何年か前に『うつは薬で治らない』という本を読んだが内容を全く覚えていない。ただ実際の所そうだといって相違ない。2010年に出版されたとなっているから、6年経った現在ではほぼ周知の事実と成りつつあるのではないか。こんな事を言うと大変問題があるかもしれないが、私は「うつ病」という病気の存在自体を否定している。「標準医療」の世界では「うつ」がどういう状態を指しているのか、改めて定義を調べてみた。
うつ病(うつびょう、鬱病、欝病、英語: Clinical Depression)は、気分障害の一種であり、抑うつ気分、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥(しょうそう)、食欲低下、不眠、持続する悲しみ・不安などを特徴とした精神障害である。(ウィキペディア、世界保健機構より)
これを見ると「うつ」は生きていれば通常は誰もが体験するものであることが判る。こういうことまで「病気」と認定して保護してしまえば、当人がこれから成長し立ち上がる力まで奪ってしまいかねない。また時に共依存の温床となる心配もある。全て「治療」という行為は、それが巧妙に行われる程に身心の成長の機会もまた奪われてしまうのである。
当院も「精神的にとても参っている」というような方を月に1人以上はお引き受けするが、重度の方はほぼ精神科に通院中か過去に年単位の通院歴がある方ばかりだ。現在投薬中の方を観るような場合は、「医師との相談の上、今後薬の量が減っていく過程にある方」が対象となる。そして向精神薬の量が減っていくに従がい、症状は明らかに軽くなっていくのだ。整体の臨床ではこんな事をしょっちゅう目の当たりにしているのだから、うつ病の薬に対して「信頼」などとても持てる訳がない。
ここまでやや暴説気味に偏ったので、薬でも楽になるケースが全く無い訳ではないことも一応述べておく。それは薬を飲んでいる期間中に運よくストレスの対象となるものが消えていった場合だ。転職や部署の移動などで職場環境が変わったり、喧嘩や離別のような一過性の人間関係の問題などがそれにあたる。いずれもつらい時期が過ぎればそれで済むのだから、その間に薬で気分の落ち込みが緩和すれば、本人にとってはいくらか有意義なものになる。
それでも現象だけを正確に観れば、「薬を飲んでいる時だけ楽」な身体であるだけで、ストレスに対抗できる強靭な身心になった訳ではないことは判る。再度似た様な境遇にさらされたら、やはり「薬」を使う必要性は消えていない。立場的には、こういう事を絶対に「治った」とは言いたくない。実際に投薬治療を受けている方は、ある意味被害者と言えなくもないのだが、これだけ情報が自在に得られる社会にいれば「薬害」の問題などは調べればすぐわかるはずで、それを「行わない」のはやはり自己の責任が伴うと思う。
では「どうすればいいの?」というと、まず「無いものは治しようがない」ということを徹底知ることだ。さらに当院の場合は薬を完全に止めなければ指導はできない。しかし薬を止めた瞬間に指導の必要性も消滅する。それなら自分の仕事はいつ何処でやるかと考えると、「減薬期間」という答えもありそうだが、実際は「薬を止めた」時点から始まって、「止めた」と同時に終わっている。時間軸としては「点」すらない事になる。畢竟うつの対応としては、「何もしていない」ということに尽きる。
臨床の場においては、こちらが何もしないで治るのを観るほど楽しいことはない。やったことが極端に少なかったり、治すような行為が見えない時ほどお礼を言っていただく傾向がある。手を付け過ぎて上手くいかないこともある。もちろん「何かすること」で大きな変化を見させて頂く事もあるので、一概に実のある行為を全否定はしないが、治療現場においては「何もしない」という選択肢があることは心強い。個人的には空海の「救わずして、救う」という言葉を敬愛している。人生は「い・ま」という間の「今」すら無いのだから、「これから」救われるようでは到底間に合わないのだ。