30-13:00頃まで茶話会

■内容

野口整体の資料をつかった座学と活元運動の実習
終了後お茶の時間があります(13:00くらいまで 自由参加です)

■参加費

2,000円

■その他のご案内

服装は白系の落ち着いたものが適しています(色柄も可です)。サイズはお腹を締め付けないゆったりとしたものをご用意ください。途中参加・退出を希望される方は事前にお申し出ください。

ご参加を希望される方は前々日までにお電話・メールフォームにてお申し込みください。

活元運動のからだ

活元運動をやっている人は一種の雰囲気がある、独特の身体になる。と教室ではよくいっているのだが、具体的になにがどう違うのだろうか。

ひとことで言えば「弾力」ということになるが、これはスポーツでいうところの身体の「バネ」とはちょっとちがう。

またゴリゴリの健康体というのともちがうし、押せばはね返ってくるような「活きの良さ」とでもいったらいいだろうか。まあ赤ちゃんのからだである。

ボディーワークつながりでヨガをやっている方もよくお見えになるが、おなじ東洋系でも理想とする形はちがうようだ。

ヨガの人はもっと静謐というか、弾力というよりは押されたら押されっぱなしのヒモのような印象を受ける。物静かな人が多いのもそのためではないか。

たまにテレビで野生動物ドキュメンタリーなんかをみると、整体とは斯くの如しと思うものだ。

普段は凡庸としているようだがいざ駆けだすと、一気にトップスピードがでる。肉離れなんかまずないだろうな。弾力のなせるわざである。

弾力以外に表現するとすれば気品とか気高さだろうか。

生命の尊厳というか、そういうものがその人の一挙手一投足からにじみ出るようになったら、ようやく「整体」というのが身についてきたレベルだ、と思う。

自分でハードルを上げている気がするが、体が整っているかどうかの基準として気高さはポイントである。

ときどき通っている人が妙に品がわるくなって来られることがあるが、大抵はそれより数週まえに情動をおこして身体を偏らせている。

整体指導はあくなき美の追求といってもいいだろう。人間、美しさがあるうちは大丈夫だ。

活元会 2017.9.21:野口整体とは生命に対しての礼

今日の活元会でした。教材のテーマは「生命に対しての礼」。

「野口整体とは何か?」と問われたときに、まず思い浮かべるのは「いのちを大事にすること」ということです。

それは自分の生命も大事にするし、他人の生命も大切に、大事にしていく。

そういう考え方を身をもって学んでいく姿勢を「野口整体」だと、こういうふうに呼んでみるとしっくりいく感じがするのです。

そのために活元運動を学び、愉気法を学び、整体操法を修めていく。

そういうような心づもりでつづけていくと、2年、3年と経ったときに、きっと身体のほうがそうした気持ちに応えて変わってきてくれると思います。

ところで今日の教材であつかいましたが、この活元運動というのはもともと秘伝であったのです。

諸般の事情で不特定多数への公開をはばかるという面もあったと思うのですが、それ以上に各々が「やる気」になってやっていただかないと、遊びとも健身法ともつかない変な集まりになってしまうかも知れません。

今のように、あちらでもこちらでも手軽に体験できるようになると「有難味」というのがうすれますが、往時は高額の講習料を納めてはじめて習うことができる貴重なものであったそうです。

これに因んで、むかし親鸞というお坊さんが「南無阿弥陀仏といえば救われます」といって村の人たちに説いてまわったという有名な話があります。

このような現代の人がなかなか信じないようなことでも、当時本気でその「念仏」に取り組んだ人たちの中には、それで救われた人がだいぶいたと思うのです。

「信仰」というものには概してそうした要素があって、なにか軽いアソビ程度のものだと思って半信半疑でやっていたら、何ごともたいした恩恵には預かれません。

「これは間違いない」、「本気でやろう」と思って心を一つにしてやっていくと、何ごとも目覚ましい成果が上がるものです。

これは教える方、指導者の力量も深くかかわってくる問題なので、一概に学ぶ人にばかり責任を負わせるわけにはいかないのですけどね。

しかし、うちのような日の浅い指導室でも数年つづけた人たちをみると、やはりどこか普通の人とは雰囲気がちがってくるから活元運動は素晴らしいと思います。

すこし見なれてくると「整体の人」というのは、すぐに見分けがつくようになります。

効果のほどは実際に体験してみないことにはわかりませんけれども、何にせよ自分で心血を注いて育てた身体というのは財産でしょう。

だれかに盗られたり、落っことしてなくすようなこともないですし、ぜひそういう「体育」というのを楽しみながらつづけていかれたら、それはそれで実りのある時間になると思います。

歳月を重ねてだんだんと心身が成長して行く姿をみるのは嬉しいですし、楽しいです。整体は一生ものです。

8月 活元会・修養会のお知らせ

8月の活元会・修養会を下記の日程で行います。

■日程

○8/6 (日)9:45-12:15 活元会

○8/10(木)9:45-12:15 活元会

○8/20(日)9:45-12:15 活元会 / 12:30-14:00 修養会

○8/24(木)9:45-12:15 活元会

■内容

○活元会 座学(教材の素読・音読)・活元運動の実習

○修養会 野口晴哉の「潜在意識教育」と中国の古典「老子・荘子」、ユング派の分析心理学などを主な教材として整体を実生活に応用して活かすための勉強会(座談会形式)

■参加費

各会ごとに2,000円

※8/20の午前(活元会)と午後(修養会)の両方にご参加の場合は3,000円

■その他のご案内

服装は白系の落ち着いたものが適しています(色柄も可です)。サイズはお腹を締め付けないゆったりとしたものをご用意ください。途中参加・退出を希望される方は事前にお申し出ください。

■初めての方へ

いずれも「整体という生き方」を学ぶための実践の会です(初心者でも無理なく始められる内容です)。ご参加を希望される方は前々日までにメールフォームにてお申し込みください。

※最近初心の方からのお申し込みメールにおいて「記入もれ」が多くなっています。またホームページ、ブログをほとんど読まずに申し込まれる方もいますが、当院が公開している情報は取得しているものとして進行します。限られた時間内での実習となりますので、よくよくお心得の上ご参加くださいますようお願いいたします。

飲食男女

老荘研究のパイオニア福永光司さんと河合隼雄さんの対談本『飲食男女ー老荘思想入門』を読んだ。タイトルからして何のことか‥と思ったらどうやら人間の生命活動の根源的な動きを象徴した言葉らしい。つまりは自己保存の要求と、種族保存の要求。俗に「花より団子」という言葉もあるけれど、この世の中の活動は花と団子が生命エネルギーの根源といえる。

特定の宗教では人間における動物的な欲求を否定的に見る向きもあるけれど、実際は身体が整うと生理的欲求はノーマルになる。例えば異常食欲なども身体の自然をコントロールしようとし過ぎてしっぺ返しを食っている訳だ。身体のもともとの感覚に親しんで生きれば、終わりの見えないダイエットや過食症などとも無縁の生活になる。

さりとて「自然自然‥」としきりに言ったところで、これがなかなかに難しい。生き物の中で人間だけが自然を体現するために鍛錬が要る。鍛錬というとまた「筋トレ」みたいに人為的になりがちだけれど、これともまた違う。身体の感覚に耳を澄ませて、「感じて動く」という自然体(感動体?)を養うのが鍛錬。だから修養といった方がもう少しシックリいくかもしれない。

「無為をなせば、治まらざるなし」という老子の言葉を手繰れば、「何もしない」ということの功徳を窺い知ることが出来るものだ。「無為」と「野口整体」は共に自然と手を取り合って遊ぶ態度を現すもので、呼び名は違えど核心は同じである。どちらも人工的なものが9割以上占める現代文明の中和剤に成り得る。

福永さんの論では自然を人工的な知識で統制する文化が儒教的な馬(北)の文化で、自然に逆らわずゆだねて生きる道が道教的な船(南)の文化なのだそう。今の時代どっちも必要ですね、という河合さんのまとめによって自分の職業的立場もピタッと定まる感があった。勘とか野性を主(あるじ)として、思考はその従者であることが望ましい。活元運動で個人の身体から社会機構までバランスを取り戻そうではないか。

2002年初版の本だが、この両先生がもうこの世にいらっしゃらないのがさみしい。それも自然のならいなんだけど。

7月 活元会と野口整体の勉強会のお知らせ

7月の活元運動の教室は下記の日程で行います。

また、今月は第四週日曜日(7/23)の午後に、野口整体をもう少し深く学ぶための座談会(修養会)も行います。

■日程

○7/9 (日)9:45-12:15 座学・活元会

○7/13(木)9:45-12:15 座学・活元会

○7/23(日)9:45-12:15 座学・活元会

○7/23(日)12:30-14:00 修養会(野口整体を学ぶ座談会)

○7/27(木)9:45-12:15 座学・活元会

■内容

○活元会 脊髄行気(瞑想)・座学(教材の素読・音読)・活元運動の実習

○修養会 野口先生の「潜在意識教育」と中国の古典「老荘思想」を主な題材とし、整体を実生活に応用して活かすための勉強会

■参加費

各会ごとに2,000円

※7/23の午前(活元会)と午後(修養会)の両方にご参加の場合は3,000円

■その他のご案内

服装は白系の落ち着いたものが適しています(色柄可です)。サイズはお腹を締め付けないゆったりとしたものをご用意ください。

今月は途中参加・退出可とします(事前にお申し出ください)。

■初めての方へ

いずれも「整体という生き方」を学ぶための実践の会です(初心者でも無理なく始められる内容です)。

ご参加を希望される方は前々日までにメールフォームにてお申し込みください。

※最近初心の方からのメールにおいて「記入もれ」が多くなっています。またホームページ、ブログをほとんど読まずにお申し込みされる方もいますが、当院が公開している情報は取得しているものとして進行します。限られた時間内での実習となりますので、よくよくお心得の上ご参加くださいますようお願いいたします。

6月 活元会のお知らせ

6月の活元運動の教室は下記の日程で行います。

■日程

〇6/1  (木) 9:45-12:15

〇5/11(日) 9:45-12:15

〇6/15(木) 9:45-12:15

〇6/25(日) 9:45-12:15

〇6/29(木) 9:45-12:15

■内容

脊髄行気(瞑想)・座学(教材の素読・音読)・活元運動

■参加費

2,000円

■初めての方へ

「整体という生き方」を学ぶための実践の会です(初心者でも無理なく始められる内容です)。

ご参加を希望される方は前々日までにメールフォームにてお申し込みください。

※最近初心の方からのメールにおいて「記入もれ」が多くなっています。またホームページ、ブログをほとんど読まずにお申し込みされる方もいますが、当院が公開している情報は取得しているものとして進行します。限られた時間内での実習となりますので、心得てご参加くださいますようお願いいたします。

5月 活元会のお知らせ

5月の活元運動の教室は下記の日程で行います。

■日程

〇5/4  (木) 9:45-12:30 祝日

〇5/28(日) 9:45-12:30

〇5/18(木) 9:45-12:30

〇5/28(日) 9:45-12:30

■内容

脊髄行気(瞑想)・座学(教材の素読・音読)・活元運動

■参加費

2,000円

■初めての方へ

「整体という生き方」を学ぶための実践の会です(初心者でも無理なく始められる内容です)。

ご参加を希望される方は前々日までにメールフォームにてお申し込みください。

4月 活元会のお知らせ

4月の整体教室は下記の日程で行います。

■日程・場所

4/6  (木) 坐学・活元運動 反町 せい氣院

4/20(木) 坐学・活元運動 反町 せい氣院

4/29(土) 坐学・活元運動 反町 せい氣院

■時間

9時45分~12時15分

■参加費

2,000円

■初めての方へ

坐学では野口先生の講義録を中心に音読を行います。「整体という生き方」を学ぶ実践の会です。

ご参加を希望される方は前々日までにメールフォームにてお申し込みください。

活元運動は雑念の掃除

悪いという考えに対して、良いという考えを入れたらゼロになるかというと、ならない。…良いと言っても、悪いと言っても、心の停頓であることには変わりない。…中には良いという考えは停滞しても邪魔にならないという人もいるが、健康だと確信している人に脳溢血が起こることもある。健康であるという考えであっても、心の流れから言えば一つの停頓であるからに他ならない。潜在意識と現在意識の関係は氷山の如く、海上に現れているのは何分の幾つかで、海面下の大きさはその何倍かになり、風に吹かれて外から動くよりは、海面下の氷山が海流に流されて上の方向が決まることの方が多い。表面に飛び出したものだけを掴まえて方向を変えようとしても無理がある。しかし、固まっていても氷山の実質は海水そのものである。凍りつかした自分の考えに閉じこもらないで天心に生くれば、無意識という海の水と同じ自由に溶け合い一つになって流れる。その為には氷山を作らず本来の水になることの方が必要であると言えます。それ故、停滞している心の現象であるいろいろの雑念を掃除し、いろいろの観念や感情、それを起こす心そのものまで何にもなくしてしまうことが心理療法の目的であって、今までお話した問題はそこへ行く為の道筋に他ならないのであります。(月刊全生 平成23年8月号『心理療法入門 2』より)

2月の活元会では整体流の心理療法の講義録から資料を使って音読を行なった。野口整体は身体を媒体とした心理療法の手段である、と言えるのだが個人指導を受けている人でも意外にこの所をご存じない方が多い。

つまり「肉体への刺戟→肉体の変化」が全て、と思われている方が多い(やや閉口した)。そんなことはありえない。身体への刺戟は即心理へと影響する。「心と体はつながっている」のではなく、「同じ、一つ」のものの別称である。誰でも温泉に入ったら「気持ちがいい」のだから。心と体の間に「隔たり」や「距離」はない。

さて、整体の「心理指導」とは何をすべきかということだが、整体では終始「天心」を説く。赤ん坊のような、「なんにもない」という状態を旨とし、これに立ち返ることを最良と考えているのだ。

そこで「天心」とか「雑念の掃除」という方面でいうと、「瞑想」という方法がよく行われる。それで古今東西いろいろな瞑想法があるのだが、いわゆる無心とか真のリラックスとかそういう面でなかなか功を奏さないのは何故だろうか。というと、それは意識が鎮まる「身体」になりにくいからだと私は思う。

引用にある、海面下の「氷山」とは潜在意識に固着した観念である。普通は「悪い」観念さえ払拭すればそれで良いように思われるところを、そうではないと言うのだ。よく考えれば赤ちゃんに「悪人」がいないのと同じように、「善人」というのもいない。禅の方ではこの辺りのことを「是非・善悪を思わず」という風に上手く表現している。「悟った」というのも「迷い(認識)」である。本来は悟りも迷いもないのが物事の実相だろう。善とか悪とか、健康とか病気とかそういうものが両方ともスパッと無い。無心、天心とはそういうカラッポ感のことを表しているのだ。

そのカラッポとかポカンというのは、身体能力によって実現される。つまり意識が静止する身体性というのがあるのだ。禅寺の生活様式というのはこういう身体を創る上で有効に組まれたものといっていい。我々の場合は活元運動によって最短コースでこれを目指す訳である。つまり不随意的な身体の緊張が残っている限り、頭の働きは静まらない。絶えず何かを対象に頭を使ってしまう。だからその基となる緊張をみんな拭い去ってしまう不随意的運動を上手く活用して脱力させようと考えたのだ。

今までいろいろな人を見て来たところでは、止まって行なう瞑想では意識の停止が難しいようなのだ。無論それぞれに段階があるとは思うが、多くの瞑想法は目標と立ててそこに向かって行くような気配がどうしても取れない。そうではなく、始まりも終わりもない、なんにもない、まっさらな状態にもって行くのが心理療法では究極的な目的である。

その点では活元運動はやってみると非常に簡単である。やっていった結果として運動の質が高まり、ゆるみの深度が増す(進歩する)ということはあるけれども、誰でも一応は最初からできる。若くても歳を取っていても、病気であっても怪我をしていても、無理なくできる。そして続けていくと氷山が海水に戻るように身体の硬張り、意識に潜伏する観念などが抜けていく。時間が掛かる人もいるけれど、やっていればやがてはそうなる。そうして後に体がしっかりしてくる。腰が伸びて、骨盤をきちっと使って立ち居ができるようになってくると中枢神経が整い雑念が抜けてポカンとする。このポカンとするのが心理療法の着地点である。

そうやって「無」になったところから、新たに空想する。悩むことがあるならまた新たに悩めばいい。とにかく一度ニュートラルポイントに持って行く。そこから歩きはじめる。この繰り返しで人間は進歩するように出来ているのだ。そういう意味で、氷山のように意識の流れを止める観念は邪魔でしかない。それを解かすのに活元運動が近道と言える。

非常に単純だけれども、完成されている方法だろう。何故こういう方法がもっと広く伝わらないのかと思うけれども、やはりそれが「盲点」なのだと私は思う。「自然」というのはそれほどに近くて遠いものだ。何処にでもあるのに、探そうとした途端見失う。「意識を閉じて無心に聞く」、たったこれだけでいいのだからもっと多くの方に知っていただきたい。先ずは最初の一歩だ。

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