野口整体の仕事の範疇は存外広く、目的や対応する症状などは無限にある。やればやるほど「こっからここまで」という区切りが広がって収集がつかない。命というのは底が抜けてるんだな。それだから常に新鮮な気持ちでいられるのだが、結局は「その時その様に処せる」か否かで、仕事としては即興力の鍛錬がモノを言う。
だた一ついえることは「治す」ということだけは範疇の外だ。自ずから然(しか)るとかいて自然(じねん)と表すが、どういう状態の方が来てもひたすら「自然に帰す」だけである。
現代では身体の働きに任せきれずに、後天的にいろいろ手を加えたことで起きている身体の問題が数多く見受けられる。そのために「あたりまえの自然」ということが容易ではないのだ。
自然と言ってもただ放っておくことではなく、「身体の波を読み、その波に乗る」、こういう事が無理なく行えるようにするのが整体の目的である。技術面においても整体の要諦をまとめると「時を待つ、波に乗る」という、最終的にはこの二点に集約される。
愉気法、活元運動をしっかり行っていくことが、肉体を通して自然の波を感じる手がかりになる。ブログのタイトルは活元運動のすすめだが、最近活元運動をあまりすすめていなかったのでまずかったなと思った。
現代では精神的な豊かさが求めるひとが増えたが、すぐまた肉体的な豊かさを再考する時代が見えている。野口先生の代表作、『整体入門』は文明生活を見直そうというところから始まるのだが、現代からさかのぼって見た時に、どこからが文明生活なのかその境がわからない。
ただ、これからは自然と歩調を合わせて共生を願う時代に変わりつつある。まずは自分自身が静かに息することを修練して「整体」を体現して死にたい。最終的には「野口整体」というコトバすらも余計だろう。自然法爾といってもまだ余分な気がする。