活元会 2018.1.18:「心の時代」における野口整体の役割

今日は活元会でした。

ちなみに今年三回目です。報告してませんでしたが‥。

教材は昨年に続いて『ユング心理学と現代の危機』です。今年からは安藤治先生の【「心の時代」と現代心理学】 の項に入っております。

「心の時代」という言葉がささやかれて久しいと思いますが、およ20世紀末から西洋を中心に「心の問題」に如何にして取り組むかということが折に触れ議論されつづけてきました。

そのような土壌の中から一部の有識者層によって東洋宗教に目が向けられ、その修行法(禅、ヨーガ、気功など)の中から宗教色を排した「ボディワーク」という形で「心の治療」として取り入れられて既に一定の効果を挙げてきています。

そういった経緯の中で「野口整体」(の活元運動)というのも、近代化(西洋化)によって身体性が半ば荒廃した現代日本において、潜在需要が高まっているという見方ができるわけですね。

とにもかくにも「人生をどういきるか」ということに答えるものを人類はずっと探し続けて来た、といっていいでしょう。

欧米の場合は中世以来「キリスト教」という大きな枠の中で(宗派ごとに多少の協議の差はあるにせよ)、かろうじてそれが行われてきたのですが‥。

そうして近代、それから現代という流れの中で徐々にキリスト教は求心力を失い、それにとって代わるように「科学」が台頭したわけです。

そして今日、その科学が人間の「生きる、死ぬ」という根源的な問いに答えるだけの力を有さないことが明らかになったことで、いわば右往左往しているのが欧・米と、その「薫陶」を受けた東洋の中の一部諸国ということになります。

そこでいま重要な鍵とみなされているのが、「身体」です。

20世紀の先進(と称する)諸国ではこの身体が過度に軽視され、近代科学的理性によって蹂躙され続けてきました。

しかし実際はこの「身体」にこそ全人類を救う鍵がある、ということに時代が気づき始めたと言えます。

すなわちこれを「どのように教育するか」によって、人間の生きざまというのは、天地ほどの差を生む。そういう事実がアカデミズムの俎上にあがったということは非常に大きなことです。

活元運動をやるにしても、こういう社会的意義というのを知った上でやるのと、そうでないのではやはり入れ込み方が違ってくると思いますので(少なくとも僕の場合はそうなので)、せい氣院ではその辺の予備知識にこだわるという結果になっています。

理屈は大切なのです。

その一方で論より証拠、という言葉もあります。

東洋宗教は「知行合一(陽明学)」「教行一致(天台宗)」など、理論と実践の整合性を重んじるものですから、両輪のバランスを失わないように次回以降も坐学と実習半々で引きつづきやって行こうと思っています。

今日はお茶の時間も若干楽しかったです。

次回の活元会は1月27日(土)です

(今日のおすすめ図書)