野口整体がもっと世界に羽ばたいていいのではないかと人に言われて、それぐらいの価値はあるだろうなとは素直に思った。人間の生理と精神を「事実」のほうから正確に読み解いたものなので、世界中どこに行っても通用する普遍性はある。ただ性質的にはこちらから行って布教に努めるよりも、質の高さを実証して自然に広まっていく方がいいなとは思っている。
昔の中国には、インドまで命を懸けて仏典をもらいに行って、無事帰郷してからは死ぬまで漢訳に人生をささげたような話がある。人生の諸問題を根底から解決してくれるものを、本当はみんな知りたいのだ。宗教はその代表格だけれど、「考え方」をともなうメソッドは他との衝突も生む。その点、整体で説く人間像は「水をのんだらおしっこがでる」というようなあたりまえの話を細密に体系化したものなので、どこに行ってもまちがいなく通じる話だ。
自分自身は家にこもりきりの生活だけど、指導を受けに来られる人は行動的な方が多いのでそのあたりからも多少は流布するかもしれない。ただ異文化交流には誤解がつきものなので、実践力と言語能力の両方が必要かと思う。ちょっとでも理解が変わると全く別ものになってしまうので、薄まって広まるよりもたった一人でもいいから正しく伝わることを大切にしたい。500年後くらいには野口整体もグローバルスタンダードになるだろうか。