もう5、6年前になるだろうか。あるボディワークのセミナーに参加した時に、身体のあちこち、それも普段は使わない部位を意識的に動かすワークをやってみた。
やってみたといっても、当時の身体感覚ではどこもかしこも動かなかったし、そもそもその値打ちも解らなかった。つまらない講習に出てしまったという程度の感想しか持てず、全くもって不明であった。
それから年月を経て現在、改めて身体各部を精妙に動かすことに重要性とおもしろ味を認識しはじめた次第である。
人間というのは感覚の生き物だ。身体的な訓練次第で無限の可能性をひらくことができる、地球上で唯一の生き物ではないだろうか。
そんな人間に生まれながら、自らの「身体」を開拓しないのは本当にもったいない話だと思うのだ。
さて、前置きが長くなったけど、最近胸骨の可動性を意識しはじめた。
胸骨とは胸の真ん中にある板状の骨のことで、左右の肋骨をつないでいます。実際ここが動くとどうなるの、と聞かれるとずばり答えにくいのだけど骨の可動域は心理的な余裕を意味する。だから何処であっても軽視はできない。
何かものごとに行き詰っている時は必ず息が詰まっているし、それといっしょに横隔膜・骨盤・肋骨が固まっている。固いものは脆くこわれやすいものだ。
どうやれば胸骨が動くのかというと、「胸骨を動かそう」と思念しながらやわらかく、おおきく息をしてみるといい。あまり手ごたえのない話だけれど、呼吸と同時に胸の中心を上下に意識してみると、はじめてでも数ミリは動くものだ。あとは興味をもって続けていくと、だんだんと肋骨がゆるんで可動域が増す。
重ねていうけど、これができても日常的にどうという変化はないかもしれない。
ただ身体はどこか一ヵ所でもゆるんで可動域が広がると、そのゆるみは必ず全体に波及する。
どこでもいいから身体に興味をもって研究してみると、どこからでも自分の可能性を広げることは可能だ。
考えてみれば「自分の身体」というものは人間にとって最大の死角と言えるのかもしれない。灯台下暗しというのか、大抵は自分の身体の動かない所、感覚の未発達な部位に大きな可能性や人生の活路が潜んでいるのだ。