人間の探求

かつて戦時中に「敵を憎め」というコピーが撒かれたらしいのですが憎めと言われて憎めるほど人間は単純な構造をしていない。

思春期の恋愛だって頭で「アキラメヨウ」といってもココロとカラダが納得しないところから西野カナちゃんの世界が始まる。

同じようにテレビで「買いだめををしないで・・」と言われても、背中にしょった「漠とした不安」が消えない限り震災のショックはショックとして残る。

家に山積みとなったトーレットペーパーやカップラーメンを見ることで「ホッと一息」、首と胸椎7番の緊張が弛むのではなかろうか。整体では「買いだめ」も身体(背骨)の問題だ。(いうまでもなく人道的に、無用な買いだめはNGです。)

件の福島原発も災害を想定した「安全弁」は予備の予備の予備まであったらしいのですが、その装置を握っている「人間のこころ」の問題はラチ外だった。今日の機械文明に至って「人間の探求」が圧倒的に遅延しているのだ。

判断はアタマでできるが決断はコシとハラでする。有事の際には平素の頭と腰の鍛えかたと、骨盤の可動性がモノを言う。野口整体では強情な人は腰が固いというが、言ってみればケツの弾力=決断力といえる。

全てはカラダからはじまる。カラダを鍛えよう。