情報オーバーロード

イチロー×稲葉の対談動画がよく再生されているみたいだ。話題は様々だが、イチローさんによるウェイトトレーニングの弊害が提言されていたりして面白い。

個人的には視聴後、「情報が多すぎて・・」という言葉が妙に沁みた。「ソーシャルメディアの功罪」などは今さらここで書くような話ではなかろうが、人が右手に便利なものを掴んだ瞬間、左手には知らぬ間に不自由を握っていた、ということはよくある話だ。

人類創生以来、人間から「悩み」が無くなったためしはない訳で、そこを乗り越えるために潜在する力を使うことが人間生命の醍醐味だと言っていい。ところが何か困ったことがあると、今ならまっ先に「膨大な情報の海を漁る」という手軽さに流れるのだから、この20年余りで人間の頭の使い方は相当変わったことだろう。自分の体験から言うと、膨大な情報によって事態が収束に向かうことは稀で、むしろ拡散的に収集がつかなくなることが多い気がしている。もとより「情報戦」という言葉もあるくらいに情報は尊いものだが、「ネット」という巨大な投網に掛かる情報には大魚も雑魚も不燃ゴミもごっちゃ交ぜでひっ掛かってくるから始末がわるいことこの上ない。

以前、読書は「ごはん」、ネットは「お菓子」という揶揄を目にしたが、一概にそこに質の高低を見い出せるかと言うと今はそうとも言い切れないと思うようになった。日本の「出版基準」にも責任の一旦はあろうが、食事の形態をとりながらさして内容の良くない「ごはん」もあるだろうし、ライトで食べやすい、それでいて身体にもやさしい「お菓子」だってある。今は情報に飢えている人が溢れかえっているので、所謂「釣り」と言われるような「こういうものをやれば彼らは喜んで買うだろう」という、決してカラダによくないようなものまでがごはん(書籍)の形で販売されているのだから、口に入れる前に正確に働く「嗅覚」が重要になっていくる。

つらつらと書いておきながら自分に対する戒めも兼ねている。実は仕事でもいろいろな方のご相談を受けていると自分で調べて得た知識にハマってしまうことがあまりに多いのだ。さらに偏見を恐れずいえば、日々の臨床から高学歴の方ほど悩み方が重度になるという傾向を感じている。だから野口先生が「良いアタマはみんなポカンとするのです」と言われたことは至言なのである。必要な時にだけ必要な情報が1つだけ上がってきて、用のない時はひっこんでいることが望ましい。現代に多い「うつ」という状態は、パソコンのデスクトップに無数のアプリが同時起動して固まっているような状態なのだ。自分は効率化を図っているつもりが、とんでもない混濁状態を生み出し自分の頭に難渋しているのである。

欧米では「禅(ZEN)」にその解決策があることを嗅ぎつけて、敏感な人は早々に取り組んでいるようである。ZEN・Retreat(リトリート:避難)というそうだが、何処から非難するかといえばそれは自分の作りだす「思い」からだ。どんな時でも今の事実に触れれば即、救われる。「今・ここ」という絶対性だけが全人類救済の万能薬であり特効薬である。「信じる者は救われる」というがあれは嘘である。信じようと信じまいと「事実」の方はこれ以上ないレベルでシッカリしているではないか。行をして、自分が自分に実証すれば、これ以上ない確かさが現れて、以降は「情報に使われる」ことはなくなることだろうと思う。