休む

今日は太郎丸は保育園をお休みした。疲れたみたいだったのだ。「休む」といっても、子供だから(いや大人でも)必ず「何か」はやっているわけなんだけど。何もしていない時間なんて、探したってないのだから。

それで今日は休むとか休養ってなんだろうということを考えていた。

あるいは「休んでいない」ってどういうことなんだろうか。

「じっとして動かないこと」、とかそう思われがちだが、そんなことではないな。

ただ寝ていれば疲れが抜けるかというとそうではないのだから。人間寝すぎても疲れる。動くなと言われれば動きたくなるし、働きたいという意欲だって本当は備わっている。

結論を言うと、「要求にそって行動する」ということではじめて人間は疲れが抜けるのだ。

自らに由るとかいて自由というもので、本来の自由とは規則に対する放逸ではない。

自分で感じ、その感じたことを出発点として、考え、自分の責任で決断し、行動していくことだ。

だから集団行動の中にあっても、自由は立派に成立する。ただそれは大人だからこそ発揮できる自律性であって、幼児の集団教育・保育となると、どうしたって画一的な行動に不自由する面は否めない。

そういうことで、まあ今日は休養になったのではないかと思う。たぶん・・。本人に聞いたわけではないけどね。

大人に対する整体指導は自律性の発現がカギだ。健康生活を思えば、オンとかオフとか、自分の人生を切り売りするような感覚からは、脱するべきだ。

ポカンとするとは自分が自分に帰ることである。取り立てて、「休養」が要るような生き方なんてもったいない。

人間は眠るために生きているのではないのだから。

休養と、活動は別々のことでない。いつも一つになって動いている。健とはそういうものだと思うのだ。