20代の中ごろ、茨城県まで武術の師範を訊ねて行った思い出がある。その時に柔(やわら)で投げられてしたたか腰を打ったために翌日から歩けなくなった。過去に腰が痛くて不自由したのはその一回だけで、以来腰痛の相談はよく受けているけれども、自身が腰痛になることはまずない。そう思っていたら先週腰を痛めた。
ひと口に「腰痛」といっても、その原因は複雑で多岐にわたる。世間では「腹筋をやると腰痛の予防になる」という説もあるが、どうかなと思う。実際は腹筋の強いスポーツ選手の多くが腰痛で難儀している。逆にお腹の筋肉の硬直を上手に緩めてやるとすんなり良くなる腰痛もあるくらいだ。整体は何であれ、「固さ」を嫌う。食べ過ぎて胃や肝臓が疲労し硬化することも腰痛の原因としてよく見られるが、その場合は減食や断食が腰痛の特効薬とも成り得る。人体の妙とも言えるが、満腹や空腹といった普通の「感覚」さえしっかりしていれば何のことはない話だ。
知っている人しかわからないけど、「腰が痛い」というのはツライ。例えば立ったまま右手を真っ直ぐ前に出す動作だけでも、腰に負担がかかっていることがよくわかる。本当にひどいケースになるとまず立てないし、横にもなれないのだが・・。自分の場合は職業柄カラダの構造が深部まで把握できることが有り難かった。興味を持って、実験的にいろんな動作を試みては「なるほどな」と研究しながら先週は仕事をしていた。
三日経ち、四日経ち、「良くなったかな?」と思いきや、次に日にはまた痛い。原因は把握していたので敢えてすぐには治さなかったのだが、今回の件で改めて解ったことは胴体と言うのはつくづく「立体」であるということだった。一般には腰が痛いというと、どうしても平面的に腰の表面の筋肉だけにフォーカスしやすい。ところが先にも述べたように、内臓も含めて、複雑な人体が連絡し合って、最終的に臨界点を越えて発症するのが腰痛である。「要」というだけあって、身体全体の動向の責任を担う場所が「腰」なのだ。
体を見る、心も診る、生活も視るという風に、一人の人間の活動を「全体性で観る」という大局観が整体の最大のアドバンテージだ。実際の所、これがないと腰痛に限らず身体のあらゆる変調に対応することは不可能と言える。畢竟整体の技術の粋はこの「観察力」で、慧眼が養われると科学的検査では絶対に見えないものが見えてくる。よって、年々歳々「人間」に対する興味は深まる一方なのだ。開業当初、ギックリ腰に手も足も出ずに閉口してた頃を思うと、身体の読み方は随分変わった。怪我の功名という言葉もあるように、「痛み」はすべて自己理解を深めるための良薬である。迷悟一如の感もある。