慈眼

昨晩お風呂の給湯器が故障したので、今日は太郎丸のお迎えに行きつつラジウム温泉「鷲の湯」へ。最初は反町浴場に行こうとしたら、水曜日はお休みだったのだ。。

とういうことで、かなり久しぶりの鷲の湯です。

夕方に行くと大抵は肉体労働のおじさん、おじいさんが沢山見えます。刺青している人もちらほらいるし、いろんな体の人がいるんだけど、銭湯は一度に大勢の人の勉強が出来るから便利だ。

こうやって見ているといろんな体の人がいて、それでもみんなちゃんと上手く動いているんだとつくづく思う。日々人の身体を観るが、やっぱり命には「是非・善悪」という見解はつけられない。

臨床の場ではこれまでもずっと「どうなっているのかな?」ということだけを淡々と見てきた。「ただ」見ていると、何もしなくてもより良い方向へ伸びていくから面白い。

いのちというのはそういう風にできている。

「自分」が見ると色がつく。自分がいないときは「そのまま」なのだ。だから、それでいいのだ。