師弟関係の完成

最近本のツンドクが折り重なって、何から手を付けたらよいかわからなくなっていたのだが、1年前から停泊中の『ユング自伝』をようやく読みはじめた

プロローグ

私の一生は、無意識の自己実現の物語である。無意識の中にあるものはすべて、外界へ向かって現れることを欲しており、人格もまた、その無意識的状況から発達し、自らを全体として体験することを望んでいる。…(『ユング自伝』みすず書房より)

言うまでもなくユングを理解するうえで、精神分析を創始したフロイトの存在は無視できない。

フロイトなくして「ユング」なしであり、ユングが「ユング」になるためにはフロイトとの一時的一体感は不可欠であった

そして最後の完成のところで、フロイトを否定しなければならなかったのだから、師弟関係の完成にまつわる矛盾やドラマ性をラジカルに象徴している

「個性化」を中心に置いた彼の心理学は、そうした他者との深い関わりの中で起こる幸福な一体感と独立期に起こる悲しみのインパクトによって生まれた気がしてならない

論語においては「15歳にして学に志し、30歳にして立つ」というが、人間というのは最初何を目指したらいいのかわからないものである

そこで先ずは手近なお手本を見つけて歩みはじめるが、しばらくすると必ず妙な感じが起こってくる

つまり師であろうと親であろうと、結局はそれが「他人」であるという事実に愕然とするのである

昔から先人の犯した過ちを繰り返すことを、「同じ轍を踏む」というが、別にこれは過ちに限定せずとも他人の轍を踏んで歩み続ければやがて自分の人生を踏み外すのは当然である

だからこそ、三歩下がって師の影踏まず歩いていたような者が、不意に自分の轍に気づいて先達と離別の道を歩みはじめることを「恩返し」と言ったりするのだ

日本画の長沢芦雪などがその妙例だろう

俗に「名人に二代目なし」などというが、裏を返せば二代目からは名人が出ないという話で、この言葉自体がすでに師弟関係の限界性を物語っているのだ

また野口晴哉は中川一政との対談内で、師弟関係のリミットは10年と論じている

それ以上ずるずるつながっていると師を超える人間は一人も出なくなってしまうというのだ

自分もそういう人たちをたくさん見てきたが、世に言う「名人」とか「カリスマ」という存在は考えようによっては近所迷惑なものかもしれない

ここで再び論語を引用するが「教育」に関して

学んで思わざればすなわち罔(くら)し
思うて学ばざればすなわち殆(あやう)し

という言葉を残し、人に就いて学ぶことと自分で考えることの両輪を説く

個人的には今の日本人は全般に「学び過ぎ」ではないかと思う

特に高校、大学、院と、俗にいう「高等教育」に進むにつれて、自分の頭で考える力をどんどん失っていく人がいる

そこまで行くともはや何を言ってもやっても、だいたいがどこからかの借り物になってしまうのだ

本来自分の最高の師は自分なのである

それを弁えた上で、他人からとれるものがあればとればいい

「教える、教わる」というのは個性化の、特に初期の過程で誰もが通る道といえばそうだが、自立の前の深い一体感の中に「悲しみ」の種が隠れていることは知っておく、あるいは教えておくべきかもしれない

だからこそ、それを知っている人はみだりに師に就いたり、弟子を取ったりしないのである

日本では親鸞がそうだし、ユングは自派の組織化を快く思っていなかったというが、それだけ「孤」であるということに強い人たちだったのだと思う

孤独と孤立と自立はどれもみんなちがう

禅の独坐大雄峰などというのが自立の極みだろうが、一方で自立の前には先ずどっぷりと安全な保護環境に依存することが必要であることも否めない

別れは人を大きくすると言うが、

やっとのことで辿り着いた深い人間理解のすぐ先にある別れ

こういう相反する物事の悲しさを知る上で、師弟という関係性はやはり人間の発達においてある種の有用性はあるのかもしれない

そういう観点からもユングが自伝を遺してくれたことは個性化の一つの好例として、稀有な記録だと思うのである