気学

先日気学の先生が来院された時に、せい氣院の間取りをいろいろ直してくれました。あっちが鬼門で・・こうで、鏡の位置は・・で、いろいろやっていたらだんだん部屋の氣が澄んできました。昔、野口先生のお弟子さんが部屋を片付けられなくて何度もやり直しさせられたというエピソードがあるんですが、「そういう荒い感覚では人間のからだはとても任せられない」という意味だったそうです。朝比奈は昨年から表千家の茶道を習い始めたのだけど、あちらの世界は道具にはすべて「置き場所」があって座るにしても「ここ」ということが型として決まってるわけですね。こんなにいろいろ「型」を覚えるのは大変、と思っていたけど型というのはありがたいもので「ここに、こう置けばいい」ということが決まっていることは大変にありがたいことだと思いました。これは本当に長い年月で生み出された日本人の生活の「智慧」なんですね。ところで、件の気学師さんは鑑定業の方なのでいろいろな人の相談を受ける方です。整体にも共通した点はあるのですけど、二人で話していて「そうだね」と腑に落ちたのは、人生が上手くいく人の特徴は、「あ、これはいい波が来てるゾ」というときに易や整体を利用する、ということ。つまり、「困ったな・・どうしよう」、「また痛くなった・・」といって好ましくない状態になってから来る人はなかなか良くならない人の共通項らしいです。やはりどうも、自然界には「波」というのがあるらしい。整体の要諦をあげるとすれば「時を待つ」、「波に乗る」、この二つ。身体の状態に基準値もなければ数値化もしない整体にとって最終的にいつもこの人にとって「健やか」ってどういうこと?っていう話になるんですけど、おしなべて「良い状態」というのは自然の波と身体の波が一体になっていることなのかもしれないですね・・。野口整体では「良き治療家 宇宙と倶に息し 倶に動いて その息一也」と。「順」とは何か、「健」とは何か、今ちょうどこれを考える必要がありそうです。・・・うん、今日も感謝してます