幸せの道

人間はその根本において善なのか悪なのかという話がありますが、毎日痛ましい惨状と供に、助け合う人々の姿を報道で観る度に胸が熱くなります。親子の再開で涙を流す姿もあったりで、悲劇の裏で人間の生きる喜びも目の当たりにします。それを見て自分も父や母との時間を大事にしようとか思ったりする。

野口整体は性善説をとっていると認識してますが、国内外から利害を超えて救援に駆け付けてくれている人の姿には感謝の念とともに人間の根源的な善と愛の波動を感じざるを得ないです・・。

ときに整体の「氣の手当て」愉気法の起源は関東大震災までさかのぼります。当時地震のあとで赤痢が流行ったりしたそうですが、その時まだ普通の少年だった野口先生が、近所の煮豆屋のおばさんが下痢をして苦しんでいた時にすっと手を当てたら「ことっ・・」と寝てしまった。

そして起きたら身体がよくなっていた、という。回想録によればこの時「僕は面白くて、ずーっとそれを続けて行きたかった。・・・」となっています。(だからあっひーは「関東大震災がなかったら野口整体はなかったんだ。」と思ってます。)

どうやら人間の身体には、人が喜んでくれると「自分も幸せ」になる、という、そういう装置が神様によって仕込まれているらしい。逆に言うとこの方法以外に人間が幸せになる方法ってあるんジャロウか?

野口整体の愉気も整体操法も活元運動も野口先生の無償の愛から始まったものだからこんなに大勢の人が好きになってくれたのだと思うんだ。野口整体は幸せに続くキラキラの一本道であると信じて今日もテクテク歩いてるあっひーはやっぱり幸せ者だ。

僕は仕事は淡々とするように心がけているのでときどきクールに思われるが、腹の底は存外に暑っ苦しい。捻じれ型8種があるからね。「愛」とか「幸せ」の話を語り出すと、来年まで予約でいっぱいの民宿みたいにしばらくは誰もとめらんなくなるんだ。